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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.01.26
今日の言葉

形に表わすことの意義

昨年の八月十八日に、この管長日記で、「いのちの意味」と題して、とある七十代の男性のことを書きました。

それは、毎日新聞の「男の気持ち」に掲載された記事を取り上げたのでした。

管長日記のはじめに、

「毎日新聞の今年の一月十三日「男の気持ち」は「歌に励まされ」という題で、栃木県の七十代の男性が書かれていました。

奥様がその前の年の夏に入院されて余命宣告を受けられたそうなのです。

「トイレ以外はほぼ寝たきりの状態だ」と書かれていました。

「そんなとき、妻が大好きな歌の指導を受けていた合唱団の先生が、CDを持って突然来訪した。」

という話でした。

奥様の思い出のある曲を合唱団の先生が独唱されて、ピアノの伴奏をつけて録音されたものということでした。

「どれだけの時間が費やされ、心が込められたことだろうか。妻は涙を浮かべて繰り返し聴いている。弱っているときに受ける好意のありがたさをしみじみ感じる毎日だ。」

と書かれていたのでした。

残念なことに、この「男の気持ち」が新聞に掲載された日は、なんとその奥様のお葬式の日だったのでした。

そんなことを、昨年の八月十二日掲載された同じ方の「男の気持ち」で知ったのでした。

「ある程度予想はしていても、人の死は誰にとっても重い。」と書かれているように、いくらやがて別れは来ると分かってはいても、身近な人が亡くなるということは悲しく辛いものであります。

「亡くなった人は人々の記憶の中に移り、やがて忘れ去られるのだろう。

それも摂理だ。無駄な抵抗とわかっていても少しでも長く記憶に残るように、妻の生きた証しを小さなフォトブックに集結させようと今、作成に励んでいる」

と書かれているのが心に残ったので、管長日記に書いたのでした。

そこから、西田幾多郎先生が、五人のわが子を亡くしたことに触れて、

「時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。

…折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である、死者に対しての心づくしである。

この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである」と「我が子の死」という文章を紹介していました。

それから長女を亡くされた坂村真民先生の話に触れています。

そして昨年のある講演会で、生まれて数歳で亡くなったご自身の子どもが生まれてきた意味、亡くなる意味を問われたことについて書いていました。

管長日記では、

「意味は、人の心がつくるものだと思います。

大事に思えば大事な意味が現れます。

そこから生きる力を得てゆけば、生きる力になるという大きな意味が出てきます。

意味は作り出すものだと思うのであります。

亡き人の事を思うと、それだけで大きな意味があるものです。

折に触れて、思い出し、供養をするのは大きな意味があるのです。」と書いています。

さて、その「男の気持ち」を書かれた方が、私の管長日記を聞いてくださり、ご丁寧なお手紙を昨年書いてくださっていたのでした。

そしてお手紙には、亡き妻のために作ったフォトブックを差し上げたいと書かれていたのでした。

すぐに返事を書いて日程を調整して、先日ようやくお目にかかることができました。

奥様は肺ガンを患っておられたことなど、いろんな話を聞かせてもらいました。

いただいたフォトブックをざっと拝見して、実に丁寧にお作りになっていると感じましたので、これだけのものにまとめるのに随分とたいへんだったでしょうと申し上げました。

私なども本の出版には、関わってきていますので、一冊にまとめる苦労というのは身にしみています。

何ヶ月もかけて、奥様の写真を選び、編集されたのだと思いました。

森信三先生は、『修身教授録』の中で「成形の功徳」ということを説かれています。

「すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現れない。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものです。」

というのです。

奥様のことを思って心をこめてフォトブックをお作りになったそのお気持ちは、有り難く尊いものです。

ご遠方からの来山ということもあり、またその方も毎日文章を書いているということからも話が弾みました。

何か共通の話題があると話も弾みます。

毎日どうやって文章を書いているのかなど、こちらも聞かれるままにお答えしていました。

時の経つのも忘れるほどでありました。

うかがった話で印象に残ったのは、奥様が可愛がっていた猫が、初盆を終えた送り火の日に死んだということでした。

動物も、言葉ではない何かを感じているのではないかと話をしたのでした。

お帰りになってから、頂戴したフォトブックを仏前にお供えして、一人で読経しました。

一度もお目にかかることのなかった故人でありますが、ご供養させていただくと有り難い気持ちになりました。

毎日こんな文章を書いて、配信しているおかげでご縁が結ばれたのでした。

何か形に残しておきたいと思う気持ちは、尊いものであります。

 
横田南嶺

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