信不信をえらばず
一遍上人が念仏札を配りながら熊野に向かっていたときです。
『一遍上人全集』(春秋社)にある一遍聖絵の現代語訳を引用します。
「参詣の途中に一人の僧がいる。
聖はこの僧に念仏を勧めて言われるには、
「一念の信心をおこして、南無阿弥陀仏と唱えて、この札をお受けなさい」と。
僧は「今、一念の信心がおきません。それなのに受ければ妄語(うそつき)の罪を犯すことになるでしょう」といって受け取らない。
聖のおっしゃるには、「仏の教えを信じる心がおありでないのか。あればどうしてお受けにならないということがありましょう」と。
僧の言うことには、「経文や祖師の教えを疑うわけではないが、信心のおきないことは、どうにもならないことである」と。
その時何人かの熊野道者が集まっていた。
この僧がもし受けなければみな受けないだろうと思われましたので、本意ではなかったが、
「信心がおきなくてもお受けなさい」と言って僧に札をお渡しになった。
これを見て道者はみな札を受け取りました。
僧はどこへ行ったか行方がわからないのである。」と。
この話について、真民先生は『一遍上人語録 捨て果てて』のなかで、
「この一人の僧と押し問答しているうちに、あとから旅びとたちがやってくる。そうなると信、不信の大問題を、こんな山の中の道で、しかも出会いがしらの僧と解決することはできぬ、もしこの僧が受け取らなかったら、集まっている者たちも受け取らないだろう、そう思うと不本意ながら、信心が起こらなくても受け取りなさい、といって賦算の札を渡したのである。
さあ、それからが大変だった。この信、不信こそ宗教者の生命なのである。これを解決するためには熊野本宮証誠殿(しょうじょうでん)に参籠して冥慮を仰ぐほかなかった。この熊野の神は、本地は阿弥陀如来なのである。」
と書かれています。
また更に真民先生は、
「「信心おこらずともうけ給へ」とて僧に札をわたし給ひけり。
これは上人の負けである。
でもこの負けが、上人を不滅の人とした。
そういうところが、わたしにはたいへん面白いのである。
面白いという言葉は妥当でないかもしれないが、一人の人間が完成してゆくには、こういう負けをいくつも体験することが大切だと思っているからである。
このことがなかったら、時宗の祖となるような人にもなっていなかったろうし、遊行賦算にも、あれだけの力は発揮できなかったであろう。」
と書かれています。
そこで熊野本宮の参籠となるのであります。
『一遍上人全集』には、
「聖はこの出来事についてつくづく思いをめぐらしてみると、何か、わけがないわけでもない。
念仏を勧める心構えについて、神のお示しを仰ぎたいとお思いになって、本宮証 誠殿(この神の本地は阿弥陀如来と信じられていた)の御前において願を立てて祈り、目を閉じてまだうとうとともしないうちに、御殿の御戸を押し開いて、白髪の山伏が長頭巾をかけておでましになる。
長床には山伏三百人ほどが頭を地に着けて敬礼申しあげている。
聖はこの時、「これが権現でいらっしゃるよ」とお思いになり、信仰しきっておられると、その山伏が聖の前に歩み寄られておっしゃるには、
「融通念仏を勧める聖よ、何と念仏を誤ってお勧めになることか。
御房の勧めによって一切衆生がはじめて往生するものではない。
阿弥陀仏が十劫という遠い昔悟りを開かれた時、すでに一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と定まっているのである。
信と不信を取捨せず、浄も不浄もきらわず、その札を配るがよい」とお示しになる。
後に目を開いてご覧になると、十二、三歳ほどの子供が百人くらい来て手を捧げて、「その念仏の札を受けよう」といって札を受け取って、「南無阿弥陀仏」と申して、どこへともなく立ち去って行ったという。」
そこで真民先生は、同じく『一遍上人語録 捨て果てて』に、
「この夢告は、まさに大鉄槌であり、また大覚醒でもあった。
鉄は打たれて柔らかくなる。
いかに骨身をけずる修行をしても、気負いが我になり、かえって仏の世界から遠ざかってゆく。
そこを打ち砕かれ、目から、うろこがとれた。
信不信もなくなった。
浄不浄も消え去った。
絶対不二、 無差別平等の大世界が展開してきた。
不動の一遍が誕生したのである。
大切だからもう一度言っておくが、信仰にとって気負いほど恐ろしいものはない。
修行が気負いになる。
学問が気負いになる。
こんにちの言葉でいうなら、優越感である。驕慢心である。
これまでの智真には、それがあった。
潜在的にしろ、頭のどこかにあった。それを打ち砕かれたのである。」
と書かれています。
信じる者は救われるとはよく聞かれる言葉です。
しかし、信じるものとそうでないものをも差別しない、無差別平等の心が発露されたのでした。
『タンポポ便り』にある西澤孝一館長のエッセイには、今一遍上人から学ぶものとして、この無差別平等の思想と、必要なもの以外は持たない身軽な生き方、そして清貧の生き方の三つが説かれています。
無差別平等の愛の心は、一遍上人と真民先生のお二人を貫く精神であります。
横田南嶺