草や木も皆仏なり
山梨平四郎の話であります。
昨年の十二月にも話をしていて、「“禅”らしい禅」と題して十二月十三日の管長日記に書いています。
山梨平四郎は、静岡県庵原に生まれていて、庵原の平四郎と呼ばれています。
平四郎というともう一人、真壁の平四郎という方がいらっしゃるからです。
山梨平四郎は、造酒業を営む家に生まれました。
宝永四年一七〇七年のお生まれです。
一七四三年に家督を継いで平四郎を名乗りました。
四女二男に恵まれたのですが、長男が早くに亡くなってしまいました。
そこで、山中の滝のあるところにお不動様さまをお祀りしていました。
たまたまその滝に落ちる水の泡を見ていました。
水の泡がたくさん浮かんでは消えてゆきます。
ある泡は、しばらく浮かんでいてから消えます。
そうかと思えば浮かんだと思うとすぐに消える泡もあります。
そんな泡の浮かんで消える様子を見ていて、世の無常を感じます。
世の中の無常なることは、この水の泡のようなものだと。
そんな無常観が身に迫ってきて、じっとしていられなくなりました。
たまたまある人が沢水禅師の法語を読んでいるのが耳に入ってきました。
怠けて修行していると、悟りは永遠の彼方になってしまうし、勇猛に修行してゆけば成佛はこの一念にあるという言葉がこころに響きました。
そこで志を立てて、一人浴室に入って中から堅く戸を閉めて、独自の坐禅をしたのでした。
その坐禅の様子が、白隠禅師の書かれた書物には、
「脊梁骨を竪起し、両拳を握り、双眼を瞪し、純一に坐禪す」と表現されています。
腰骨を立てて、両手の拳を握りしめて、両目を開いて一点を見つめて、純一に坐禅したのです。
すると心の中には、まるで蜂の巣をつついたように煩悩妄想が沸き起こってきました。
ただその心に沸き起こる煩悩妄想と戦ってそれらを断ち切って深く禅定に入っていったのでした。
一晩中そのように坐り抜いて、明け方雀の鳴く声を聞いて気がついて、自分の体を探してみるのですが、体がどこにもないという状態になっていました。
ただ両方の目が地面にあるのが見えたのでした。
しばらくすると体の感覚が戻ってきて、握りしめていた手に爪が食い込んでいて、その痛みを覚えました。
そうするとようやく両目ももとの位置に戻ったのでした。
そこでやっと手足が動いて立てるようになりました。
そのように三夜坐ったのでした。
三日目の朝に、顔を洗って庭を見ると、今まで見ていた景色と違っていました。
不思議なことがあるものだと思って、ちかくのお坊さんにその心境を語っても理解してくれません。
そこで当時から名前を聞いていた白隠禅師のところに行ってお目にかかろうと思いました。
籠に乗って、薩埵峠を越えて田子浦の風景を見ると、今まで自分が得た体験は、草木国土悉皆成仏の端的であったと気がついたのでした。
白隠禅師にお目にかかって問答してみると、いくつかの公案をたちどころに透過したというのです。
そこで白隠禅師は、彼は一介の凡夫であり、坐禅というのはどのようにするのか、修行というのはどういう風にするのか何も知らないけれども、わずか三日三晩でこのような心境に達したのだ、彼はただ勇猛果敢に気迫をもって、妄想と戦って勝ちを得たのだと皆に説法されたのでした。
修行するものは、このような「勇猛の憤志」を起こさないといけないと説かれたのでした。
白隠禅師六十四歳、平四郎四十二歳の時でした。
この薩埵峠というのは、東海道の由比宿と興津宿を結ぶ所にあります。
鎌倉時代に由比倉沢の海岸で漁網にかかった地蔵菩薩の石仏をお祀りしたことから、薩埵峠というのです。
地蔵菩薩の菩薩は、菩提薩埵の略なのであります。
あの百人一首にもある有名な和歌、
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
という山部赤人の作は、このあたりの景色を詠んだのではと言われています。
歌川(安藤)広重の東海道五十三次「由井」にも描かれている名勝であります。
先日車で出掛ける機会があったので、この薩埵峠からの景色を拝見してきました。
ちょうどお天気もよくて、こんな素晴らしい景色を見ると、「草木国土悉皆成仏」という気持ちにもなります。
草木国土悉皆成仏は、岩波書店の『仏教辞典』によれば、
「草・木・国土など心を持たないもの(非情)すべてが、人間など心を持ったもの(有情)と同じように仏性があって成仏することをいう」という意味です。
しかし、『仏教辞典』には、
「なお、この句の前には「一仏成道、観見法界」(一仏成道して法界を観見すれば)とあり、もともとは仏の成道の観点から見た場合のことをいい、あるがままの自然がそのまま成仏するという意味ではない」とも書かれています。
つまり草木がそのまま仏であるというよりも、悟りを開いた仏の眼からみれば、草も木も国土も成仏して見えるというのであります。
同じく『仏教辞典』には、
「草木成仏」という言葉として説明されています。
そこには「草や樹木のような心を有しない非情のものでも、有情(衆生)と同じように仏性をもっており、仏となることをいう。
<無情成仏><非情成仏>ともいう。
有情・非情などの差別の見解を超えたならば、万法はすべて真如仏性の顕現以外なにものでもないのであるから、非情の草木もまた成仏することができるとする」と説明されています。
更に「仏性について、涅槃経では<一切衆生悉有仏性>と説かれているが、中国においては、衆生の範囲を超えて、心をもたない草木でも同じように成仏できると考えられるようになった。」と解説されています。
「唐代には天台・華厳・禅などがそれぞれの立場から草木成仏説を展開する一方、その主張が安易な空論に陥ることに対する批判も見られた」のでした。
また「日本では、もともと固有の信仰にアニミズム的、自然順応的な態度が見られ、草木成仏説も比較的抵抗なく受容された」とも解説されています。
私のふるさとの熊野では、山にある岩や、流れる滝をご神体として拝んでいますので、草も木も国土も仏であるというのは受け入れやすいのです。
また坂村真民先生の「一本の道を」という詩を学ぶと、そのような気持ちも理解しやすいものです。
木や草と人間と
どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのを見ると
ときにはかれらが
人間よりも偉いとさえ思われる
かれらは時がくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
自分を完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる
木に学べ
草に習えと
わたしは自分に言い聞かせ
今日も一本の道を行く
というものです。
日の光 草も木も皆 仏なり
横田南嶺