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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.04.19
今日の言葉

空の鳥、野の花みよと

前田万葉枢機卿は、俳句をお作りになる方でもいらしゃいます。

ご自身の句集もあるほどなのです。

ご著書の題になっている句があります。

烏賊墨の一筋垂れて冬の弥撒

という句であります。

『前田万葉句集』には次のように解説されています。

「早朝のミサの寄せ鐘で、あわてて烏賊漁から教会に戻ってミサを挙げました。
ミサが終わる信者さんたちがクスクス笑い私の額を指差します。烏賊のスミがあったのです。」

という状況を詠った句なのです。

状況を思い浮かべるだけで微笑みがこぼれます。

こんな俳句だけでも、いかにも親しみやすい神父様だと分かるのです。

対談の始まりは、麦踏みの話からでした。

司会のかまくら春秋社の伊藤社長が、円覚寺の先代の管長だった足立大進老師のことに触れられました。

足立老師は私たちに、よく麦踏みの話をしてくれたのでした。

麦はしっかり踏むほどよく育つというのです。

そこで老師は、修行僧も踏みつけるほどよくなるという理論でありました。

同じ麦踏みの話でも前田枢機卿にかかると異なる話になりました。

麦踏みを枢機卿もなさったことがあるようで、一踏み一踏み丁寧に愛情を込めて踏まなければならないというのです。

枢機卿のお母様が、手を腰の後ろに組んで丁寧に麦踏みをしていた姿を思い出すというのです。

それはあたかも母が子どもを背負っているような姿に見えたのだそうです。

そこで、こんな俳句を作られたのでした。

うしろ手に母のまねして麦を踏む

という俳句であります。

あたたかい母の愛情を感じる句であります。

こんな俳句も句集にあります。

調和する自然は神や野分波

という句です。

枢機卿の解説には、

「まだ神父になって数年、二〇歳代の頃の話です。

海で遭難したことがありました。

夜釣りの最中、エンジンが故障して海峡の潮鞘に入ってしまったのです。

季節風にあおられた波と激流で舟はままなりません。

身も心も大自然と神に逆らっていたのです。

「成るように成れ」後は神様まかせ。 私は甲板に大の字になって寝てしまいました。」

と書かれています。

この話は、この度一冊の本にまとめる、かまくら春秋の連載にも出ているのです。

心をたがやす聖書の言葉という連載には、

「「早朝ミサに神父様が来ない」

島の信者さんの舟が全隻私の捜索に出て、漂流した私を助けに来てくれました。

海をよく知らなかったのです。凪を待つ「辛抱」が足らなかったのです。

神のせい、自然のせい、人のせいにしてしまっていたのです。

待つことの大切さを知りました。

それはただ漠然と時を過ごすことではありません。

大自然や神への畏敬の念と共に、日々、素直に希望を失わず、謙虚に、柔和・寛容・忍耐の心を整え、自分を養っておけば目の前に道はおのずと拓けるのだと。」

と書かれています。

対談の中でお互いの連載についての感想を求められたのですが、私は前田枢機卿の連載は、ご自身の体験がよく説かれていて聖書の言葉が一層親しみやすく感じますと答えました。

私は、「心をたがやす仏典の言葉」として書いたのですが、できるだけ、自分自身を出さずにブッダの言葉忠実に伝えるように心がけたのでした。

この枢機卿の話は、次の聖書の言葉の解説にあるのです。

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。

谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。

曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る」(「ルカ福音書三・四~六」より)」

であります。

この遭難の体験についてお話しくださいました。

少年の頃から船で漁をするのがお好きだったのだそうです。

それで神父になってからも小さな船で漁をなさっていたのでした。

それは漁をしてわずかなお金を得て、それを教会の為に備品を買ったりして使っていたというのです。

夜釣りをしていて、波に流されたのですから、夜通し海を漂っていたのでした。

はじめはなんとかしようとあれこれできる限りのことを試したそうです。

しかし、どうにもならないと思って神様にすべてをまかせて大の字になったのでした。

地元の信者さんたちは、普段から漁になれていますので、潮の流れを熟知しています。

明け方になって潮の流れが変わってこちらの方に流れてくるはずだということを分かっていたのでした。

そこで、助けられたのでした。

助けに来てくれた人はみな漁をして生計を立てているのですから、神父様の捜索をしていると漁ができなくなってしまいます。

それでも助けに来てくれた皆さんに心から感謝したのだとおっしゃっていました。

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。

谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。

曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る」(「ルカ福音書三・四~六」より)」

という聖書の言葉は

「大自然や神への畏敬の念と共に、日々、素直に希望を失わず、謙虚に、柔和・寛容・忍耐の心を整え、自分を養っておけば目の前に道はおのずと拓けるのだと。」
いうことを説いているのです。

聖書の言葉は神を迎えるための準備なのだと教えてくださいました。

道筋をまっすぐにというのは、素直な心になることです。

山と丘はみな低くされるというのは、傲慢な心虚栄心などを平らかにするのです。

曲がった道はまっすぐにというのは、ひねくれた心は謙虚で素直な心になるということを示しているのです。

はじめは荒れた波で、沖に流されたのですが、やがて潮の流れが変わって岸に向かうのです。

大自然は見事な調和を保ってくれています。

そんな大自然を作り賜ったのが神様なのだと教えてくださいました。

そこで「調和する自然は神や野分波」という句になったのだと示してくれたのでした。

山も川も森羅万象が真理を説くという禅の教えにも大いに通じるのでした。

句集には

空の鳥野の花みよと春が来る

という句があります。

聖書の一節、「思い悩むな、空の鳥を見よ、野の花を見よ、明日のことは明日自らが思い悩む」という言葉が、こんな短い一句に込められているのです。

 
横田南嶺

空の鳥、野の花みよと

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