緊張していい
たくさんの質問をいただいたようですが、すべてに答える事はできませんでしたが、時間いっぱいまで答えていました。
いろんな質問がありましたが、今回の三人それぞれ自身にとって法話というのは、どういうものだととらえているかと聞かれました。
これに小池陽人さんは、法話は生きがいだと仰っていました。
法話をすると、まずその法話をする本人が幸せになるというのであります。
これにはまいりました。
やはり、こういう気持ちで法話をしているから、あの魅力のある法話になるのだと思いました。
私はどうかというと、今も法話は苦手なのです。
今はたくさんの法話を務めていますものの、四十六歳で管長に就任するまでは、修行道場で坐禅ばかりしていたのでした。
十二年前に管長になって、すぐに人前に出る、法話をする、講演をするという仕事が増えてしまい、そのどれもが苦手だったので、はじめは病気になって入院したほどでありました。
人前に出ることも、話をすることは今も苦手なのであります。
これだけたくさん行っていてもやはり苦手なのです。
それにやはり準備に時間がかかりますし、始まる前には緊張するし、終わったあとは後悔するしで、やはり今でも慣れないものです。
これが楽しみになり、生きがいになればたいしたものだと思いますが、私にはほど遠いのであります。
しかし、人間というのは、苦手なことをやっている方がよいのではという気持ちもしています。
孤独とどう向き合えばいいのかという質問もありました。
孤独がいやだというのであります。
小池さんは、孤独がいやというのは、まわりと比べて孤独と思える自分がいやなのではないと話してくださっていました。
人からの評価で自分の価値を認めてしまっているのではというのです。
人は本質的に一人なのであって、孤独の恐怖よりも人から孤独とみられることへの恐怖があるのではと丁寧にお示してくださいました。
私はというと、人は孤独だと思っています。
中学か高校の頃に、経典にある
人は「独り生まれ独り死し、一人の随う者無し」という言葉を見つけて感動したものでした。
これが人間の本質だと思います。
死ぬ時には、どれだけ多くの人が看取ってくれたとしても逝くのは一人であります。
誰も付き添いはないのです。
孤独を基準に考えれば、誰かがいてくれるだけで、幸せになります。
多くの人といるのが基準だとすると、孤独になるのが不安になるのだと思います。
それから人前で話をするときに緊張してしまうのだけれどもどうしたらいいかという質問もありました。
小池さんはこれには、上手に話そうと思わないことだと答えてくれていました。
たしかに上手に話そう、うまくやろうと思うと緊張してしまうものです。
私はいつも緊張するものだと思っています。
緊張する方が自然なのです。
今でもそうであります。
やはり法話の前は緊張します。
先代の足立管長も晩年に到るまで日曜説教の前の日は眠れないと仰っていました。
おそばにお仕えしていて、とてもそのようには見えなかったので、こんなに長年管長をなさって、たくさんの法話講演をなされても、緊張されるのだと不思議に思ったものでした。
しかし、今思うと、そのように緊張しているから、常に心に残る法話ができるのだと察します。
緊張する姿は初々しく尊いものです。
この思いが大事だと思います。
緊張感というのは必要であります。
盤珪禅師の話を思い出します。
或る人が、雷が鳴ると驚いてしまうけれどもどうしたら驚かないようになるのかと質問しました。
すると盤珪禅師は、驚いたらいいのだと答えられました。
驚かないようにすることがよくないというのです。
驚く心と驚かないようにする心を二つに分かれてしまい、よくないということです。
驚いたらただ驚くのであります。
それでいいのです。
その驚くということが、仏心のはたらきなのです。
強いていえば、緊張しているなと自覚することが大事だと思います。
私も今も法話の前には緊張して心臓の鼓動が早くなります。
今心臓が早く脈打っているなと気がついているのです。
そしてそういうものだと思っているのです。
それから小池さんの仰るように上手に話そうと思わないことは大事です。
私は、もしうまくゆかなくても世の中に困ることはないと、心の底で開きなおるようにしています。
三者三様の法話会の場合もとても緊張しました。
始まる前はかなりの緊張でした。
それでもこれは、うまくゆかなければうまくゆかないほど後の二人が引き立つので、それでいいと思って臨みました。
どの講演でもそうです。
自分のこの講演がたとえうまくできなくても、それで世の中がどうにかなることはないのです。
空気が一時震動して終わりなのであります。
もちろん講演に際しては努力して準備をしますが、いざ始まる時にはそれくらいの覚悟で臨むと少しは気が楽になるものです。
三者三様の法話会では時間の都合で、緊張についてここまで話をすることができなかったのでした。
それからせっかくいい話を聴いても忘れてしまうのでどうしたらいいのかという質問がありました。
小池さんは、すぐに忘れていいと仰ってくれました。
忘れるからこちらも安心して同じ話ができるのだと言っていました。
これはその通りです。
それに話を聞いてもすぐに実践できるわけではありません。
いくら無我だ、無常だと聴いてもすぐに執着がなくなるものではないのです。
それだからこそ、絶えず聴いて、繰り返し聴いてゆくのであります。
精進努力を無限に繰り返すばかりなのであります。
質疑応答の時間では、細川さんが裏方に徹して質問を受けては、小池さんと私に答えを求めてくれました。
名司会ぶりを発揮してくださいました。
どの質問にも明確に答えてくださる小池さんにも、上手に司会進行してくださった細川さんにも深く感謝します。
横田南嶺