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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.03.19
今日の言葉

主体性は腰を立てることから

先日佐々木奘堂さんにお越しいただいて坐禅の講義をしていただきました。

今回奘堂さんは、星野富弘さんの言葉を紹介してくださいました。

最近群馬県にある富弘美術館に行かれたということでした。

はじめに星野富弘さんのことを知っていますかと、聞かれましたが、修行僧達で手を挙げる者はいませんでした。

かなり有名だと思っていましたが、みんな知らないということに私は驚いたのでした。

そこで奘堂さんは、星野さんのことを分かりやすく話してくださいました。

星野さんは、昭和二十一年のお生まれで、今はもう七六歳になられるのです。

群馬県のお生まれで、群馬大学を出て高崎市の中学校で体育教師をなさっていました。

それが二四歳のときにクラブ活動の指導中に墜落して頸髄を損傷して手足の自由を失ったのでした。

九年間も入院されていて、その間に口に筆をくわえて文や絵を描くようになられたのでした。

一九七九年三三歳のときに、前橋で最初の作品展を開催されました。

私が星野さんのことを知ったのは、この頃でありました。

高校生の頃、ラジオで星野さんがお話になっているのを拝聴したことがありました。

奘堂さんは、星野さんの言葉を紹介しながら話をしてくださいました。

入院されている間というのは、星野さんは、後悔の連続だったと言います。

みんなの前で宙返りなどしなければよかったと悔やんだのでした。

いや体操などしなければよかったと過去にさかのぼって後悔を繰り返していたというのです。

もう生涯首から下を動かすことができないという事実を、受け入れるには、長い時間が必要だったのでした。

生きている価値はないと思って、死のうとされました。

体を動かすことができないので、食べることをやめれば死ねるかと思って、食事を抜いたのでした。

その結果どうなったかというと、腹が減って減って、結局腹一杯食べてしまったというのでした。

「あのときのご飯、うまかった」という言葉を紹介されていました。

笑うに笑えない話であります。

そんな日々を送る中で星野さんは、自分がいくら生きることをあきらめても、いのちは一生懸命生きようとしている事実に気がつきます。

いのちが一生懸命に自分を生かしてくれていると気がついたのでした。

星野さんは入院中にキリスト教の洗礼を受けられました。

今こうして生かされているのだから、神さまから「死ぬという仕事」を与えられるまで、「生きるという仕事」をしっかりさせていただきたいと思うようになったのでした。

星野さん著書『愛、深き淵より』(学研プラス)から、いくつかの言葉を紹介してくれていました。

印象に残った言葉を引用させてもらいます。

「器械体操にしたって、あえて危険な技にあこがれ、登山では、常に死と隣あわせのロッククライミングに夢中になった。常に自分の身を危険な所におくことによって、いやおうなく自分を強くしようと思っていた。

そして強くなれたと思っていた。」

というように、星野さんはより強くなろうとして危険なことにも挑戦されていたのでした。

しかし、星野さんは

「私が強くなろうと思ってやったいろんなことは、その時私を強くしてくれていたのではなく、弱さを、いつだって自分の弱さを思い知らせていたのではなかったか。」

「私はその弱さを自分で認めることが恐くて、無理に、強くなったと自分にごまかして言いきかしてきたのではなかったか。」

「事実、自分の弱さを自ら認めたくなかったし、他人にも知られたくなかった。」
「だから、いきおい、スポーツや冒険にかりたてられたのではなかったか。

そしてそれは、強さという衣を着たにすぎない私の弱さそのものではなかったか。」

というのであります。

「強さという衣を着たにすぎない」という言葉は考えさせられます。

臨済禅師も修行するものが、衣ばかりを着たがると指摘されています。

修行をすると、悟りとか、修行したとかという衣を着てしまうのです。

「皆の衆、衣に目をくれてはいけない。衣は自分では動けない。人がその衣を着るのだ。衣には清浄衣や無生衣や、菩提衣や涅槃衣や、祖衣や仏衣などがある。しかし皆の衆、こうした名前や文句はすべて、対象に応じて着せかけた衣だ。」

と臨済禅師は説かれています。

「わたしは、絵をとくにならったことはありません。

色彩や構図といったものもわかりません。

でも、このような花を、そのまま紙にうつしてゆけば、きっとよい絵がかけると思いました。

神さまがつくったものならば、何も知らないわたしが、頭をひねってむりにつくらなくても、そのままでよいのだと思いました。」

という言葉は深いものです。

そうして、星野さんは素晴らしい絵を描かれるようになってゆくのであります。

星野さんの話を最初になされたのは、奘堂さんの説かれる坐禅というのは、手を組み脚を組むという形ではなく、生きる姿勢そのものだからであります。

禅文化研究所発行の旧版『坐禅のすすめ』から大森曹玄老師の言葉を引用されていました。

「昔は「腰抜け!」という罵り言葉は、人間としての主体性を否定されたことになり、最大の侮辱だったようです。それは人間としての主体性、または人格性は腰をつっ立てるところにあったからだとおもいます。
 私どもは行住坐臥に腰を立てなければ真実人体になりませんが、特に坐るときにはその点の注意が肝要です。腰抜け坐禅は、絶対に禁物です。」

しかし、その腰を立てるということが実に難しいのです。

大森老師は、

「一 腰をグッとつっ立て、下腹を両股の間に割り込むようにすること。
二 両肩や胃の辺に力を入れて気張らないこと。
三 うしろ頸を伸ばして、顎を引くこと。」

という三つの要領を説かれています。

私なども長年この要領で坐禅をしてきました。

しかし、奘堂さんは、このようなやり方では、余計な力で腰を入れることになるので、無理があると説かれるのであります。

坐禅のときにはどうにかこの姿勢を維持して坐れても、終わってしまうと、腰が抜けてしまうという指摘でした。

そこをなんとか頑張ろうというのが修行だと思っていましたが、奘堂さんはそこからいつも教えてくださる礼拝の要領で、すべてを投げ放ってただ起き上がるということ、坐るというのは大腿骨で立つこと、足の付け根で立つことを、丁寧に教えてくださいました。

繰り返し聴いていると、奘堂さんの目指すところがだんだんと分かってくるのであります。

 
横田南嶺

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