緩急のリズム – 絵解きに学ぶ –
もちろんのこと、内容が大切なことはいうまでもありませんが、その声や表情や服装などの姿、そしてリズムが大切であります。
リズムと間の取り方などがとても大切なのであります。
そうでないと、一時間とか一時間半という長時間飽きることなく聞いてもらうことは難しいのです。
その点、先日の岡澤恭子さんの涅槃図絵解きは見事なものでありました。
その声、お姿も素晴らしいのですが、そのリズム感、間の取り方が素晴らしく、学ぶところが沢山ありました。
まずはじめに、お釈迦様の涅槃の様子を描いたこの絵に、丁寧に礼拝されるのであります。
そのお姿が有り難くて、それだけで荘厳な雰囲気になります。
そしてゆったりとした口調で語り始められます。
お釈迦様のご生涯を簡単に紹介してくださって、もう八十歳になっていよいよ最期の旅に出られるのであります。
北へ北へとふるさとを目指しての旅でありました。
途中、パーヴァーという村で鍛冶屋のチュンダから食事の供養を受けます。
チュンダはお釈迦様のために最高の食事を用意しました。
しかしお釈迦様はご自身で一口召し上がったあと、この料理は食べてはならぬ、残りは土に埋めよと示されました。
そしてお釈迦様は血を吐いたというのです。
最後に召し上がったのは、キノコであるという説と豚肉の説の両方を紹介してくださっていました。
いよいよお釈迦様のお体が金色に輝き、涅槃が近づいてきました。
お体が金色に輝くのは、ご生涯の中でもおさとりを開かれたときと、涅槃に入るときなのであります。
チュンダが、自分のせいでお釈迦様がお亡くなりになると自らを責めることのないようにと、あの食事は実にまごころのこもったものであり、素晴らしい食事であったこと、最後の食事ほど価値のあるものはないと説かれました。
私が死ぬのは、チュンダのせいではない、私が死ぬのは、生まれたからなのだと真理を説かれたのでした。
いよいよクシナガラに来て沙羅樹のもとで横になりました。
頭を北に右脇を下にしたのでした。
沙羅の木がときならぬのにいっせいに開花してはらはらと花びらが舞いました。
アーナンダよ、ご覧、この世はかくも美しいと仰ったのでした。
そこでお釈迦様のおそばで二十五年もお仕えしてきたアーナンダが嘆き悲しみます。
私をおいて行かないでください、どこまでもお伴させてくださいとお願いします。
しかしお釈迦様は、アーナンダよ、悲しんではならない、すべてのものは必ず滅ぶ、別れのときはやってくる、自分と法とを灯として己の道を行くがよいと諭しました。
そんな胸に迫る別れの情景を語っておいて、そこで今度は動物たちの話に変わりました。
ずっと胸痛む話ばかりが続くと聞く方も疲れてしまいます。
動物たちがここで登場することで、ホッとするのでした。
五十二種の生き物が集まったと言われています。
そこでお釈迦様がお亡くなりになると最初に聞いたのは牛だったと言います。
牛はクシナガラに向けて出発しました、
途中でネズミに会って、頭にネズミを乗せてあげました。
歩いてゆくと猫が昼寝をしていました。
しかしネズミは猫を起こさずにそのままにしてクシナガラに行きました。
やっとクシナガラに着いた途端、ネズミは牛の頭から飛び降りたので、ネズミが一番乗りとなったのでした。
そして牛は二番となりました。
ネズミが一番、牛が二番と言われると、十二支を思います。
お釈迦様が涅槃に入る前に集まって来た動物の順番が十二支になったというのであります。
昼寝をしていてネズミに起こしてもらえなかった猫は、それ以来ネズミを見ると追いかけるようになったというのであります。
こういう話は、経典に書かれているものではありません。
長い間涅槃図の絵解きなど伝えられているうちに作られていったものでありましょう。
史実ではないにしてもこういう話が間に入るとホッとするものです。
こんな話から、猫は涅槃図に描かれないという説もあります。
またよく言われるのは、お釈迦様の為に、天上界から降りてきたお釈迦様のお母様の摩耶夫人が、お釈迦様の為に薬の袋を投げました。
ところが途中に木の枝に引っかかってしまいました。
木にかかった薬の袋を、お釈迦様のためにネズミが取りに行こうとしたら、猫が邪魔をしたため、お釈迦様は薬を飲めずに亡くなったという説もあります。
もっとも猫を描く場合もあります。
東福寺の画僧明兆が、涅槃図を描いていて、青の絵の具がなくなってしまって困っていたところ、猫が川の上流へと明兆を案内しました。
するとそこに絵の具が取れる岩があってたすかったという話です。
そこで明兆の一派では猫を描くという説もあるということでした。
そんな話のあと、岡澤さんはアングリマーラの話やキサーゴータミーの話などをまじえて、お釈迦様の実子ラーフラとの別れについて語ってくださいました。
ラーフラは涅槃図ではお釈迦様の頭の近くに描かれることが多いのです。
いつも遠慮してお釈迦様から遠く離れたところにいたラーフラですが、いよいよ涅槃に入るにあたって、お釈迦様が枕元に呼び寄せたというのであります。
お釈迦様の足元には、必ず老婆が足をさすっているように描かれています。
熱心な信者だったのでした。
あまりにも貧しく何もできない老婆はただ一心に足をさすっては涙を流していました。
その涙でお釈迦様のお体がぬれてしまって七日間火がつかなかったというのであります。
そしてその七日の間に遠くに布教に出掛けていた弟子達も帰ることができたというのです。
この話は初めて聞いた話であります。
今回の絵解きで唯一私が知らなかった話でした。
恐らく老婆の涙と、お釈迦様がお亡くなりになってもお弟子の迦葉尊者が到着するまで火がつかなかったという話とがひとつになってできたのだと想像します。
ともあれ、悲しい切実な別れの場面や、動物たちの微笑ましい話などが、交互に入り交じり、独り特のリズムがあって、聞いていて飽きることがないのであります。
心地よいリズムに身を委ねていると、体の全身から教えが染み渡わたってくるように感じます。
そのリズム感や間の取り方、今回の岡澤先生の絵解きから大いに学んだのでありました。
横田南嶺