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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.04
今日の言葉

安心

日本講演新聞の十一月二十八日号の巻頭には、松山大耕さんが出てくださっていました。

禅のこころで生きる 
お坊さんの一番の仕事は、〇〇を与えること

というタイトルであります。

松山さんは、妙心寺の塔頭退蔵院の副住職でいらっしゃいます。

退蔵院のご長男としてお生まれなのです。

私も懇意にさせてもらっています。

私の知る範囲では、最も頭脳明晰な禅僧でいらっしゃいます。

講演新聞のプロフィールにも

「1978年京都市生まれ。東京大学大学院修了後、修行を経て、2007年より退蔵院副住職。日経ビジネス誌「次代を創る100人」などに選出される。2011年、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見。2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談した。」

と書かれていますように、私などの経歴とは比べものにならないのであります。

今後最も活躍の期待される禅僧であることは間違いありません。

そんな松山さんでも新聞の記事によれば

「将来は絶対にお坊さんにはならないぞ」と思っていたそうです。

誰しもそのような時期があるものなのでしょう。

松山さんはお寺への反発もあって、一生懸命勉強して東京大学に入りました。

そして在学中に、「ある和尚さんとの出会いがきっかけで、だんだんお坊さんの世界に興味を持ち始め、現在に至って」いるというのです。

それは松山さんが大学院一年生の頃にであった、長野県の飯山の正受庵、原井寛堂和尚でした。

松山さんがこの飯山の農家に、半年間住み込みで研究をすることとなって、近所に妙心寺派のお寺がないかと探してみたところ、見つけたのが正受庵だったのです。

正受庵は、檀家がなく、拝観寺院でもありません。

住職の寛道さんが托鉢して暮らしていたのです。

松山さんは「二十年も前の話ですが、「平成の世にこんな生活をしている人がいるのか」という驚きと共に、私はだんだんその和尚さんに惹かれていきました」というのです。

おもしろいエピソードが書かれています。

「修行中の頃、休暇中にふたたびこの正受庵へ出かけた」時のことです。

記事から引用しますと

「そのとき正受庵を慕っているおばあさんが亡くなられ、「『ぜひこの寛道和尚さんにお葬式をしてもらいたい』という遺言がある」とご家族の方が相談に来られていました。

私はちょっと離れた台所でそれを聞いていたのですが、ご家族の方が帰られたあと、寛道和尚が青い顔で私のところにやってきて、こうおっしゃったんです。

「お葬式のお経、全部忘れた。悪いけど代わりにやってきてくれ」

当時の私は、それはそれはびっくりしましたよ(笑)。」

というのであります。

これは恐らく事実でありましょう。

寛道さんは、私よりも年上でありましたが、僧堂に入ったのは同じ年でありました。

ただ寛道さんは同じ年に円覚寺に入られて、私は京都の建仁寺で修行していました。

私が建仁寺から円覚寺に移った時には、寛道さんは僧堂を出て正受庵にお入りになっていたのでした。

ですから寛道さんは円覚寺僧堂の先輩ではありますが、一緒にいたわけではないのです。

それでも折に触れて僧堂にお見えになっていましたので、よく存じ上げていました。

先代の師家足立老師のもとには、百名をはるかに越える和尚様方が修行されたと思いますが、大勢のお弟子の中でも寛道さんは、もっとも足立老師に認められて、大事にされていました。

しかし、決してそれが松山さんのように聡明でもなければ、長く修行して公案をたくさん調べたというわけでもないのです。

なんといってよいのか、純朴というのか、自然というのか、天然の禅僧という趣なのであります。

葬式のお経を全部忘れたというのも、決してこれは謙遜でもなく、また元来葬儀は僧のなすものではないという矜持でもないのです。

その通りなのだと思います。

そういう和尚なのです。

それでいて多くの人に慕われるのであります。

記事には

「あるとき、町に住んでおられる詩人の方が、この和尚さんの詩を書かれました。

「寛道和尚さんが、雨の日も、嵐の日も、炎天下の日も、雪の日も、毎日托鉢をされている。その托鉢をされる声がこの町に響くと、この町に安心が広がる」と。

それを読んだ時、「お坊さんの一番の仕事というのは、お葬式でも法事でもない。安心を与えるということなんだ」と感動し、腹に落ちていきました。」

と書かれています。

人に安心を与えるというのは、容易なことではありません。

学問があるからとか、長く僧堂にいたからとか、そういうことも大切でありますが、また別の次元の世界があると思います。

そんな立派な和尚でしたが、癌を患って今から七年前に、六十歳で亡くなりました。

足立老師もとても残念がっていたことを思い出します。

寛道さんも亡くなり、寛道さんを認めておられた足立老師も亡くなり、寂寥の思いがします。

松山さんは、

「そして、「私はこんな立派なお坊さんにはなれないかもしれない。でもこういう方がいらっしゃるんだったらこの仏門の世界は間違いない」という確信を得まして、改めて修行の道に進もうと決心したわけです。」

と記事に書かれていました。

そんな記事を拝読して在りし日の寛道さんを思い起こし、寛道さんはまだ健在だと思いました。

 
横田南嶺

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