一生、なにもわからぬ
全国にたくさんある臨済宗の道場の中でも鬼叢林と呼ばれるほど、厳しい修行が今も行われているのであります。
その道場を開いたのが、雪潭老師という方でいらっしゃいます。
享和元年(一八〇一)のお生まれです。
和歌山県那智勝浦町の太田のお生まれであります。
十歳で出家しました。
そのお寺が大泰寺であります。
十八歳で修行の旅にでました。
それから諸国を行脚して修行を重ね、美濃の慈恩寺の棠林宗寿(どうりん-そうじゅ)禅師に参禅しました。
この棠林禅師のもとで臨済宗の公案を極め尽くして、雪潭老師は三十歳の時に、大泰寺に帰って住職になったのでした。
そこで十年間を過ごされます。
雪潭老師は四十二歳で、後の瑞龍寺僧堂になる天沢僧堂に出られ、更に四十六歳で、伊深正眼寺に招かれたのでした。
この正眼寺に修行道場を開いて大勢の修行僧を指導されたのでした。
そのあとを嗣がれたのが泰龍老師であります。
泰龍老師もまたこの大泰寺の住職をなされて、後に正眼寺の師家として招かれたのでした。
明治五年(一八七二)、泰龍老師四十五歳の時、明治新政府は新施策として大教院を設置し、僧侶にも教導職としての認定試験を受けさせようとしました。
泰龍老師もその認定試験を受けなければなりませんでした
修行道場の老師であっても受けないとならなかったのでした。
当時、この試験に仏教側から関わっていたのが、相国寺の独園老師でした。
試験当日、泰龍老師は雲水を随行させて、試験場に当てられていた寺にやって来ました。
試験官には神官の官吏が立ち合いました。
泰龍老師は席に着くと眼を半眼にして深く禅定に入った様子だったとのことです。
まず試験官は、明治新政府が制定した「三条の教則」について試問しました。
三条の教則とは、
「敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事」
「天理人道ヲ明(あきらか)ニスヘキ事」
「皇上ヲ奉戴(ほうたい)シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」の三条です。
これは、当時の明治政府が、日本の国を天皇崇拝と神社信仰を基軸とする近代天皇制国家にするために、宗教者にもその宗教的、政治的方針を示したものでした。
この試験を受けるには当然覚えていなければならないものでしたが、泰龍老師は、「一向に存ぜぬのう」とひと言いって悠揚たるものでありました。
「三条の教則も知らぬとはどういうわけか」と試験管は不機嫌をあらわにしますが、泰龍老師は「さよう。一向に存ぜぬ」と言うのみ。
試験管が「それは困ります。すべて教導職の認定は、三条の教則を基本にして試問することになっています。その教則すらも覚えずして、どうしてこれから民衆を教導されるおつもりですか」と詰問しますものの、
「いや、一向に存ぜぬな」と泰龍老師は悠々とした口調で言うのみなのでした。
試験管も頭にきて、荒々しく席を立ってゆきました。
このことを伝え聞いた独園老師は「さすが老師だけのことはある」と、内心喝采を叫んだと言います。
結局、泰龍老師は独園老師らの斡旋もあって、かろうじて十四階級ある最下級の権訓導を補任されたのでした。
このときに泰龍老師は
「独園も滴水ももう少ししっかりせんと仏法はつぶれるわい」と言いました。
後日、泰龍老師の試験をした担当の神官が独園老師に泰龍老師のことをたずねると、独園老師は、
「お気の毒だが、あなたが泰龍老師の『存じません』の言葉が判るまでには、いまから修行に専念して三十年はかかりましょうな」と言ったのでした。
これは『法脈ー現代禅匠列伝ー』(中外日報)に出ている逸話であります。
こんな話を思い出したのは、先日湯島の麟祥院で小川隆先生の講義を拝聴していた時でした。
小川先生が『大慧普説』という書物から、大慧禅師の言葉を紹介されたのでした。
大慧禅師の言葉として、
「来りて我が禅に参ぜんには、須く一生不会を拚取(へんしゅ)して始めて得(よ)し。」
という一言を示されました。
小川先生は、
「一生、何も解らぬ」という在り方を、しゃにむにモノにして、はじめてよいと訳されたました。
更に「若し速効を要求(もと)むれば則ち相い賺(すか)すと恠(とがむ)る莫れ」と大慧禅師の言葉は続きます。
小川先生は「速効を求めたせいで悟り損ねた時、わしがお前を正しく導かなかったせいだなどと責めるのはとんだスジちがいだ」と訳されていました。
「一生不会」、一生なにも分からぬ、この言葉に心打たれました。
ほんの少し勉強すると、賢しらに知ったかぶりをしてしまうのが私であります。
一知半解を得て、すべてを心得たように思ってしまいます。
「知らざる最も親し」という言葉もあります。
なにも知らないというのが、もっとも真理に親しいというのです。
大灯国師も「無理会の処に向かって究め来たり、究め去るべし」と示されました。
分別や知識では届かないところに向かってただひたすら究明してゆけというのです。
分かったというようなものがあったら、もう遠くして遠しなのであります。
泰龍老師の「一向に存じませぬ」も、大慧禅師の示される「一生不会」も実に高い心境なのであります。
仏光国師の語録には、「百不知百不会」という言葉も出てきます。
もっともこれが、私などが勉強してもさっぱり分からないというのとは次元が違うことも心得ておかないといけません。
ただ分かったと得意になってはいけないと肝に銘じています。
横田南嶺