仁王の様に
『驢鞍橋』という書物であります。
『大法輪』という月刊誌に大森曹玄老師の『驢鞍憍』の講話が連載されていて、中学生の頃から愛読していました。
当時の私に大きな影響を与えた一書であります。
この連載は、後に単行本となって大法輪閣から出版されています。
こんなことを思い出したのは、山梨平四郎の坐禅について書いたからであります。
『驢鞍橋』は、江戸時代初期の禅僧である鈴木正三禅師(一五七九~一六五五)の言葉を集めたものです。
正三禅師は三河の生まれであり、父は徳川家康の家臣でありました。
正三禅師ご自身も出家の前は徳川秀忠に仕えて、初陣は関ヶ原の戦いであり、大阪冬の陣、夏の陣にも出征している武将でありました。
ただ正三禅師は十七歳の時に、雪山童子の話を書物で読んで仏教に心惹かれていたのでした。
雪山童子の話というのは、お釈迦さまの前世の物語です。
お釈迦さまが前世雪山童子であった時のことです。
山の中を歩いていると、羅刹が現れ、「諸行無常、是生滅法」(諸行は無常、是れ生滅の法なり) と唱えたのを耳にしました。
それを聴いた雪山童子は、その続きをぜひ教えてもらいたいと頼みました。
腹が減って言えぬという羅刹に、それならば自分の肉体を与えましょうと約束をして、終わりの「生滅滅巳、寂滅為楽」(生滅を滅し巳りて、寂滅を楽と為す)という句を聞くことができました。
それを傍らの木の幹に書きつけ、後世の人がこの句を修行のよすがにできるようにして、雪山童子は崖から身を投げて羅刹の口の中に飛び込んだのでした。
するとその羅刹はもともと帝釈天の姿を変えたものでありましたので、もとの帝釈天の姿となって童子の体を受けとめて、恭しく童子を礼拝して消え去ったという話であります。
こんな物語を読んで感動した正三禅師は、合戦の場でも真っ先に槍を持って突入していったのでした。
幼少の頃から死について考えていた正三禅師は、死を見つめるといっても決して机上の話ではなく、戦の場において取り組まれたのでした。
四十二歳で出家して僧となったのでした。
正三禅師の言葉を集めたのが『驢鞍橋』という書物なのです。
その冒頭には、「近年仏法に勇猛堅固の大威勢有ると言事を唱え失へり」という言葉があります。
もう冒頭から勇ましい正三禅師の面目躍如たるところがあります。
近頃、禅の修行に勇猛果敢で、どんなことがあっても一歩も退かないぞという強い志をもってなすべきだと言って勧める者がいなくなったと嘆かれています。
更に禅師は「只柔和に成り、殊勝に成り、無欲に成り、人能くはなれども、怨霊と成る様の機を修し出す人無し」と説かれています。
ただ穏やかになり物柔らかになって、 殊勝げな顔をして、欲もなくなり、お人よしにはなったけれども、たとえ怨霊になってでも、この世の中に現われて、迷い苦しむ人々を救ってゆこうという烈しい気合いを持って修行する人が少なくなったと嘆いているのです。
更に
「何(いず)れも勇猛心を修し出し、仏法の怨霊と成べしと也」と、この道を修めるのならば、勇猛の心をふるい起こして、人々のために尽くそうという強い想い、仏法の亡霊になってでもやり抜くというよう気迫がなくてはならないと説かれています。
正三禅師の説かれた修行は「仁王禅」とも言われます。
『驢鞍橋』には、仏道の修行は仏像をお手本にすべきと説かれています。
仏像でも阿弥陀如来や釈迦如来というのは、本堂の奥に柔和なお姿で坐っていらっしゃいます。
お寺の入り口には、仁王様や不動様がお祀りされています。
浅草の観音様にお参りするにもその入り口の門には、仁王像が祀られています。
初心の者は、いきなり観音様のようにと思うのではなく、まず入り口にある仁王様や不動様に習うべきであるというのです。
それは、カッと目を開いて拳を握りしめて勇猛な気迫を持って自分自身の煩悩妄想と戦えと教えられたのでした。
そんな激しい気迫を持っていれば、煩悩なども面を出して来ないというのが正三禅師の説なのです。
「勇猛の機一つを以て修行は成就するなり」と説かれています。
これはまさしく山梨平四郎の行った坐禅と同じであります。
大森老師は『驢鞍橋講話』のなかで、
「仁王様は門に立っている。不動様は十三仏の筆頭第一に坐っている。
それはなぜかと言えば、いま言ったようなことを教えているのである。
「彼の機を受ずんば煩悩に負べし」坐禅は煩悩妄想を克服して真実を確立する道だ。
それが、ヘナヘナでは煩悩妄想に負けてしまうじゃないか。
煩悩妄想を寄せつけないようにスーッと突っ立たなければ坐禅にはならないじゃないか。
「只一頭に強き心を用るの外なし」 ただ一途に強い心、何ものにも屈伏しない強い心、それを用いるほかはない。
「然るに今時、仏法廃果て、すべ悪く成て、活た機を用る者なし。皆死漢計り也」 ところが、この頃、仏法というものは全くすたれてしまった。
禅も衰えてしまい、禅僧が屁理窟ばかり言っている。
議論ばかりやっている。そういうのが理兵法というやつ。
剣道でも理兵法で屁理窟ばかり言っている剣道が何の役に立つか。
みんな駄目になってしまって、活きた機、活機というものを用いる者がなくなった。
それができないで、みんな死漢ばかり、死骸に目鼻をつけたようなやつばかりじゃないか。
「仏道には、活漢とて、活た機を用る事也」 禅では活漢といって活きた人、活きた男といって、活きた働きを用うることを尊ぶのだ。」
と説かれています。
中学生の頃に、こんな文章を読んで感動して血湧き肉躍る思いで坐禅したものでした。
いやいやこれが過去の思い出で終わってはならない、今の時代こそ、この気迫が大事と改めて自分に言い聞かせています。
横田南嶺