この鐘の声、釈迦牟尼の声
円覚寺では、小高い丘の上に、国宝の洪鐘がございます。
北条貞時公の時に作られた大鐘であります。
七百年の歳月の重みを感じる重厚な音色であります。
除夜の他、開山忌の時など、一年に数回しか撞かないのであります。
この重低音の鐘の響きはなんともいえないものがあります。
都会や住宅地の寺では、除夜の鐘がうるさいという苦情もあるようですが、鎌倉ではさすがにそのような声は聞こえません。
除夜の頃には、あちらこちらの鐘の音が、遠くから近くからと響き渡っています。
さて、この除夜の鐘について調べてみましたが、よく分からないことが多いのです。
まずは『広辞苑』で調べると
「除夜の鐘」は「除夜の夜半、正子の刻に諸方の寺々で、百八煩悩を除去する意を寓して108回撞く鐘」と書かれています。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「除夜の鐘」は
「一年の最後の晩に、旧年を送り新年を迎えるために各地の寺院で撞(つ)く鐘。
<除夜>とは「旧年を除く」〔文明本節用集〕ところから名付けられ、<除夕>ともいう。
除夜の鐘は、凡夫の持つ百八煩悩(ぼんのう)を除去し清浄な新春を迎えるため、その数だけ打ち鳴らすとされる。
起源は明らかでないが、歳暮に当年の労をねぎらうため除夜の宴が盛んとなった風とも関連があろう。
ただし煩悩の数え方は多様である。」
と書かれています。
『禅学大辞典』には、「除夜の鐘」という記載はなく、「除夜」が「旧暦の十二月三十日の晩。禅院では住持の小参が行われる」とのみ書かれています。
禅の語録には、除夜の小参という説法はよく出てくるのですが、鐘というのは古い語録で見たことはありません。
いつ頃からなのかよくわからないのであります。
百八の煩悩も諸説あるようです。
『広辞苑』には、
「百八煩悩」として、
「〔仏〕一切の煩悩。
一説に、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根におのおの好・悪・平の三を数え、この十八類に浄・染の二つがあり、さらにこの三十六類を三世に配当して百八とするという。」
と解説されています。
分かりやすく解説すると、お互いの眼 ・ 耳・ 鼻・ 舌・身体・意識の六根が外の対象に触れてそれぞれに心地よいか、気持ちが悪いか、どうでもよいか三つの反応があります。
これで十八になります。
その十八それぞれに清らかか、汚いか二種類がありますので、三十六になります。
その三十六が、過去現在未来の三世にわたりますので、三をかけて百八になるというのであります。
『仏教辞典』には
「百八煩悩」を
「人間のすべての煩悩を数えあげたもの。<百八結業>ともいう。
<百八>はインドでは数が非常に大きいことを表す。
<百八>の具体的な内容については諸説があるが、一般には見道(けんどう)および修道(しゅどう)にて断つべき98の煩悩に随煩悩の中の十纏(てん)を加えたものをさす。
中国では中国思想の節気と結びつけた説明もなされた。
百八の鐘(除夜の鐘)をつき、百八の数珠(じゅず)を用いるのは、この百八煩悩を断ずるためである。」
と解説されています。
これまた難しいものであります。
月の数の十二、二十四節気の数の二十四、七十二候の数の七十二、これらをすべて足したのが百八になるという説もあるそうです。
私なども自分で鐘を撞きながら、いつから行っているのか、百八とは何なのかよく分かっていないのです。
ただ確かに言えることは、鐘を撞いたからといって煩悩がなくなるのではないというこです。
鐘を撞いて煩悩がなくなるのなら、毎日でも何回でも撞きますが、そんな簡単なものではありません。
そもそも鐘を撞いて煩悩をなくそうと思うこと自体が煩悩と言えるかと思うのであります。
それから四苦八苦をかけて説明することもあります。
これはたんなる掛けことば、四九、三十六と八九、七十二を足して百八だというのですが、これなどあまり意味がないと思います。
というわけでよく分からないけど毎年撞いているのが除夜の鐘であります。
煩悩はなくなりませんが、せめて世の中が安穏でありますように、皆が幸せでありますようにと祈って鐘を撞いているのであります。
後に永平寺の禅師様となられた森田悟由禅師の修行時代の逸話があります。
奕堂禅師のもとで修行していた頃です。
奕堂禅師がある朝、鐘楼からきこえて来る鐘の音に耳をすましていました。
禅師は、今朝の鐘の音には、いつもにない深いひびきがあると感じました。
そこで禅師はおつきの僧を呼んで、「今朝の鐘をついたのはだれか」と尋ねました。
僧は「まだ入って間もない小僧でございます。」と答えました。
禅師は「そうか。たずねたいことがあるので、その小僧をすぐ、ここに呼んでおくれ。」と頼みました。
間もなく、一人の小僧がはいって来ました。
禅師は小僧を見ながらたずねました。
「今朝の鐘をついたのはあなたかな。どのような気持ちで鐘を撞いたのかな。」と。
小僧は恐縮して「べつにこれと申す心得もございません。ただ定めに従いまして撞きましただけで」と答えました。
「いや、そうではあるまい。世の常の心では、ああは撞けるものではない。
何も遠慮することはない。かくさず、あなたの気持ちをきかせてはくれまいか。」と言うと、
「おそれ入ります。では申しあげますが、実は国もとにおりましたころ、いつも師匠に、鐘を撞くなら、鐘を仏さまと心得て、撞くようにと言い聞かされておりましたので、今朝もそれを思い出し、ひと撞きごとに、礼拝をしながら撞いたまででございます」と答えました。
奕堂禅師は聞きおわって、いかにもうれしそうにうなずきました。
この小僧こそは、実に、後年の森田悟由禅師だったという話であります。
こういう心持ちで鐘を撞いていれば、それは仏道の修行になるのであります。
朝比奈老師が、ある鐘に書かれた銘に、
人はみな仏なるぞと告げわたる
この鐘の声釈迦牟尼の声
とあります。
お釈迦様を拝む心で鐘を撞けば、その鐘の音は、そのままお釈迦様の声となることでしょう。
横田南嶺