ハイッありがとうございます
そこには、
「やっと一首にまとめることができました」として、
「なにごとも ハイッ ありがとうございます
あかるく すなほ かんしゃの道を」
という和歌が書かれていました。
そして「なんでもない平凡きわまりないものですが、この一首にいたるまで相当かかりました」と添え書きがありました。
これは平易な和歌ですが、仏教の、いや宗教生活の真髄が説かれていると感服しました。
寺田一清先生は、森信三先生の高弟でいらっしゃいます。
昭和二年にお生まれになって、令和三年にお亡くなりになりました。
九十四歳でいらっしゃいました。
寺田先生は大阪の岸和田で呉服商を営んでいらっしゃいました。
ですから、教育とは何の関係もなかったのでしたが、三十八歳の時に小学校時代の恩師の勧めで森信三先生の全集を買い求めたのが縁で、先生と面会することになったのでした。
寺田先生は、初めて会った時の森先生のお話に感動して、この人こそ生涯の師と思い定めてそれからずっと森先生がお亡くなりになるまで師事されたのでした。
森信三先生が創設された「実践人の家」の常務理事をお勤めになって、そこで専ら森信三先生の出版編集事業を担当されていました。
新輯「森信三全集」八巻をはじめ「講演録」「墨蹟集」「不尽叢書」ほか数多くの編集出版に従事されたのでした。
『森信三一日一語』も寺田先生の編集によるものです。
私が初めて寺田先生にお目にかかった折に、
「私が三十八で森先生に巡り合って以来、先生から学んだことの集大成がこの本です」と仰せになっていたことを思い出します。
私は、この『森信三一日一語』の本を、寺田先生にお目にかかる前から持っていて、愛読していました。
よく修行僧に話をする時にも使わせてもらっていたのでした。
初めて寺田先生にお目にかかったのが、平成二十四年の十一月のことでした。
その年に夏に、中條高徳先生が円覚寺にお越しになってお目にかかり、その時のことを中條先生が、月刊誌『致知』にお書きになったのがご縁でありました。
その当時私は、まだ『いろはにほへと』の本しか出していなかったので、その『いろはにほへと』を謹呈したのでした。
その中に森先生の言葉を引用させてもらっているのです。
そんなところから、致知出版社の企画で寺田先生と対談することになったのでした。
対談は、平成二十四年の十二月でありました。
そこからいろんなご縁が弘まりました。
月刊誌『致知』には、平成二十六年から「禅語に学ぶ」という連載を始めました。
同じく平成二十六年から、寺田先生が主催されていた中之島人間学塾に出講することになりました。
毎年二月に講義をさせてもらっています。
初めて中之島人間学塾で講義をした折には、最前列に寺田先生と鍵山秀三郎先生とが並んでお坐りになっていて、ずいぶんと緊張したものでした。
寺田先生は、森信三先生の『修身教授録』の読書会を全国でお開きになっていました。
こうして森先生の教えが広がっていったのでした。
円覚寺にもお越しいただいて、読書会の方法を直々にお教えいただきました。
今も寺田先生に教えていただいた通りに、円覚寺でも読書会を続けています。
さて、この「ハイッありがとうございます」の一言について、寺田先生のたねまき文庫34集には、
「「ハイッありがとうございます」は、深浅・厚薄の差こそあれ、どなたにも理解されやすいお題目であります。
そしてこの「ハイッ」が、独特のニュアンスで、肝心かなめなのです。
この「ハイッ」の一語で、もろもろの「不平不満・グチ・泣きごと」の煩悩一掃・情念浄化の意を含んでおります。
その「ハイッ」がなかなか言えず、そこに安心立命を見出せないのが、普通一般の性と云えます。
それゆえにこそ、「はい、はい」でなく「ハイッ」の一語なのです。
この「ハイッ」の一語によって、比較・相対観を打破するのです。
超脱するのです。
そして絶対境へ躍入するのです。
かくして安心・立命・感謝の境涯に到り得るのです。」
と解説されています。
また「すなほ」について、寺田先生は、「大阪弁でいうなれば」として、
すばらしいな(礼賛)
なるほどなあ(従順」
ほんまやなあ(納得)
を意味すると説かれています。
寺田先生は、仏教や禅にも造詣が深く、いろんな方について学ばれていました。
私が初めて禅の指導をいただいた目黒絶海老師のこともご存じで驚いたことでした。
般若心経の意訳もなされていて、
「観自在菩薩行般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」のところを
「すべてを透観された菩薩さまは、深い智慧により宇宙の真理を実践せられ、この五体そのものが宇宙の真理そのものであると体認自証せられ、一切の苦悩を救済せられました。
舎利子よ、すべての現象は宇宙生命の現われに他なりません。宇宙生命はもろもろの現象となって具現されております。個別現象即宇宙生命です。宇宙生命即個別現象です」
と訳されています。
空を否定的に解釈するのではなく、宇宙の真理、あるいは宇宙生命と訳されているところは深い洞察であります。
岸和田で開催されていた読書会は、この度四百回を迎えるということです。
四百回の記念大会は寺田先生を偲ぶ会を兼ねると聞いています。
今思うに、寺田先生は最後まで、真実の道を求め続けられた求道者であったことに改めて敬服します。
横田南嶺