仏像のはじまり
『増一阿含経』巻二八に説かれている話であります。
どんな話なのか岩波新書高田修先生の『仏像の誕生』にある記述を引用させてもらいます。
「それは釈尊が三十三天(下から二番目の天界)に昇り、そこに死後再生していた生母摩耶(マーヤー)夫人のために説法し、滞在すること三か月に及んだという昇天説法の伝説と結びついて語られる。
地上では久しく仏の姿が見られなくなり、仏を思慕することのあつい優填王は憂愁のあまり病臥するが、群臣の建言を入れて国中の巧匠を集め、いわゆる牛頭栴檀(最上質の栴檀)で高さ五尺の仏の形像を作らせた。
これを聞いた隣国の波斯匿(プラセーナジット) 王もまた、黄金の仏像を造らせ、こうしてインドには二軀の仏像が初めて出現することになった。
一方、天上の仏は工匠の神が神力でたちどころに作り上げた、天と地とをつなぐ三連の階段によって、 諸天(神々)を従えながら地上に降下され、そこに諸国の王たちがみな集まって仏を奉迎した。
そのとき優填王は自分が作らせた栴檀の仏像を奉持して仏に質問し、これに対して仏は仏像を作れば造像の功徳福報があることを説かれたという。」
というものであります。
もっともこれは残念ながら史実ではありません。
歴史的には、仏像は、紀元後一世紀頃、ガンダーラ、もしくはマトゥーラ地方ではじめて作られたのであります。
もともとお釈迦様のお姿を形に表わすのは恐れ多いと思ってか、菩提樹や宝座、法輪などでお釈迦様を表わしていました。
あるいは仏様の足を表わした仏足石でお釈迦様を表わしていたのでした。
『増一阿含経』というと、原始仏教経典のひとつですが、必ずしもそのなかにあるすべてが古い教えとは限らないのです。
後になって付け加えられたものもあります。
このお経が漢訳されたのは三八四ー五年頃だと言われているのです。
更に『仏像の誕生』には、
この仏像について
「その信仰は中国においてもはなはだ盛んであったことが知られる。
中国では優填王の作らせた栴檀像そのものが早い時代に中国に伝来したと信じられ、しかもそれに当るとして崇拝を集めてきた仏像は、中国の文献によると少なくとも唐末から五代の戦乱期にあちらこちらと転々し、北宋の初めには都の汴京(今の開封)にまつられていたという。
ちょうどその時期に北宋に渡っていたのがわが東大寺の僧奝然である。
彼はこのいわゆる栴檀瑞像を拝する機会を得、帰国するに際して九八五年に乗船地の台州(今の臨海)でその模刻像を作らせ、これを日本に請来した。
京都市嵯峨の清凉寺の本尊釈迦如来像がそれである。
清凉寺像については、近年その胎内から文書や銘記などが見出され、制作の事情その他が明らかにされるに至った。
ところで、この像は請来されていらい、三国伝来の瑞像とか生身の釈迦とかいわれて格別に尊崇されたもので、その模刻像も盛んに作られている…」
と書かれています。
1953(昭和28)年にこの仏像の調査が行われたそうです。
そして、その際に背中にフタがあることがわかって、そのフタを開けてみると、像の体内から、なんと絹で作られた五臓六腑の模型が出てきたというのです。
まさしく生きているように作られたのでした。
『仏像の誕生』には、
「このように優填王の作らせたという仏像が、インドから中国・日本を通じて格別に尊崇され、信仰を集めたのは、仏教徒にとってそれが最初の仏像であり、生前の仏の真容を写した最も貴重な最も有難い像であると信じられたからにほかならない。」
と書かれているのです。
清凉寺の釈迦如来像に模した仏像は日本各地で作られていったのでした。
『法華経』には仏像を作り拝むことの功徳が説かれています。
角川ソフィア文庫の『全品現代語訳法華経』から引用します。
「仏の姿を像につくって、祈りの心をささげなさい。
金銀ほか種々の宝玉をもって、あるいは銅・鉄などの金属、木材・泥・漆の布などに仏の吉相を描いて仏像を造り、人にもそれを勧めなさい。
その人々はすでに仏道の成就にすすんでいます。
子どもが戯れに草や木の枝で描いた仏像でも、指の爪で掻き描いた仏像でもよいのです。
その人々は、祈りの心を呼びさまし、慈悲の心に目覚めて仏道の成就にすすみ、数知れぬ人々を菩薩の道に導く者となります。
あるいは仏像・仏画に香華・旛蓋(頭上の飾り)をささげて敬心に祈りなさい。
鼓を打ち、角笛を吹き鳴らし、簫や琵琶など管弦の楽の音と、高らかな讃歌の声をもって仏を讃えなさい。
もし、心から仏を讃えることができない人でも、たとえ一本の花でも仏の像にささげるならば、その人は無数の仏に見えるのです。」
と説かれています。
このように仏像を作り、拝むことにはたくさんの功徳があると説かれています。
禅の教えで申し上げるならば、仏像を拝むことによって、心が安らぎ、お互いの本来の心である仏心が目覚めることになるのであります。
すばらしい仏像はそのお姿に手を合わせて拝むだけでも心が落ち着くものであります。
横田南嶺