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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.25
今日の言葉

「ほとけ」とは?

とあるセミナーで、高楠順次郎先生の言葉を紹介しました。

何年か前に、武蔵野大学に講演に行った折に、大学の入り口のところに高楠順次郎先生の言葉が掲げられていたのでした。

それは

「人間の尊さは可能性の広大無辺なることである。その尊さを発揮した完全位が仏である」という言葉でした。

感動してその場で書き写してきたのでした。

仏とは「無限の可能性」であるというのであります。

大乗仏教ではみんな本来仏であると説きます。

みんな誰しも「無限の可能性」を本来持っているのです。

そんな話をしたところ、参加者の方から、

「『仏とは広大無辺な可能性を完全に発揮した人』という説明がありましたが、従来、亡くなった人のことを「仏さん」と言います。この違いをご教授ください。」
という質問をいただきました。

なるほど、たしかに一般の方にとってみれば「ほとけ」というと亡くなった人のことを思います。

刑事ドラマでも殺人現場に刑事が到着すると、「ほとけの身元は?」などと聞いているものです。

「ほとけ」の本来の意味とは何か、そしてなぜ亡くなった人のことを「ほとけ」というようになったのか、いろいろ調べてみました。

すると知らなかったこともたくさんあって、勉強になりました。

まず「ほとけ」を『広辞苑』で調べてみると、

①〔仏〕
㋐悟りを得た者。仏陀。

㋑釈迦牟尼仏。

②仏像。また、仏の名号。

③仏法。

④死者またはその霊。

⑤仏事を営むこと。

⑥ほとけのように慈悲心の厚い人。転じて、お人よし。

⑦大切に思う人。

という七つの意味が出てきます。

やはり一番には悟りを開いた人、仏陀であり、お釈迦さまであります。

死者という意味は四番目に出ています。

更に岩波書店の『仏教辞典』で「ほとけ」を調べてみますと、

「<仏(ぶつ)>の訓読語」とあります。

「仏(ぶつ」を調べてみると

「<ブッダ>すなわち<目覚めた人><真理を悟った人(覚者)>の意をあらわすサンスクリット語に対応する音写。

古くは<浮図(ふと)><浮屠>とも音写され、後には<仏陀>などと音写された。

ほとけ。もとはインド一般に、真理をさとった聖者を意味していた。

仏教の歴史においては仏教の開祖シャーキヤムニ(釈迦牟尼、釈尊)をさすが、教理上は、悟りの普遍性の故に、広く修行者によって達成可能な目標とされる(とくに大乗仏教)。」

と解説されています。

「ほとけ」とは真理を悟った人なのであります。

この「ぶつ」がどうして「ほとけ」となったのか、これには諸説あるようなのです。

まず岩波の『仏教辞典』には、

「その語源については、中国で古く仏(buddha)が<浮屠(ふと)><浮図>と音写され(『後漢書』楚王伝、桓帝紀)、それに<その道の人>を意味する<家(け)>、または性質・気配を意味する接尾語<け>がついて成ったという説」が紹介されています。
「ぶつ」は「ふと」に、そしてそれに「け」がついて、「ふとけ」「ほとけ」となったという説であります。

次に『仏教辞典』には、

「<ほとほりけ>(熱気)からきたもので、仏教が日本に伝来したときたまたま熱病が流行したためにこのように呼ばれたとする説」

が書かれています。

この説は全く存じ上げませんでした。

それから更に

「<ほどけ>(解)からきたもので、仏とは煩悩を解き放った存在であるというところからこう呼んだとする説がある」というのです。

「ほとけとは、ほどけることだ」というのはよく聞かれる話であります。

解脱とは、ほどけることでもあるので意味も通じているのです。

『仏教辞典』には、「いずれも推測の域を脱しない」と書かれていますので、たしかなことは分からないようです。

『広辞苑』にも「ほとけ」の語源については、

「ブツ(仏)の転「ほと」に「け」を付した形、また、「浮屠ふと家」「熱気ほとおりけ」「缶ほとぎ」など、語源に諸説がある」と記されています。

それから「仏の意味で<ほとけ>という和語を使った最初の例としては、753年(天平勝宝5)の薬師寺仏足石歌「釈迦(さか)の御足跡(みあと)石(いは)に写し置き敬(うやま)ひて後(のち)の保止気(ほとけ)に譲りまつらむ捧げまうさむ」が挙げられる」のだそうです。

ずいぶんと古い時代から「ほとけ」という言葉が使われていたことが分かります。

それから、問題となるのが死者をほとけと呼ぶようになったことについてですが、『仏教辞典』には、

「一方、<ほとけ>が死者の意味に使われるようになったことについては、中世以降死者を祭る器として<(ほとき)>が用いられ、それが死者を呼ぶ名ともなったという説がある。」のだそうです。

こういう説も存じ上げませんでした。

死者を祭る器「ほとき」から転じたというのです。

更に『仏教辞典』には、

「しかし、日本では人間そのまま神であり(人神(ひとがみ))、仏教が伝来した当初は仏も神の一種とみなされた(蕃神(となりぐにのかみ))ことから推して、人間そのまま仏とされ、ひいては先祖ないし死者を仏(ぶつ)の意味で<ほとけ>と呼んだとも考えられる」と解説されています。

人はみな仏であるから、先祖も死者もほとけだというのです。

これは死者に限定されたことではありません。

それから更に興味深いことには、『仏教辞典』に、

「なおキリスト教伝来時には、創造主のデウス(Deus、天主)とその下生または子とされたイエス‐キリストを仏といい、その教えを仏法と称した。また仏キ習合的理解から、信者が死んでパライゾ(paraso、天国)に行くことを「仏になる」とも言った。」とかかれているのです。

イエスさまのことを「ほとけ」と呼んでいた時期もあったというのです。

ほとけになるという「成仏」はどういう意味かというと、『広辞苑』には、

①〔仏〕煩悩を断じて悟りを開くこと。仏になること。

②(死ぬと直ちに仏になると考えられたことから)死ぬこと

という二つの意味が記されています。

『仏教辞典』には、

「仏・ブッダとなること、悟りをひらくこと。

仏教でいうところの真理(伝統的に<法)>と呼ばれる)に目覚めること」という解説があります。

「初期仏典・部派文献では、成仏は実際上、釈尊一人に限定されるのに対し、大乗仏典では、広く衆生一般にも成仏の可能性を認めるという相違がある」と書かれています。

大乗仏教では、みんな仏になれると説いたのです。

そこから、仏になれるということは、仏になる種がこころに宿っていると説くようになりました。

それは、みんな仏の心を持っているのだということです。

そして更に、お互いの心が仏であると説くようになったのが禅の教えなのであります。

「ほとけ」という言葉、実にいろんな変遷があって今日使われているのです。

亡くなった人のことを「ほとけ」というのも中世以来のことですから、かなりの伝統のある使い方なのであります。

しかし本来の「真理に目覚めた人」という意味を忘れてはなりません。

 
横田南嶺

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