人心と道心
「33、心は動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。
英知ある人はこれを直くするー弓師が矢の弦を直くするように。
35、心は、捉え難く、軽々(かろがろ)とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。
心をおさめたならば、安楽をもたらす。
36、心は極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は守れかし。
心を守ったならば、安楽をもたらす。」
とありますように、心は制御すべきものとして説かれていました。
今北洪川老師の『禅海一瀾』に、第二則「執中」という章があります。
『書経』の言葉を用いて洪川老師が説かれています。
「人心は危く、道心は微か。これ精なるもの、これ一なるもの。 まことにその中を執れ。」という言葉です。
人心は、欲や煩悩にまみれた心です。
これを、お釈迦様は、制御すべきもの、おさめられるべきものだと説かれたのでした。
道心というのは、道理、道徳に基づいた心、良心であります。
この言葉に朱子は、次のように説かれています。
こちらは、盛永宗興老師訳の『禅海一瀾』から引用します。
「人心と道心の区別があるのは、人心が肉体的な自己から生じ、道心は天から授かった本性の正しさに基づいているので、その知覚の働きに違いが生じてくるからである。
だから人心は危くて安定せず、道心は微かで見極め難い。
精とは道心、人心の二つを精しく洞察して混同しないことであり、一とは本来の道心の正しさを維持して、そこから離れないことである。
間断なくこれに努めて、必ず道心の方を自己の主人公とし、人心に常にその命令を聴かせるというようにすれば、危い人心も安泰となり、微かな道心も顕らかになる。
そうすれば言語動作すべて自然に過不及は無くなる(その中を執ることになる)」というものです。
人心と道心を区別して説かれています。
道心が常に主人公となって、人心をおさめるようにという教えです。
それに対して、洪川老師は、厳しく批判されています。
「ああ、朱熹のような天才にして、なぜこのような誤った解釈をするのであろう。
これは必ずや中年未悟の見解であろう。
ただ、大道を見極める力の足りないために、頻りに凡庸な分別によって、もともと一つである道心と人心を二つに分け、理屈によってでっち上げ、聖人の言葉を評定し、無用の言語を費やしている。」
と説かれています。
「これ精これ一。まことにその中を執れ」と。
「その真意は、人心は即ち道心、道心は即ち人心ということである。
それは二つのものではなく、区別は無い。
まじりけなく一つのものである。
いつでもどこでもこの素晴らしい境地に在る。これを「まことにその中を執る」というのである。
これ以外にはない。」
というのであります。
太陽を隠す雲や霧は人心であり、太陽は道心なのであります。
朱子の説は、神秀の北宗の教えに通じます。
洪川老師は、人心と道心の区別をしないのですから、馬祖の教えに通じるのであります。
馬祖禅師は、自己の心は仏であり、この心こそが仏心にほかならぬと説かれました。
馬祖の弟子が百丈であり、その百丈禅師のお弟子に黄檗禅師がいらっしゃいます。
『伝心法要』にある、黄檗禅師の言葉を紹介します。
小川隆先生の『語録の思想史』にある現代語訳を引用します。
「諸仏と衆生はともにただこの一心に外ならない。
そのほかに法は無く、心を覚ればそれがすなわち仏である。
この一心こそが仏であり、この心を見ることがつまり仏を見ることに外ならない。
仏は心、心は衆生、衆生は仏、仏は心、というわけである。
衆生でいる時もこの心は減らず、仏である時もこの心は増えない。
ただ、この一心をさえ悟れば、そのほかには得るべきわずかの法も無い。
これこそが真の仏というものである。」
衆生の心が人心であり、仏の心が道心であります。
馬祖禅師が即心是仏と説かれていますが、即心の心が人心であり、仏が道心であります。
即心是仏ですから、人心と道心はひとつだというのであります。
黄檗禅師にこんな教えがあります。
これも小川先生の『語録の思想史』にある現代語訳を引用します。
「即心是仏」について、「「心」がそのまま「仏」である。
上は諸仏から下は虫けらに至るまで、みな「仏性」、すなわち同一の「心」の本体を具えている。
だからこそ達摩は西来して 「一心」の法を伝え、一切衆生は本より「仏」、あらためて修行するには及ばぬと直指せられたのである。
だから、ともかく今この場で自らの「心」、自らの「本性」を看て取り、そのほかに別に求めることをやめるのだ。」
と説かれています。
更に「では、自らの「心」をどう看て取ればよいのか。
それはほかでもない、今、現にこうして話しているもの、それこそが汝の「心」なのである。」
と実に直接心を指し示しているのであります。
洪川老師の『禅海一瀾』を講義したのが、釈宗演老師の『禅海一瀾講話』でありますが、その中に「人心」と「道心」について次のように説かれています。
「「人心」というのが煩悩の心、「道心」というのが丁度菩提の心である」というのであります。
朱熹は人心・道心を二に分けたのでした。
煩悩をなくして仏の心が現れると説くのです。
これには、時間をかけた努力が必要なのです。
神秀の系統が「北宗」と呼ばれ、六祖の系統を「南宗」と言いました。
北宗の方は「漸」的漸進で、南宗の方は「頓」的急進という一面があります。
宗演老師も「丁度今の朱熹の説が北宗たる神秀の説に近い。
直ちに同じと断言することは出来ませぬが、近い一つは、二元的見解である。
哲学派から見ると、古今東西、二派が相い争って居る。
今日は一元的議論に帰して居る様だが、細かに論ずると、今日でも矢張りこの二派は相い争って居る。
相い争って居る間に真理は益す磨かれると思う。」
と説かれています。
そして宗演老師は「先師はこう言われるが、強ち朱熹の説も非難すべきことでないと救うのである。」とも、また朱熹の説を「一概に退ける訳にはいかぬじゃろうと思う」とも説かれています。
心をととのえて修行してこそ、人心と道心はひとつ、仏とわたしたちとは一つだと気がつくこともできるのであります。
横田南嶺