道を求めるということ
「空中に声あって、常啼菩薩に告げて言く、「汝、東行して般若を求めんに、疲倦を辞すること莫れ。
睡眠を念うこと莫れ。飲食を思うこと莫れ。昼夜を想うこと莫れ。寒熱を怖るること莫れ。内外の法に於て、心散乱すること莫れ。行く時左右を顧視することを得ざれ。前後上下四維等を観ること勿れ」という言葉があります。
意訳すると、
般若波羅蜜を求めていた常啼菩薩に、空中から声が聞こえました。
あなたは、これから東の方角へ般若(智慧)を求めてゆこうとするのに、疲れて嫌になってしまうことがあってはなりません。
眠りたいと思ってはなりません。飲食のことを思ってはなりません。昼とか夜とかを思ってはなりません。寒さ熱さを怖れてはなりません。体の外にあるものと、体の内にあるもの(欲望)に対して心が乱れてはなりません。また歩行するとき左右をふりむいてはなりません。前後上下四維を見てはなりません。
というのであります。
『禅関策進』には大般若経からの引用だと記されています。
これは般若経の中でももっとも古い『八千頌般若経』の常啼菩薩品にある言葉です。
常啼菩薩が般若波羅蜜を求めて法涌菩薩の所に行こうとしたとき、法涌菩薩に敬意を表すための供物がないことに気づき、自分の身体を売った代金で法涌菩薩に敬意を表そうと考えました。
ところが邪悪な魔の妨害により買い手が見つからないのです。
次に帝釈天が常啼菩薩を試そうとしました。
バラモンの若者の姿で現れて、祖先の祭祀のために心臓、血液、骨、髄を求めていると言いました。
そこで常啼菩薩は刃物を腕に突き刺し血をほとばしらせ、右のふとももに突き刺し、肉をそいで骨を断ちきろうとしました。
その時に長者の女がきてこれを止めたのでした。
そのような志を持っているのならば、父にお願いしてどんな品でも思うように支度させましょうと言ってくれたのでした。
姿を現した帝釈天は、自分はそんな肉や血を求めているのではなく、あなたを試しに来たのだと伝えて、消えたのでした。
のちに長者の女は父母に言って常啼菩薩とともに妙香城に法涌菩薩を訪ねたという話であります。
達磨大師のもとに、後に二祖となる慧可大師が訪ねた時に、達磨大師が全く相手にしてくれないので、
「昔人道を求むるに骨を敲いて髄を出し、血を刺して飢えを済い、髪を布いて泥を掩い、崖に投じて虎を飼う、いにしえ尚此の如し、我又何如ぞや」と。」と思って、遂に自分の左の腕を切ったという話がありますが、この「骨を敲いて髄を出す」というのが、この常啼菩薩のことなのです。
ついでに次の「血を刺して飢えを済い」というのは、これはお釈迦様の前生の話です。
昔慈力王という王様がいて、非常によく国を治めていました。
慈悲をもって常に十善戒を庶民に説いて行き渡らせて、国も安穏でありました。
確かに
不殺生=故意に生き物を殺さない、
不偸盗=与えられていないものを自分のものとしない、
不邪淫=不倫をしない、
不悪口=乱暴な言葉を使わない、
不両舌=他人を仲違いさせるようなことを言わない、
不綺語=中身の無い言葉を話さない、
不妄語=嘘をつかない、
不瞋恚=異常な怒りを持たない、
不慳貪=異常な欲を持たない、
不邪見=(善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない
という十善戒を行じていれば、国から犯罪も無くなり穏やかになることでしょう。
平和になって良いことなのですが、悪人の血を吸って生きる夜叉羅刹が困ってしまいました。
悪いことをする人間が出ると、その血を吸って生きていたのですから、これは困ったことになりました。
そこでその慈力王に訴えました。
「王様が十善戒を勧めて皆安穏になりましたが、我々は生きてゆけません、王様に慈悲のこころがあればどうか私達も憐れんで下さい」と。
それを聞いた慈力王は憐れに思って、自らの体を刀で刺して血を出してあげました。
餓えた鬼達はそれぞれ器を持ってきて、慈力王の血を吸って飢えをしのいだという話です。
次に「髪を布いて泥を掩い」というのは、これもお釈迦様が前生で、仙人になって燃灯仏のもとで修行していたときのことです。
燃灯仏が道をお歩きになっていて泥、ぬかるみがありました。
それを見て仙人は、自分の鹿の皮の布を脱いで泥を掩いました。
しかしまだ少しばかり覆い尽くせないところが残っていました。
そこで仙人は自らそのぬかるみに身を投げ出して、自分の髪の毛を泥に布いて燃灯仏にお歩きいただいたという話です。
仏法の為に自らの身を投げ出すことを表します。
「崖に投じて虎を飼う」とはこれは有名なよく知られた話です。金光明經にあります。お釈迦様の前生のお話しです。
ある国に三人の王子がいて、ある日三人の王子は森に遊んでいました。
そこに七匹の子を産んだ一匹の虎が飢えに迫られやせ衰えてあわや我が子を喰らおうとしていました。
二人の兄王子も少なからず哀れみの心を動かしたが、第三の王子に向かって「虎は豹や獅子と同じく只血や肉を糧としている、そのほかの糧ではこの虎の飢えを救うことは出来ない」と語り聞かせて、この場を立ち去りました。
第三王子は心に思いました。
「今私はこの身を捨てこの虎を救おう。
今やこの身を捨てて大きな業をなし、悟りを得るために身を捧げよう」と思い定め、少しも躊躇することなく、直ちに衣服を脱ぎ捨てて傍らの竹にかけ置き、進んで飢えきった虎の前に身をゆだねましたが、しかし虎は菩薩の慈愛の力に打たれて食いつこうともしません。
王子はこれを見て山より身を投げ、血を流しつつ虎に近づきました。
このとき虎は流れる血潮を見ると直ちに襲いかかって肉を噛み尽くしました。
後にはただ白骨が散らばるのみであったという話です。
これらの話を思い出して、慧可大師は自らの左の腕を断ちきって達磨様の前に差し出したという話なのです。
どれもすさまじい話であります。
そこまで出来るのか問われると私などはとてもではありません。
しかしながら、せめてそれほどまでに真剣に道を求めて来られたおかげで、今に仏法が伝わっていることを忘れてはならないと思うのみであります。
横田南嶺