「ほとけ」とは? – その二 –
「中国・日本において大乗各宗の成仏の捉え方は多様であるが、衆生は本来仏性(成仏するための因子)を有するという如来蔵思想などを背景に、この肉身のままに釈尊と同じ悟りの境地を体現できるとする<即身成仏>という考え方が根底にある。」
と説かれています。
それまでの仏教の考え方では、仏になるには三阿僧祇劫というような、膨大な時間がかかるとされていました。
輪廻転生の思想がもとになっていましたので、何回も何回も生まれ変わりを繰り返して、しかも数え切れないほどの長い時間をかけるというのでありました。
しかし、『仏教辞典』には、
「即身成仏を説く代表とされる密教では、歴劫修行の過程を、真言を唱えることによって代替できると考え、成仏を身近な位置に引き寄せた」と説かれています。
長い長い修行を、真言を唱えることに代えることができるというのです。
そして、
「このような発想は、表現は一様ではないにせよ、華厳宗の疾得成仏の説や、天台宗の初住位での成仏、また、禅宗の<直指人心見性成仏>つまり、自己の心(清浄なる本性)を徹見することが成仏に結びつくとする頓悟の主張などにも通底しよう」と説かれています。
ここで禅の教えが出てまいります。
そして「さらには、念仏の功徳により阿弥陀仏の安楽世界に往生してから成仏すると主張する浄土教でも、成仏が手の届き易い範囲に位置する点では同じ流れに属すると考えられる。
特に、浄土真宗では<往生即成仏>、すなわち、往生がそのまま成仏であると考える。」と説かれているのであります。
成仏が遠い遠い未来の話ではなくなったのでした。
真言密教では、真言を唱えることによって成仏できると説かれ、禅では、心の本性を見ることによって成仏できると説かれ、浄土真宗では念仏を唱えて往生することで成仏すると説かれるようになったのでした。
禅では、心の本質を見ることによって仏になるというのですから、心の本質というのは、仏の心にほかならないのであります。
そこで馬祖禅師は「各の自心是れ仏、此の心即ち仏心なり」と説かれたのでした。
馬祖禅師は、仏とはどのようなものですかと問われて、「ほかならぬこの心こそが仏である」と答えられています。
これが即心是仏という言葉であります。
「如何なるか是れ仏」、仏とはどのようなものですかという問いは、禅の問答ではよく出てくるのであります。
『無門関』にも三つ出てきます。
その一つが先の馬祖禅師の答え「即心是仏」でした。
他にも洞山守初禅師は「麻三斤」と答えています。
これについてはいろんな解釈がなされてきましたが、入矢義高先生の綿密な考証によれば、麻の僧衣一着分を作ることのできる材料の単位なのであります。
その他に、洞山禅師のお師匠様にあたる雲門禅師は「乾屎橛」と答えています。
「乾屎橛」についても古来いろんな解釈がございました。
『禅学大辞典』には、「くそかきべらの乾いたもの、転じてもっとも汚いもの。また無用のものをいう」と解説されています。
しかしながら、これも入矢義高先生が、『自己と超越』の「乾屎橛」の章で明らかにされているように、「従来解釈されてきたような「くそかきべら」のことではなくて、「乾いた棒状の糞」のこと」なのであります。
中国の辞書『辞海』にも「屎を拭うの橛也」と書かれているそうなのです。
もっともこのようなものが用いられていたのは事実のようであります。
また実際に葉県禅師の問答のなかには、如何なるか清浄法身と問われて「厠坑頭の籌子」と答えていますが、これはまさしくそのようなへらのことだそうです。
実際に紙が貴重だった時代の中国では、大便のあとにへらで拭っていたということなのです。
そこで乾屎橛もそのようなものと混同されたのではないかと察します。
しかし、入谷先生の綿密な考証によれば、乾いた棒状の糞とのことなのです。
そこで只今『広辞苑』においても、「乾屎橛」を
「〔仏〕禅語。棒状の乾いた糞。
「如何なるか是れ仏」という問いに対して雲門が答えた語。
仏につきまとう有難いイメージを壊し、卑近な物に仏を見出す。」と解説されているのであります。
朝比奈宗源老師は、『無門関提唱』の中で次のように提唱されています。
「乾屎橛とは昔からクソカキベラと云つている。
中国で人が大便をしたあとで、尻をこすりつけて塵紙代用をする杭だと説明されているが、しつかりしたことは分らない。
要するに余りきれいでないもののことはたしかだ。
「いかなるかこれ仏』。『クソカキベラ』。
普通、仏とは尊いもの、清浄なもの、拝まれるべきものと思っているのに、雲門はそれらの観念に遠い『クソカキベラ』と答えたのだ。
しかしこれは、雲門が僧のもつている仏の概念をぶち砕くためにこう答えたのだなどと云ったら白雲万里だ。
そんな意味で云ったとしたら『いかなるかこれ仏』という間に対する禅者の答とはならない。
この答えが前にいうように直きに仏そのものであるのは、そうした思慮分別をさしはさんでいないからだ。
たゞ『乾屎橛』である。 きたない意味もなく、そしる意味もない。
この「ただ」が分らなくては禅者でない。洞山の麻三斤も同じだ。」
というのであります。
このへんになってくると、実際に禅の修行をしてみないことには分かりがたいことです。
更に朝比奈老師は、次の話を書かれています。
「わが国でも山国の木材が豊富で紙の乏しいところでは、サワラなどの木を竪六七寸位、幅四五分位にきり、うすく割って大便のあとをぬぐうことが行われた。
私が廿五才のとき飛騨の久々野在の青屋村の山奥で百余日独接心をした。
そのとき附近の村では大概それを用いていた。
箱を二つおいて、一つは新しいのを、一つは使用したのを入れてある、
それを糞壷に落すと肥料に使用するに邪魔になるから、こうしておいてあとで河に流すのだ。
その木片が益田川から木曽川に入って、下流の沿岸に上ると、きれいになっているので、みなよろこんで焚木にしているときいた。
私も帰国するときその新しいのを四五本、もちろんまだ便所の箱に入れられないのを話の種子に貰って取り、よく世話になるお婆さんにほかの土産物の間へ一本はさんで届けておき、あとから行って説明しようと思い、「この間とどけた土産の中の木片は?」ときくと、「あれですか、 あれはいずれ貴いものだろうと思い、神棚に上げておきました。どういうお札でしよう」と云われたのには弱ったことがある。
しかし、それほどさっぱりした品のよい木片である。
雲門はクソカキベラを仏として扱ったが、私のはお国柄だけあってすんでに神様になるところであった。」
というのであります。
この話がおもしろくて、私も『無門関』を講義するときに用いていましたが、今日のようにこれがくそかきべらでなくなってしまうと、使えなくなってしまったのでした。
いずれにしろ、大乗仏教になってみんな仏になれると説かれるようになり、禅では麻三斤や乾屎橛とまで説かれるようになっていったのでした。
横田南嶺