空っぽで広々と
蕩蕩というのは、広くはるかなさま、広くゆきわたるさまをいいます。
空っぽで広々とした心境を、空蕩蕩地と申します。
大慧禅師の語録にも用例が見られますが、円覚寺の開山仏光国師が語録の中で、何度も用いられています。
佛光録の巻五には、意訳すると
「参禅は、自分の心の中をきれいに片付けてしまって、心の中で重いものを取り去ることだ。
そうしてひとり自己を参究すべきだ。
どうして自己が自己を参究しないといけないのかというと、私たちが自己だと思っているものは、すでに様々な知識や見解に日夜とらわれてしまい、縛られてしまって、そこから逃れられなくなっているからだ。
これはある種の牢獄のようなものだ。
あなたがもしも今まで習い覚えた知識や見解を取り去って、空っぽで広々とした境地になり、虚ろで開けた境地になれば、それはまだ大きな悟りに徹したとはいえないけれども何ものにもとらわれることのない禅僧だといえる。
ただこの何ものにもとらわれないという心境は、仏さまがたも命を捨てる覚悟で修行して体得されたものなのだ。」
というお示しであります。
夢窓国師の語録の中に、仏光国師がお弟子の仏国国師に仰った言葉がございます。
こちらも意訳しますと、
「自分は日本で修行している人たちを見ていると、一生の間で悟りを開くものが多くないと感じます。
この国の人たちというのは、知識や才覚を尊んで、悟りや解脱を求めようとしていません。
気根の優れた者でも、仏典や外典を学んで、上手な漢文の文章を作ることをたしなんでいて、この自分自身の問題を究明する暇がないように見えます。
迷っているうちに一生を終えるようで哀れに思います」というのです。
これは、当時の様子を思いますと、仏光国師に参禅するような方は、仏光国師は日本語が話せなかったので、まず中国語を習わないといけませんし、また中国語ができないなら、漢文で筆談できないといけませんので、一所懸命に漢文を勉強して禅の語録を読みこなし、禅語をたくさん覚えることに努めていたということでしょう。
これはやむを得なかっただろうと拝察します。
しかし、仏光国師は参禅というのは、そのように書物を読み言葉を覚えていくものではなく、自己を究明することだとお示しくださったのです。
そこで佛光録巻五の普説にもその後に
日本の修行者たちに、書物ばかりを読んで自由に話せることばかりを求めないようにと説かれています。
知識や見解にとらわれていることを牢獄のようなものだという喩えがありましたが、牢獄というとお釈迦様に次の言葉があります。
『四十二章経』にある言葉です。
妻子や家につながれることは牢獄よりもひどいというのです。
牢獄は、刑期が終われば解放もされるが、妻子や家というのは、離れられないのです。
それでいて、心には一時の快楽を与えてくれるので、その快楽に溺れてしまい、泥沼に落ちるようなものだと説かれています。
人間はなにかにとらわれて生きています。
妻子にとらわれるのもひとつの生き方です。
むしろ世間では家を大事にして妻や子を大事にして生きる生き方は尊いものとされます。
知識や見解をたくさん蓄えておられる方は識者と言われて、世間では重宝されます。
ただ禅の修行は、それらをすべて放ち去るものです。
そして空蕩蕩という空っぽで広々とした心境になるのです。
その上でまた知識も学び、学問を修めて、見識を持って生きるのです。
また在家の方であれば、家や妻子を大事にして生きるのであります。
仏光国師は、一二二六年にお生まれになって、十三歳で浄慈寺で出家し、十四歳で径山万寿寺に登って修行を始めました。
十七歳で仏鑑禅師から無字の公案をいただきました。
趙州和尚にある僧が、犬にも仏性がありますかと問うと、趙州和尚は無と答えたのでした。
この「無」とは何かを参究するのであります。
こういう修行を看話禅と申します。
無字なら無字という一つの公案に全身全霊を集中していって、大悟させるというものです。
仏光国師もはじめは一年でなんとかなるだろうと思われましたが、一年で埒があかず、二年三年経っても全く歯が立たなかったのでした。
五年が経ち、六年目になってゆきました。
その間禅堂の門から外に出なかったというのです。
十七歳から六年間というと青春の真っ盛りであります。
その間を禅堂にこもって無の一字に集中していたのですから、並大抵のことではありません。
六年目にもなると、夜眠っていて夢を見ても無字を工夫していたというのであります。
そのようにひたすら無の一字に取り組んでゆくと、とうとう無の一字もなくなり、坐っていると自分の体もなくなってしまったという状態にまでなってゆきました。
そうしてなにもかも無くなってしまって、ただ「空蕩蕩地」になったと語録には書かれいます。
何にも無くなってただ空っぽで広々とした世界です。
我も人も外の世界も無いところです。
この「空蕩蕩地」に到るのに仏光国師は青春の六年間を費やされたのでした。
まさに容易なことではないのです。
私たちもその「空蕩蕩地」空っぽで広々とした世界の一端を体得しようと臘八の坐禅に取り組むのであります。
横田南嶺