涅槃図絵解き
絵解きは『広辞苑』にも
「絵の意味を解説すること。
また、そのことば。また、その人。
平安末期以後は、職業として仏画・地獄絵など宗教的絵画を説明し、また琵琶に合わせて語ることもあった。」
と説明されています。
古くは紀元前から仏跡や寺院に装飾されたレリーフなどを使って、ブッダの伝記などが語られていたのでした。
日本においても古くから絵解きが行われていたようであります。
平安時代にはすでに絵解きが行われていた記録があるようです。
涅槃図は、お釈迦様がお亡くなりになる光景を描いた一大宗教画であります。
円覚寺にも国の重要文化財に指定されている大きな涅槃図があります。
現在仏殿での儀式に用いているのは江戸期の涅槃図であります。
その涅槃図絵解きをなさっている岡澤恭子さんに久しぶりにお目にかかりました。
このところ東慶寺で毎年岡澤さんの涅槃図絵解きが行われていましたが、コロナ禍でお休みになっていたところ三年ぶりに二月の末に開催されたのでした。
私の日程も空いていたので、久しぶりに岡澤さんの絵解きを拝聴させていただきました。
円覚寺でも一度絵解きをしていただいたことがあります。
コロナ禍の最中に、岡澤さんと私の法話を行う企画も、とある地方で予定されていて、楽しみにしていたのですが、中止となってしまいました。
二年前には、一度岡澤さんのお寺信州の長谷寺にお参りさせていただきました。
絵解きは、文字が読めない人の多かった時代には、お釈迦様のことを知らない人にもよく分かるもので重宝されていました。
また昔は娯楽があまりなかったので、村に絵解きが来るというのは大きな楽しみだったのでした。
しかし、明治の時代に廃仏毀釈があって、お寺が壊されてしまうような時もあり、絵解きも途絶えかけていました。
更に今の時代は、様々な娯楽も増えて、絵解きは無くなるかと思われたそうですが、どうにか今日に到るまで残っています。
そんな貴重な絵解きを今に伝えてくださっているのが岡澤恭子さんであります。
はじめに涅槃図には大きな力があるとして、二人の高僧の涅槃図にちなむ話をしてくださいました。
一人は松原泰道先生でした。
松原先生は、私が中学生の頃にお目にかかって以来の恩師であります。
松原先生が九歳で得度されたときの話であります。
ちょうど二月十五日の涅槃会だったのでした。
得度の師である松原盤龍老師が、涅槃図を見せて、お釈迦様の足元で悲しむ老婆を示して説かれたそうです。
「このおばあさんは、若い娘のころからお釈迦さまに会いたいと、お釈迦さまを探してほうぼうを旅していた。
長い年月が過ぎ、歳をとっておばあちゃんになったころ、ようやくお釈迦さまにお会いできた。
しかしそのときは、お釈迦さまがお亡くなりになったときだった。
お釈迦さまのおみ足に手をかけて、そのおばあちゃんはさめざめと泣いた。
お釈迦さまに会えたけど、ひと言もお説教を聞くことができなかった」というのでした。
更に盤龍老師はまだ幼い松原先生に、
「お前は、お釈迦さまが亡くなってから二千五百年も経っているけど、お釈迦さまの教えを読むことができるんだからな。いい坊さんになるんだよ」と説かれたという話であります。
それからもうお一人は、朝比奈宗源老師でした。
臨済宗のお二方をご紹介されたのは、東慶寺様での涅槃図絵解きだったからでしょう。
ここのところ朝比奈老師の『覚悟はよいか』のことを紹介していますが、その中にもある通り朝比奈老師は、四歳で母を亡くし、七歳で父を亡くされました。
亡くなった両親がどこに行ったのかというのが少年時代の朝比奈老師にとっての大問題でありました。
そんな頃にお寺の涅槃図をご覧になったのでした。
その時の様子は、『覚悟はよいか』から引用させてもらいましょう。
「八つの歳だなあ。 二月十五日の涅槃会にお寺に行った。
お釈迦さまのおかくれになった日だ。
その時分のお寺は、それがサービスだったろうけれど、アラレ(餅を賽の目に切ったもの)を炒って黒砂糖をまぶしたようなものを作っといて、子供が行くとくれるんだよ。
なに? 関西では「お釈迦さんの鼻糞」というんだって?
そりゃあ面白い。
とにかく、その鼻糞にひかれて寺参りさ。
友達と行って、それをもらって拝んだ。涅槃図をな。」
と書かれています。
関西でいう「鼻糞」というのはどういうものか長い間気にかかっていました。
私の田舎ではありませんでした。
関東にもなじみがありません。
先日神戸に行った折に須磨寺にもお参りしてきて、その時にちょうど涅槃会の二日後だったので、小池陽人さんから須磨寺で作った「花供曽」を頂戴しました。
とてもきれいでおいしいひなあられのようなものでした。
絵解きの後に岡澤さんにもご賞味いただきました。
更に朝比奈老師は次のように説かれています。
「禅宗のお寺には、かならずあの障子二枚ぐらいの掛軸がある。
お釈迦さまが涅槃に入られるところをうつした図だ。
それを拝んだら、なんと中央のお釈迦さまは、寝台のうえでゆったりおやすみになっている。
まるで達者な人がうたた寝してるようだ。
とてもこれは人間の「死」に直面した図ではない。
儂はなあ、いまでも思うんだ。
この偉大さは、他の宗教に比類がない。
おそらく教祖の臨終のすがたを、これほど堂々たる気宇のなかで描いたものは、ほかにあるまい。
宗教画としては最高だな。
仏教の「深さ」は、ここにきわまり、日本人が思想的に深まりを持てたのは、やはり仏教のおかげだろう。」
というのであります。
そして朝比奈老師は、
「それだから儂はなあ、和尚さんに聞いたんだ。
お釈迦さまは死んだというのに、なぜ生きているように描いてあるんだ、とね。
すると和尚さんは「うーん」といってね、その和尚さんは特別な人ではなかったが、正直な人でなあ。
「お釈迦さまは、死んでもほんとうは死んだんじゃない。だから、死んだようには「描かないんだ」とこういった。
儂はもうびっくりしちゃってな。
死んでも死なないとは、いったいどういうことかと、食いさがったんだよ。
お釈迦さまは特別に偉い人だから死んでも死なないんだろうか、あるいは儂の父や母のように平凡に生きた人間でもそういうことが可能なのかと、しつっこくたずねた。」
というのであります。
そのお寺の和尚からは満足な答えはもらえずにいたのですが、この「死んでも死なない」ということを課題にしていたことが知られて、お寺に入ることになったのでした。
清見寺の坂上真浄老師のもとで出家されたのでした。
八歳の時に涅槃図をご覧になったことが、朝比奈老師の出家の機縁となったのでした。
そして実際に坐禅修行されてこの「死んでも死なない」いのちを明らかにされて、それを「仏心」と表現して説かれたのでした。
岡澤さんも涅槃図には大きな力があると解説されていました。
今回も実に堂堂たる語り口で、とても気持ちがこもっていて、思わず涙がにじむような絵解きでありました。
終わった後に、ご挨拶申し上げたところ、昨晩はよく眠れなかったなどと仰っていましたが、そんなことを微塵も感じさせない素晴らしい絵解きでありました。
横田南嶺