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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.03.11
今日の言葉

捨て得ないもの

本日三月十一日です。

あの東日本大震災から十二年が経ちます。

円覚寺では、午後2時半から方丈で、鎌倉の神社、キリスト教、そして仏教の寺院がひとつになって祈りの法要を行います。

毎年鶴岡八幡宮、キリスト教会、そして仏教寺院と持ち回りで行ってきましたが、今年は円覚寺で行うことになっています。

坂村真民記念館は、この日開館十一年となります。

先日坂村真民記念館での講演を行うにあたって、あらためて全詩集を読み返し、随筆集などを読み直して、真民先生の一遍上人への深い思いを知ることができました。

真民先生は、五十歳のときに、宝厳寺にお祀りされている一遍上人像に出逢ったのでした。

そのときの様子が、真民先生の思索ノートに残されています。
今回の特別展のおかげで、その様子を知ることができました。

昭和三十四年九月十三日なのでありました。

「とにかく一遍智眞とわたしと本当に結ばれた日であった。

上人の像の扉をあけてくださる時わたしは合掌していた。

わたしは一遍智眞の立像に心から合掌した。

本当はそれでいいのだった。

和尚さんは、どうぞおん前へいって立って拝んで下さいといわれた。

なるほど、立像に対しては立って拝むのがいい。

そう思っておん像の前に立って拝んだ。」

と書かれています。

そして更に真民先生は、「その時ふとおん足に触れたい衝動を感じた」のでした。

しかし、重要文化財に指定されているお木像に手で触れることは、できることではありません。

真民先生も、「しかしこんなことは常識者としてできることではない。 あきらめた。」と書かれています。

そのときに真民先生は、版刷りのお絵像を分けて欲しいとお寺の和尚にお願いして和尚が席をはずされたのでした。

そこで

「一遍さんが「今です。今ですぞ。 ここへおいでなさい。 わたしの足にさわりたければ、どうぞ、どうぞ」といっておられるような気」がされたのでした。

そして真民先生は「わたしは立ちあがって、おん足にさわり、 その手を額に当てて、この人との本当のありがたい接触をした。

奇跡の幾分間だった。

一遍の血が手から額に、額から全身へ流れた瞬間だった。

わたしは生れ変わらなければならないと思った。」

というのです。

真民先生は「五十一でこの世を去った一遍の精神を五十一であるわたしが引継ぎたいと思った。

一遍よ、度々来りて導き励まし給え、わたしが伊予の地にきたのは、あなたにめぐり会わんがためであったのだ」

と思われたのでした。

五十一というのは、数え年であります。

そうして一遍上人の精神を受け継ごうと決意されて、それが毎月「詩国」をいう詩誌を出して多くの人に配るという独自の賦算へと具体化されてゆくのでした。

真民先生の五十歳のときの詩に、

一遍智真
捨て果てて
捨て果てて
ただひたすら六字の名号を
火のように吐いて
一処不住の
捨身一途の
彼の狂気が
わたしをひきつける
六十万人決定往生の
発願に燃えながら
踊り歩いた
あの稜々たる旅姿が
いまのわたしをかりたてる
芭蕉の旅姿もよかったにちがいないが
一遍の旅姿は念仏のきびしさとともに
夜明けの雲のようにわたしを魅了する
痩手合掌
破衣跣の彼の姿に
わたしは頭をさげて
ひれ伏す

というのがあります。

捨てて捨てて捨て果てて生きるというのが、真民先生の敬愛する一遍上人の生き方でありました。

「軽くなろう」という詩があります。

軽くなろう
軽くなろう
重いものは
みんな捨てて
軽くなろう
何一つ身につけず
念仏となえて
歩きまわった
一遍さんのように
軽くなろう

捨てることは大事なのですが、また捨て得ないものもあるのがお互いであります。

 捨て得ないもの
捨てて捨てて
捨て得ないもの
それは一遍上人にとっては
ナムアミダブツであり
わたしにとっては
詩であり
母にとっては
遺された五人の子であった
捨てて捨てて
捨て得ないもの
それは人それぞれのものがあろう
でもあくまでそれは
財産でもなく
名誉でもなく
地位でもなく
他のために尽くす
無償の愛でありたい
かつてない狂乱の時代に生まれてきて
静かに一隅にあって
花を愛で
捨てて捨てて
捨て得ないものを
わたしは今日も乞い願う

という詩もございます。

一遍上人にも捨て得ないものがあったのでした。

真民先生の『愛の道しるべ』に

「『一遍聖絵』の中でわたしが好きな一つは、旅立ちの絵である。

妻超一、その子超二を連れて、伊予の国(愛媛県)を旅立つあの絵は、日本仏教史を飾る女人の美しい場面である。

ある有名作家が、女を連れて出家するなんて、なってない、と非難していたが、わたしはまったく反対であって、こういう一遍の愛にひかれ、彼が好きになったのである。」

と書かれています。

真民先生にも捨て得ないものがありました。

捨てず
西行と山頭火は
妻子を捨て
家を出た
芭蕉と放哉は
世を捨て
旅で死んだ
だがわたしは
妻子も捨てず
世も捨てず
一筋に詩を作り
どこまで行けるか
行ってみよう
詩神よ
導きたまえ
守りたまえ

という詩に現れているように、真民先生にとっては、妻や子という家族を捨てることはできなかったのです。

捨てるということは大事ですが、捨て得ないものも大切なのです。

いやむしろ、捨てることによって、はじめて捨て得ないものの尊さが分かるのだと思います。

 六魚庵天国
悲しみを噛みしめて帰る六魚庵に
明るいあかりがともっている
煮たきの匂いがながれている
子供のこえがひびいている
山羊がしきりに呼んでいる
六魚庵はやっぱり天国だ
さみしいわたしの安息所だ

という家族は捨て得ないものでした。

その捨て得ないものがあるおかげで、この困難な世を生きることもできたのでした。

  子らゆえに
子らゆえに
虚無にもならず
子らゆえに
悲しみに堪え
子らゆえに
死にもせず
子らゆえに
生を愛す

という詩も残されています。

更に今回真民先生の全詩集を読み返していて、真民先生にとって捨て得ないものがまだあると気がつきました。

 悲願
わたくしは父の死に目にも
母の死に目にも会えなかったのです
これほど子として不孝なことはなく
これほど人として不実なことはなく
それを思うと自分にできる
一つのことをしつづけて
罪のつぐないをしないと
詩集や詩誌の刊行となったのです
多くの人よどうかこの心を汲みとって
読んで下さい
受け取って下さい
いつの日か
この悲願がかなえられて
罪業消滅の晴れの時の来るのを
ただひたすら待ち迎えたいのです

という詩がありますように、罪という意識であります。

罪といっても決して法律に触れるような犯罪のことではありません。

真民先生にとっては父の死に目にも母の死に目にも会えなかった罪の意識なのであります。

詩集や詩誌の刊行は、一遍上人の御遺志を受け継ぐということだけでなく、罪のつぐないでもあったと知ることができました。

こういう罪の意識が、キリスト教の信仰にも心惹かれていった要因なのかと思ったのでした。

捨てることによって、捨て得ない大切なものに気づくことができます。

新たに学ぶことができたのでした。

 
横田南嶺

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