心を調えるには
講演会といってもリモートの講演でありましたので、どこにも行かずに、部屋でお話したのでした。
zoomという機能を用いての講演でありました。
この頃は、専ら現地に赴いての講演がほとんどでありますので、オンラインの講演は久しぶりでありました。
二百名ほどの方が聞いてくださったようで、その数の多さに驚いたのですが、オンラインの講演もある程度定着したのだと思いました。
「日本講演新聞セレクト☆スペシャル講演会」という企画でありました。
四回にわたって、四名の講師が講演するのでありますが、私はその第三回目でありました。
いただいた題が、「己を磨く」というものでありました。
そこで自己を磨くといっても、床を磨いたりするのと違って、どうしたらいいのか分かりにくいところがありますので、『天台小止観』に基づいた二十五の方法を紹介して話をしました。
あまり漢文の言葉を使わずに、分かりやすく話をしてみました。
まずは「五つの準備」として、
一番目に「生活においてよい習慣を身につける」ことを話しました。
これは「持戒」ということなのですが、よい習慣を身につけることです。
具体的には、
生き物をむやみに殺さない、
人のものを奪わず、壊さない
嘘偽りを口にしない
道に逆らった愛欲を起こさない
酒に酔ってなりわいを怠ることをしない
の五つが基本であります。
それから二番目に「着る物、食べるものなど生活の環境を整えること」
三番目に「煩わしいところから離れて静かなところにいること」
四番目に「世間のしがらみや情報過多の状況から離れること」
五番目に「よき指導者を得ること」
なのであります。
時には情報過多の状況から離れてみることは今の時代なら、なお一層必要なのではないかと思います。
それから次には「五つの欲望を制御」することです。
六番目に「目を刺激するものから離れること」
七番目に「耳を刺激するような音から離れること」
八番目に「鼻を刺激するような香りから離れること」
九番目に「味覚を刺激するようなものから離れること」
十番目に「身体に触れる快感や不快な思いから離れること」
であります。
あまり刺激の強いものから一度離れてみることです。
感覚に振り回されてしまって自己を見失うことがあります。
それから次には「智慧を覆う五つの煩悩を捨てる」ことです。
これは「五蓋」といいます。
本来の心は清らかな仏の心なのですが、それを覆っているものがあるというのです。
五つのものに覆われているので、本来の心が光を発しないのです。
その五つというのは、
十一番目に「むさぼりを離れること」
十二番目に「怒りを離れること」
十三番目に「心が暗く沈む状態から離れること」
気持ちが鬱々としてやる気がなく、沈んだ状態です。
十四番目に「心が振り回されて落ちかない状態から離れること」
これは逆に心が散り散りになってしまった状態です。
十五番目に、「師の教えや、仏の教えを疑うことから離れること」です。
それから次には「五つの事を調える」のです。
十六番目に、「適度な食事をとること」。
十七番目に、「適度の睡眠をとること」。
食事と睡眠は共に大切なものです。
十八番目に、「身体を調えること」
これは腰骨を立てて姿勢を調えることであります。
十九番目に、「呼吸を調えること」。
二十番目に、「心を調えること」であります。
これら食事と睡眠と姿勢と呼吸と心の五つを調えることなのです。
この五つの中の、姿勢と呼吸と心を調えるのが坐禅です。
そして「五つのこころがけ」として
二十一番目に、「理想を願い求めること」です。
これは、良い意味での欲であります。
はじめから心が散乱して自分中心な物の見方に毒されていると、正しい道理は見えなくなってしまいます。
そんな状態で欲を起こしても、自分中心なわがままな欲しか出てきません。
よく自己を調えてこそ、よい欲も出てくるものです。
それから二十二番目には「努力を続けること」です。
やはり倦まず弛まず努力精進することです。
それから次には
二十三番目に、「理想を実現しようと念じ続けること」です。
念ずれば花ひらくではありませんが、絶えず念じ続けることが大切です。
そして二十四番目に、「理想を実現する為にどうすればよいか工夫すること」です。
そして二十五番目に、「心を一つに集中して専念すること」がございます。
このようにしてよく心が調えられると、正しい判断ができるようになってきます。
正しい判断とは智慧であります。
その第一は、すべてのものをありのままに観ずる智慧です。
この世の中のあらゆるものは皆移ろいゆくと見るのです。
この世にあるものは何一つとして単独で成り立つものはないと見るのです。
そして私ごころのない者にこそ真の安らぎがあると見るのです。
そうすると、自己中心ではなく平等にものをみることができます。
さらにその対象について十分に観察することができます。
それでこそ、今この場でなにをなすべきかが分かってきます。
そうして正しく見ることによって、初めて正しい行動ができるようになります。
正しい行動とは、必ず慈悲の心で行うことができるようになるのであります。
慈悲というのは、
「思いやりのこころ、楽しみを与える情け深さ」と「苦しみを除くあわれみ」と「人々が楽を得るのをみて喜ぶこと」と「かたよらぬ事、こころが平等であること」の四つなのです。
こうして心を正しく調えてゆくことが、己を磨くことに他ならないと話をしたのでした。
横田南嶺