有り難い学びのご縁 – 中之島 –
中之島での講演を終えてやっと鎌倉に帰ったのでした。
中之島は、人間学塾中之島という勉強会での講演であります。
人間学塾中之島というのは、森信三先生の御高弟でいらっしゃった寺田一清先生の天分塾というのがもとでありました。
それが発展して人間学塾中之島となって、平成二十五年から続いているのであります。
私は平成二十六年から講師を務めさせてもらっています。
今回で、十回目の講演となりました。
初めて人間学塾中之島におうかがいしたときには、寺田先生もお元気で、それからこの会の講師を務めておられた鍵山秀三郎先生もご参加くださって、寺田先生と鍵山先生お二人が最前列に並んで私の拙い講義を聴いて下さったのでした。
今となってはもう懐かしい思い出であります。
寺田先生は、その後も毎回私の講演の時にお越しくださっていて、私もこの人間学塾中之島に出るのは、寺田先生にお目にかかれることが楽しみでもありました。
しかし、さすがの寺田先生もご高齢になって、ご自身で会に出られることはなく、何度か、会に出た折に、お電話で寺田先生のお声をお聞きしてご挨拶させてもらったりしていました。
やがて電話もできなくなり、ついに一昨年の3月31日に寺田先生はお亡くなりになったのでした。
それでもこれだけ通っていると、この会の主な方々とはすっかり顔なじみとなり、受講生の方でも親しい方もできて、その後も毎年おうかがいしているのであります。
私のテーマは一貫して『禅の教えに学ぶ』なのであります。
その『禅の教えに学ぶ』としながらも、その内容については毎回工夫して講義をしています。
初めて中之島にうかがった折には、今北洪川老師の『禅海一瀾』について講義をしました。
それから無学祖元禅師や、夢窓国師について、それから盤珪禅師についてなど話をしてきました。
「坂村真民と河野宗寛老師」と題して講演したり、「釈宗演老師の慈悲と寛容」というテーマで語ったこともありました。
円覚寺の創建の精神である「怨親平等について」についても語りましたのが二〇二〇年の二月でした。
まだこの時は、既にコロナの問題も出ていましたが、それほど気にせずに中之島に行くことができました。
令和三年の時には、多くの方がリモート参加ということになりました。
コロナ禍ということもありましたので、お互いの身心を如何に調えるか、『天台小止観について』話しました。
そして昨年は、日本講演新聞の取材もあったので「ほほえみの種をまく 拈華微笑」と題して講演しました。
そして今年は、「臨済禅師に学ぶ」と題して話をしました。
まず絵本『パンダはどこにいる?』の内容について話をしました。
この絵本の内容についてはご存じのことと思います。
ざっと申し上げますと、大勢の人が動物園のパンダを見ようと、押すな押すなの行列を作って並んでいます。
その行列の中にパンダがいたのです。
ところがそのパンダは、自分がパンダであることが分からないので、自分も見たいと思います。
周りの人たちから、「あなたはパンダなんだから、並ぶ必要はないですよ」と言われて行列から押し出されてしまって、愕然としてしまいます。
パンダを見たいと思って図書館でパンダの図鑑を見たり、どんな暮らしをしているのか調べたりしました。
とうとうパンダになろうと、一生懸命修行を始めます。
目の周りを黒くすればパンダになるかなと思ったり、笹をかじればパンダになれるかなと思ったり、一生懸命パンダの真似をしました。
でも、いくらパンダの真似をしたとしても、パンダであるという自覚がありません。
なんとかパンダになりたい、どうにかしてパンダを見たいと思っているうちに、水溜りに足を滑らせて転びました。
水溜まりから顔をあげて、ふっと泥水を振り払いますと、その動作とまったく同じ動作をしているパンダが、水溜まりにありありと映っています。
それを見た瞬間に、「ああ、これは自分であった! 自分はパンダであった!」と、気づくのです。
すると、パンダは、もうパンダを見に行く必要はなくなって、自分がパンダであるとくつろぐことができます。
その後はごく普通に日々の生活を送りながら、パンダであるのです。
そんなパンダの姿を見てはまわりの人も癒されていくのです。
