再会 – ご縁は有り難い –
先日東慶寺様で開催された岡澤恭子さんの涅槃図絵解きを拝聴に行った折に、会場の隅で絵解きが始まるのをまっていると、あるご婦人から声をかけられました。
知らない方から声をかけられると、驚くものでありますが、なんでも私の毎朝のYouTubeラジオを聞いてくださっているというのです。
それだけでも有り難いことですが、それがご縁になって、椎名由紀先生のZEN呼吸法の講座に通われているというのであります。
お二人のご婦人でしたが、お二人とも健康そうに見えて、うれしくなりました。
一月に出版した『ZEN呼吸ー健康は白隠さんからー』もお求めになってくれているとのことで、なお一層うれしくなったのでした。
ご縁は有り難いものです。
東慶寺様で涅槃図絵解きを拝聴した翌日は愛知県の尾張旭市にあるお寺の法話会に招かれて参りました。
妙心寺派のお寺でありますが、とても布教に熱心なご住職でいらっしゃって、毎年いろんな講師をお招きして法話、講演の会を催されているのでありました。
もともとは昨年の二月にうかがう予定でしたが、コロナ感染症が増えた為に、一年延期となったのでした。
尾張や美濃のあたりは、昔からとても信仰の篤い土地柄と言われていますが、お寺もとても立派な伽藍、境内で驚きました。
これだけのお寺を維持するだけでもたいへんだろうなと想像しました。
うかがうと、ほとんどの伽藍は、先代のご住職がお建てになったものだそうです。
一代でたいへんなご功績だと思いました。
さて、その法話会に阪部賢六郎君が来てくれていました。
なんでも阪部さんの知人が、このお寺のお檀家だというご縁で、岡崎からわざわざお越しくださっていたのでした。
阪部君については、昨年の四月七日に公開したYouTube対談番外編でご紹介したことがあります。
阪部君のことをご存じでない方は是非ご覧ください。
先日須磨寺の小池陽人さんのライブ配信を拝聴していると、小池さんのところになんと四歳の少年が訪ねてきたという話をなさっていました。
四歳の少年が小池さんのYouTubeをご覧になっていることにも驚き、そして須磨寺までご家族で訪ねたという話には更に驚いたのでした。
さすが小池さんの魅力は、四歳の少年にも伝わっているのだと思いました。
阪部君との出合いは、昨年春のことでした。
当時阪部君は、九歳でありました。
九歳で、私のYouTube動画をご覧になっていることに驚いたのでした。
昨年の春にご丁寧なお手紙をいただいたのでした。
小学三年の時でありました。
小学生から手紙をいただくということは滅多にあることではありません。
それで一度お目にかかりたいというので、お越しくださったのでした。
岡崎市からご両親に連れられてお越しくださったのでした。
とてもしっかりした少年で、その場で対談の撮影をしましょうと提案して、ご両親のご了解もいただきましたので、すぐに撮影して動画を配信したのでした。
この動画対談がとても人気となったのでした。
阪部君が、どうして私の動画を見るようになったのか、その経緯については、YouTubeの対談動画をご覧いただくのが一番なのですが、なんと二歳の時に曾祖母がお亡くなりになったことがご縁で、そこから仏教に興味を持つようになったというのであります。
いろんなお経を学ぶうちに、延命十句観音経のことを知って、このお経について知りたいと思い、検索をして私のYouTube動画にたどり着いたというのであります。
姿勢もよろしく、受け答えもとてもしっかりしていたのでした。
お寺の法話会でも阪部君は最前列で聞いてくれていました。
法話のあとは控え室に来てもらってしばしお話することができました。
こんな出合いがあると、有り難いと思うものであります。
阪部君の姿を見たので、法話会では、私がなぜこの道に入ったのか、どうして坐禅するようになったのか、満二歳の時に祖父の死に遭ったことがきっかけだったことに触れて死について話をしたのでした。
話のはじめには、その日が二月最後の日曜日で二二六事件の日でもありましたので、二二六事件について話し始めました。
二二六事件について簡単に調べると『広辞苑』には、
「1936年(昭和11)2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが国家改造・統制派打倒を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター事件。
内大臣斎藤実・大蔵大臣高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺害、永田町一帯を占拠。
翌日戒厳令公布。
29日に無血で鎮定。事件後、粛軍の名のもとに軍部の政治支配力は著しく強化された。」
というものであります。
高橋是清、斉藤実、渡辺錠太郎、そしてときの総理大臣岡田啓介と間違われて義理の弟であり秘書でもあった松尾伝蔵海軍大佐が射殺されたのでした。
この渡辺錠太郎さんのご息女が、かの渡辺和子先生であります。
このとき渡辺和子先生は、わずか九歳、小学三年生の少女だったのでした。
同じ部屋で、ご自身の父が四十数発もの銃弾に撃たれて亡くなるのをまのあたりにされたのでした。
事件を企てた将校十九名は、一審制非公開弁護人無しの裁判で死刑となったのでした。
それから二月も終わりになってくると、三月十一日が近づいてきますので、東日本大震災について話しました。
あれから十二年、仏教では十三回忌になります。
鎌倉では、神道、キリスト教、仏教がひとつになって追悼と復興祈願を行っていることに触れて今年の三月十一日は円覚寺で開催されることなどについて話しました。
震災があったあとは絆という言葉がよく使われて、人と人とのつながり合い、支え合うことの大切さを実感したのでした。
ところが、今度はコロナ感染症が世界を襲って、人と人とは距離を保たないといけない、できるだけ会わないように、集まらないようにということになってしまいました。
鎌倉での復興祈願祭も、内々で行わざるを得なくなってしまったのでした。
更に世界を見ると、ウクライナで戦争が起って一年、まだ終わりが見えません。
そこへ更にトルコ、シリア地方で大地震があって多くの方がお亡くなりになったのでした。
ちょうどその法話会では始まる前に、トルコ大使館の関係の方が見えて支援の要請がなされていました。
そこで、私も日本とトルコの関係について、和歌山県のエルトゥールル号遭難事故について話をしました。
明治二十三年1890年、オスマン帝国の親善訪日使節団がエルトゥールル号に乗船して日本に来たのでした。
しかし九月に帰国する途中で、和歌山県串本沖で遭難してしまいました。
69名が地元の人たちの懸命の救護活動の結果、救出され、生還に成功しました。
しかし587名は死亡または行方不明となったのでした。
そのことがご縁になって、1985年のイラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領が、イラン上空の航空機について、48時間後から無差別に攻撃すると宣言したときに、当時の日本国は、自衛隊による救援ができなかったのですが、トルコの国が飛行機を出してくださったのでした。
トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っているというので、助けてくれたのです。
そのおかげで215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコの空港を経由して無事に日本へ帰国できたのでした。
そんなご縁もありますので、今回の地震もとても他人事のようには思えないのであります。
そんなことを話して、二二六事件、東日本大震災、コロナ禍、ウクライナ、トルコの地震、それらに共通することは人の死であるとして、死の問題について語り始めて、私が二歳の時から祖父の死を通じてこの道に入るようになったことを語り、朝比奈宗源老師の仏心の世界をお話したのでした。
法話のあとは、そのお寺の奥様が実に心のこもった精進料理のおもてなしを受けたのでありました。
一年ぶりに阪部君にも再会できて、これまた有り難いご縁でした。
横田南嶺