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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.03.13
今日の言葉

それぞれの3.11

今年も三月十一日がやってきました。

三月が近づいてくると、新聞なども被災地のことが取り上げられるようになります。

それぞれの人がそれぞれの思いを抱く三月十一日であります。

円覚寺では、鎌倉の宗教者が集まって合同の追悼、復興祈願祭を行いました。

ちょうど十二年が経ちますので、仏教では十三回忌と申します。

震災が起った年に、鎌倉では、鶴岡八幡宮の宮司さまを中心にして、鎌倉市内の神社、仏教寺院、キリスト教の方々がみんなひとつになって祈ろうということになったのでした。

八幡宮の吉田宮司が、真の祈りは、宗派の違いを超えて共鳴するのだと説いてくださったのでした。

そうして、震災の起った年の4月11日に、鎌倉市内の宗教者が皆鶴岡八幡宮に集まったのでした。

八幡宮の吉田宮司が祝詞をささげ、仏教界では建長寺の吉田管長が漢詩を唱え、キリスト教の方々はそれぞれの祈りを捧げたのでした。

八幡宮の舞殿で祈り、そのあと、由比ヶ浜の海岸までみなで托鉢をして、そして海岸で再び祈りをささげたのでした。

あれから十二年の歳月が流れました。

四月十一日は、鎌倉でお祈りして、五月の十一日私は初めて被災地をお見舞いに行ったのでした。

言葉にならない情景は、今も思い浮かびます。

それから毎年三月十一日に、鎌倉市内の宗教者が一堂に集まって祈るようになったのでした。

会場は毎年持ち回りであります。

神道と仏教とキリスト教という順番で、神道の場合は、八幡宮で行います。

キリスト教の場合は、雪の下教会です。

仏教の場合は、建長寺や大仏様とそして円覚寺で行ってきました。

円覚寺で行ったのは、2015年のことですので、今からもう八年前であります。

まだ震災から四年ほどしか経っていないこともあり、実に大勢の方々が集まってくれて仏殿で法要を行ったのでした。

今年はもう震災から十二年、どれだけの方が集まってくださるのか、全く分かりませんでした。

しかし、実際に開催してみると、なんと実に多くの方が集まってくださって感激したのでした。

八幡宮の吉田宮司もお忙しい中を円覚寺にお越しくださったのでした。

仏教界からも多くのお寺の和尚様方が円覚寺にお越しくださいました。

光明寺の柴田台下、建長寺の僧堂の酒井老師さま、宗務総長さまもお集まりくださいました。

宗教者だけでも百名ほどになったと思います。

一般の方もまたこちらが想像した以上に大勢集まってくださいました。

円覚寺には、儀式用の椅子が200しか無いのですが、その200でも足らなくて、立ってままお参りくださる方もいらっしゃいました。

今回は大方丈で行いましたが、方丈の外に庭でもお祈りしてくださる方々のお姿が見えました。

宗教者がみんな入堂して、午後2時46分に黙祷をささげました。

1分の黙祷の間に円覚寺の鐘が鳴り響き、鐘の音色を聞いているといろいろのことが思い浮かんで、涙がにじみました。

それから、神道、仏教、キリスト教、三宗教の祈りが始まります。

法要はまず神道から始まります。

やはり日本の国に於いては、神道が一番古くからある教えであります。

それから仏教が入ってきて、更に遅れてキリスト教が入ってきましたので、今もその順番で法要を行っています。

神道の方々は皆白の装束で統一されていて、美しくすがすがしいお姿であります。

儀式では修祓というお祓いを行って、大祓詞(おおはらえのことば)を唱えます。

高天原(たかまのはら)に神留(かむづま)り坐(ま)す 皇(すめらが)親(むつ)神(かむ)漏(ろ)岐(ぎ) 神(かむ)漏(ろ)美(み)の命(みこと)以(も)ちて 八(や)百(ほ)萬神(よろづのかみ)等(たち)を神(かむ)集(つど)へに集(つど)へ賜(たま)ひ 神(かむ)議(はか)りに議(はか)り賜(たま)ひて…

という美しい響きの言葉であります。

最後には、神道を代表して吉田宮司、仏教を代表して私、そしてキリスト教を代表して神父の方が玉串を捧げてお祈りました。

次には、仏教の法要であります。

仏教では、各宗派が共通して読む経典というのがないので、なかなか難しいのですが、法華経の中にある観世音菩薩普門品の偈を皆でお唱えしています。

今回は円覚寺で行いましたので、禅宗式に導師を務めた私が、漢詩を唱えました。

禅宗では導師が七言絶句を唱えてお香をささげるのが習わしであります。

震災過ぎて後、十三春。

毎歳、頭(こうべ)を聚めて忌辰に臨む

国泰らかに萬民悉く安楽ならんことを

諸宗教者、共に祈ることを頻りなり

と唱えました。

意訳しますと、

大震災から十三回忌の春を迎えます。

私たちは毎年集まってこの祈りの祭典に臨んできました。

どうか国が泰らかで、人々が皆安楽でありますようにと、

ここに諸宗教者が共に何度も何度も祈りをささげます。

というところであります。

禅宗では七言絶句ですべてを言い表すようにしますので、じつに簡潔であります。

この漢詩を唱えるとき、そして読経をする間に、震災の起った頃のこと、被災地にうかがったときのこと、そのあと復興の支援を続けてきたことなど、さまざまなことが思い浮かんだのでした。

そして最後にキリスト教のお祈りであります。

それぞれ聖書の言葉を唱えて、そして讃美歌を歌ってお祈りします。

讃美歌は、会の始まる前にも早くにお越しくださって練習をされていました。

あの歌の響きもまた素晴らしいと感激していました。

かくして無事に今年の祈願祭を終えることができました。

よその会場のときには、参列するだけでいいのですが、こちらが会場になると、支度もあり、いろいろと気を遣うものです。

私などはたいしたことはありませんが、寺務所の方々は、何日もかけて準備をしてくれていました。

やはり手間暇かけてみんなが集まって祈ることには大きな意味があると再認識したのでした。

思えばコロナ禍となって以来、円覚寺の大方丈にあれだけの人が集まったのは初めてでありました。

これからまた新たな出発かと思います。

もっとも、いまだに行方不明のままの方も大勢いらっしゃるのであります。

捜索は続くのであります。

それから原発が厳しい状況にあるのは変わりないのです。

廃炉に向けてまだまだ年月がかかります。

それも予定より遅れているのであります。

地元に住むことができずに避難されたままの方も大勢いらっしゃるのです。

戻ろうにも、もうこれだけの年月が経つと、新しい土地の暮らしが慣れてしまい、元に戻らない方も多いと聞いています。

福島県の双葉町は、昨年ようやく避難指示が解除されたものの、まだ町に戻った人は、六十名ほどだという報道を耳にしたのであります。

まだまだいろんな課題を抱えているのであります。

震災は決して過去の話ではないのであります。

円覚寺での復興祈願祭の様子は、円覚寺のYouTubeチャンネルでご覧いただくことができるようになっています。

——————

 
横田南嶺

それぞれの3.11

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