パンダになるというのは、私たちの修行の目標である仏になることを表わしています。
岩波文庫の『臨済録』のカバーには、
「自らの外に仏を求める修行僧にむかって「祖仏は今わしの面前で説法を聴いているお前こそそれだ」と説く臨済(?ー867)」
と簡潔に説かれています。
仏とは自分の外にあると思って、探してまわるのであります。
パンダも自分がパンダだとは分からずに、図書館に行って調べたり、パンダのマネをしようと努力するのであります。
わたしたちも仏のマネをして、坐禅という形をマネするのであります。
しかし、臨済禅師は、仏というのは、今わたしの面前でこの説法を聞いているあなた自身だと説かれました。
パンダは、パンダを外にばかり求めていましたが、水たまりに映った自分自身の姿を見て、ああ自分がパンダだったのだと気がついたのでした。
わたしたちも仏教の経典を学んだり、坐禅などの修行を通じて、自らがもともと仏であり、仏の心を持って生まれていることを自覚することができるのです。
ところが、この自覚をするのが、なかなか容易ではありません。
あながた仏ですと言われてもピンと来ないのです。
私自身も小学生の頃初めてお寺に行って坐禅して、興国寺の目黒絶海老師が、御講話をなさるときに、老師は「今日ここにお集まりの皆さんは、みんな仏さまです」といって合掌されました。
ここに禅の教えの究極が表わされているのですが、私自身もこのことを納得するには年月がかかりました。
この臨済禅師もまた語録の中で長年苦労したことを述懐されています。
岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「わしも以前、まだ目が開けなかった時には、まっ暗闇であった。
光陰をむだに過ごしてはいけないと思うと、気はあせり心は落ちつかず 、諸方に駆けまわって道を求めた。
のちにお蔭をこうむって、始めて今日君たちとこうして話し合えるようになった。」
というのであります。
「真っ暗闇であった」というのは、「黒漫漫地」という言葉です。
真っ暗な中をさまよい続けたのでした。
また、「わしなども当初は戒律の研究をし、また経論を勉学したが、後に、これらは世間の病気を治す薬か、看板の文句みたいなものだと知ったので、そこでいっぺんにその勉強を打ち切って、道を求め禅に参じた。」
と述べています。
戒律や仏教学などを学ばれたのでした。
しかし、これが決して無駄ではありません。
戒というよき習慣が身についているからこそ、道を外れることがないのであります。
仏教学を学ぶことは、自分自身の偏見を常に正してくれるものです。
更に臨済禅師は、
「これは母から生まれたままで会得したのではない。体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ。」と述べています。
それが黄檗禅師や大愚禅師との出合いによって、そのおかげで気がつくことができたのでした。
人間学塾中之島に、「ああ、中之島」という歌があって、その3番の歌詞に、
「天仰ぎ、地にひれ伏して、願わくば、師恩の光、しみじみと念念感謝」という一節があるのです。
師の恩、学友達のおかげをいただいて教えを受けとめることができるようになるものです。
そこから更に臨済禅師のお説法を紹介して話をしました。
有名な「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す」
であります。
「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。」ということです。
顔から出たり入ったりというのは、顔には目や耳や鼻や舌がありますので、目でものを見たり、耳で聞いたり、舌で味わったりするはたらきであります。
これが実に素晴らしい無位の真人のはたらきなのです。
そうして、「無位の真人」という、自己の素晴らしさに目覚めて、「随処に主と作る」、どんなところでも主体性を持って、「活潑潑地」いきいきと生きることを話しました。
いつものことながら皆さんとても熱心に聞いてくださり、質疑応答も行われて無事今年の人間学塾中之島の講演を終えたのでした。
有り難い学びのご縁であります。
横田南嶺