誇りある仕事
これは大学時代のときに、すでにお寺に弟子入りしていましたので、取る機会をなくしたのでした。
ふるさとの親が、運転免許くらい取っておくようにと言われて、寺の老師にお願いしたのでした。
すると、老師は、運転免許など取らなくてよいと仰いました。
どうしてですかと聞くと、修行すれば車が迎えに来るというのでありました。
これはすごいことを仰るなと思いながらも、内心では、地方のお寺の和尚になれば車は必需品なのになと思っていました。
しかし、師匠の言うことは絶対の世界ですので、運転免許を取ることはあきらめたのでした。
そんな時間があれば、寺の掃除や禅の勉強をしろということだったのだと思います。
また、私は、在家からこの道に入りましたので、退路を断っておくという意味もあったかと思います。
背水の陣といいますが、ほかに逃げようがないようにしないと、人間というのは弱いものであります。
そこで、大学で取得しようとしていた教員の免許もあきらめることにしたのでした。
もうこの道以外に生きる道はないという状況に追い込んだのでした。
よく法話の折に冗談で言うのですが、師匠の言ったことは本当で、今円覚寺にいますと、車が迎えに来るどころか、電車までが門の下まで迎えに来てくれるのですと言っています。
JRの北鎌倉駅というのは、円覚寺の門の下にあるのです。
線路ももとは境内地だったのでした。
そんな次第で車は運転しないし、駅もすぐ近くなので、移動は専ら電車などを利用していました。
それがコロナ禍になってから、車で移動することが増えました。
車に乗っていると、車をよくみるようになるものです。
車をみながら、いろんなことを考えています。
人と会うと、はじめてお目にかかる人であっても、その雰囲気、たたずまいから、どのような人なのかを感じることができます。
いろいろ話をして分かることもたくさんありますが、そのたたずまいから分かるものも多いものであります。
いろんなところで、いろんな方にお目にかかってくると、その人から感じるものには敏感になっているように思っています。
車に乗っていて、いろんな車を眺めていると、車にもその雰囲気、たたずまいから感じるものがあると思うようになりました。
先日、高速道路を走っていたときのことであります。
ある一台の大きなトラックが目にとまりました。
まわりの車と比べて、何か違うたたずまいを感じました。
清潔感、凜としたたたずまいを感じたのでした。
よくみると、「新宮運送」と書かれていました。
それをみて納得したのでした。
新宮運送というのは、兵庫県たつの市にある運送会社であります。
その社長は木南さんです。
中之島人間学塾の講師も務められている方です。
私も何度かお目にかかったことがあるのです。
中之島人間学塾では、鍵山秀三郎先生が講師のお一人でいらっしゃいました。
それがご病気の為来られなくなって、その後任として指名されたのが、木南さんだとうかがっています。
それほど鍵山先生の信頼の厚い方なのです。
木南さんからは、毎月「こころ便り」を送っていただいています。
それには、鍵山先生の言葉や、最近の気になったことなどが書かれています。
新聞の切り抜きのコピーが入っていることもございます。
先日、運送業界の問題について書いたことがありますが、これも木南さんから教えていただいたことでした。
今回のこころ便りには、「誇りある仕事を」と題して書かれていました。
その中にこんな言葉がありました。
「今の自分の仕事に誇りがあるかと問い掛けたい。
自分の総力を挙げて取り組んだ作品になっているという誇りが、どんな仕事にもあらゆる分野で光り輝く仕事が我が国の中にはあったはず。
昔は良かったなどと言っているのではありません。
仕事というのは、人間が唯一、他の生き物と違う存在を示す価値あるものと、私は捉えています。
誇りある仕事を、自慢できるほどの心を込めて実行すれば、世の中は闘いから思いやりの心へと変わり始めると信じています。
自分を育てるのは自分。
誇りを持って、お互いに努力してまいりましょう。」
というものです。
こんな気持ちで運転されているから、車のたたずまいが違ったのだろうと思いました。
そんなことを木南さんに手紙を書いて伝えたのでした。
するとご丁寧な返信のお手紙を頂戴しました。
そこには、
「長距離のドライバーにとって、己の信じるものがなければ仕事も浮き草のような形となってしまい、流されていくだけで、大きな車が邪魔者になります。
一方、誇りあるドライバーにとって安全運転は当然の行為へと繋がりますから、日々の中でより心のこもった安全運転が技術として磨かれていくことになります。」
と書かれていました。
新宮運送は「風を起こさない運転」を心がけていることでも知られています。
会社のホームページによると、
「運送会社として誰もが考える信頼は、安全であることが第一条件です。
私たちが事故を起こすのは、自分優先で運転して風を起こすような粗い運転するからです。
とことん技術を磨き、心を高めれば、風は起きなくなります。」
というのであります。
また同じホームページには、
「車を磨く=心を磨く」ということが書かれています。
「新宮運送では、愛車を常に清潔に保つよう徹底しています。
こういった取り組みが、無事故・無違反につながることはもちろん、ドライバーが安心・安全に勤務し、荷主・荷受先の皆様と良好な関係を築くためにも、必要不可欠だと考えています。」
というものです。
なるほど、実にすみずみまできれいに掃除が行き届いているから、あの凜としたたたずまいになっていたのだと納得したのでした。
内村鑑三が『後世への最大遺物 デンマルク国の話』のなかで、
「それならば最大遺物とは何であるか。
私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウ(原文)してこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。
それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。
これが本当の遺物ではないかと思う。」
と書かれています。
森信三先生もまた、
「職業とは、人間各自がその「生」を支えると共に、さらにこの地上に生を享けたことの意義を実現するために不可避の道である。
されば職業即天職観に、人々はもっと徹すべきであろう。」
と仰せになっています。
それぞれの職業に誇りを持ってのぞむことができたなら、それぞれ皆仏のはたらきであると言えます。
横田南嶺