人生の目的
その内容は昨日の管長日記で紹介したのでした。
そのあと、更に一時間ほど、質疑応答の時間がありました。
質問といってもその場で受け付けるのではなく、あらかじめ質問を頂戴していたのでした。
いただいた質問は、十一もありました。
そのすべてに一応お答えしたのでしたが、ただひとつだけ答えられない質問がありました。
それは「夫婦円満の秘訣とは?」という質問でした。
私ども、師匠からよく言われていたのは、禅僧というのは、自ら体験したことのみを語れということでした。
体験していないことを語ってはならないというのであります。
残念ながら、結婚する機会を失ってしまって、今日に到るまでひとりで暮らしている私に、夫婦円満の秘訣について語ることはできないのです。
申し訳のないことでした。
心穏やかに、過ごしたいと思いながら、イライラしてしまうのだけれどもどうしたらいいのかという質問がありました。
これは、昨日の本欄でも紹介したように、二十五の方法を語ったところだったので、その話したことを参考にしてくださいと申し上げました。
イライラするのをどうしよう、どうしようと考えていると、なお一層イライラしてしまいます。
イライラの原因は沢山あります。
自分でなんとかできるものもあれば、どうしようもない原因もあります。
どうしようもないものは、どうしようもないのです。
なんとかできるものもあります。
まず食事や睡眠です。
かたよった食事や、睡眠不足は、ただでさえイライラを生み出します。
しっかり、よく噛んで食べて感謝して食事をいただいて、夜はぐっすりと眠るだけでも、かなりイライラは解消されるものです。
それから、姿勢と呼吸です。
姿勢を正して、腰を立てて、ゆっくりと呼吸をするだけで、かなりイライラが解消されるというものです。
五十代なかばの方からは、年々、体力、気力の衰えを感じて、なんとか体力、気力の維持に努めているけれども、老いていく自分自身にむなしさが襲い掛かるのとどう向き合えばいいかという質問もありました。
これは、私もほぼ同世代ですので、よく分かることであります。
衰えていくことは、いくつでもあります。
体力はまさしくその通りです。
頭脳もまさに然りであります。
衰えというのは実感せざるを得ません。
それをどう維持しようかと思ってもなかなか難しいものです。
現状維持は、既に退化であるという言葉もあります。
「人間には進歩か退歩かのいずれかがあって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ。」というのは、森信三先生の言葉です。
維持しようというよりも、何かに挑戦しようという気持ちの方が大切ではないかとお話しました。
私も衰えるものがあるなかでも、昨年もいくつか新しい習い事を始め、今年もまた新しい習い事を始めています。
なにか挑戦しようという気持ちになる方が、体力も気力も維持されるのではないかとお話しました。
一月二十八日の毎日新聞に興味深い記事がありました。
「リハビリのつもりが」という題で、九十二歳という方が、ボクシングのグローブをはめてパンチを打つ写真が載っていました。
とても興味深かったので読んで覚えています。
なんでも都内に「健康寿命を延ばす目的で高齢者にキックボクシングを教えるジムがある」そうなのです。
つえをつき、足を引きずって歩いている方の姿を見た、その御孫さんが、リハビリにと薦めたのが、そのボクシングジムだったのでした
もちろんのことボクシングの経験などないのですが、グローブをはめてミットを打つという新しいことを始める面白さを感じたのでした。
毎日十分程度のトレーニングを二年ほど続けて、今では片足になってキックをすることもできるというのです。
気がついたら、杖の出番もなくなっていたという話でした。
リハビリというのも大切なことでありますが、新しいことに挑戦しようという試みが、身心共に若返らせたのでしょう。
体力気力を今のままで衰えないように維持しようと思うよりも、なにか新しいことに挑もうとする方がよいのではないかと話をしたのでした。
それから、幼い頃から親から、志高く生きるように言われてきて、ようやくこの頃志を高く持つ事の大切さを理解できるようになったのですが、どのようにすれば志を高く持ち続けることができるのでしょうかという質問もありました。
これも、その通りで、志を高く持つ事が大事だと思っても、ついつい日常の中で、目の前のことで精一杯になってしまい、志を見失いがちであります。
そんな時には、自分の尊敬する方の写真などを常に目につくところに掲げておくようにしたりします。
その写真を見るたびごとに、志を思い起こします。
また尊敬する方の書を部屋に飾るのもよいと思います。
日本の家屋には、床の間があって、そこにかける軸を掛け替えるのですが、その時に応じて、自分の尊敬する方の書をかけて、志を思い起こすのもよいことであります。
そんな努力をすることを提案してみました。
一番最後に、私にとって人生の目的とは何かという質問がありました。
この人生で何かを成し遂げようという崇高な願いをもつことは素晴らしいことだと思います。
しかし、あまり大きすぎると、途中で嫌になったりしてしまいます。
それよりも私は一日一日を精一杯生きるように心がけています。
今日の命を今日精一杯生きれば、それが私にとっての人生の目的だと思っています。
一日できる事を、一日精一杯務めることに尽きます。
一日精一杯務めて、ああ今日はよくやったと思って布団に入れば、それで死んだも同然だと思っています。
そして運良く朝目が覚めたならば、今日も精一杯生きようと思うのです。
人生はその連続だと思っています。
そんな中でも新しいことに挑戦し続けたいと思っています。
横田南嶺