厩が焼けた
『論語』郷党第十に
厩焚けたり。子、朝より退きて曰わく、人を傷えりや、馬を問わず。
という一文があります。
岩波文庫の『論語』の解釈には、
「厩が焼けた。先生が朝廷からさがってくると、「人にけがはなかったか」と問われて、馬のことは問われなかった。」
となっています。
これが元になって、「厩火事」という落語にもなっているのです。
それほどに人口に膾炙している言葉であります。
厩火事は、髪結いで生計を立てている夫人と、文字通り「髪結いの亭主」の話であります。
「髪結いの亭主」といってもこの頃は通じないかもしれません。
『広辞苑』にも載っています。
「(髪結いは女性にできた仕事で、働きのない夫が養えたので)妻の稼ぎで暮らす夫。」という意味なのです。
この落語に出る髪結いの亭主は、怠け者で酒ばかり呑んでいて、夫婦喧嘩が絶えなかったのでした。
そこで、夫人が仲人に相談をしたところ、孔子の厩の火事の話をして、亭主が大事にしている瀬戸物を割って、亭主がどう言うかを見てみようと知恵を授けました。
言われた通りに瀬戸物を割ったところ、夫は、彼女を真っ先に心配したのでした。
落語には落ちがあって、喜んだ夫人が、「そんなに私のことが大事かい」と聞くと、亭主は「おまえがけがでもしたら、朝から遊んで酒が呑めない」と言ったという話であります。
さてこの『論語』の一節、手元にある『論語 朱熹の本文訳と別解』(明徳出版社)には、
「孔先生の屋敷の厩が焼けてしまった。孔先生が朝廷から退出されておっしゃるには、「人に怪我はなかったか」と。馬のことは問わなかった」
となっています。
その後に、別解として「人を傷へるか不や、と。馬を問ふ。」[人に怪我はあったのか、なかったのか。(その後で、)馬のことを問うた。」
という解釈が示されています。
そして更に
「「人を傷へるか」の人は、家人や近所の火を消した人々である。火を消して馬を救わないことは有り得ないので、孔先生は馬のことを問わなかった。
荻生徂徠の解釈として「当時、孔先生は魯の司寇であったが、朝廷から退出した時に馬を問わなかったのは、馬を重視していた風潮を正そうとしたからである。」
と書かれていました。
いろいろあるのだと思って穂積重遠先生の『新釈論語』を見ると詳しく書かれていました。
厩焚ケタリ。子朝ヨリ退イテノタマワク、人ヲ傷エリヤト。馬ヲ問ワズ。
孔子様が御役所へ出勤の留守、馬屋が失火で焼けた。
帰宅してそれを聞かれたが、『人にけがはなかったか。』といわれたきりで、馬の事を問われなかった。
これは「厩火事」という落語があるほど、有名な一段だ。
馬をも問わぬのは不仁だというので、「人ヲ傷エリヤ否ヤ。馬ヲ問フ。」 とよみ、まず人を、次に馬を、と解する人があるが、それは考え過ごしだ。
むしろ責任問題の起ることを避ける意味で馬を不問に附されたのだ、と解したい。」と解説があって、そのあとに
「昭和二十四年十二月二十八日の夜、何心なくラジオのスイッチを入れたら、 小金井の東宮仮御所がつい先刻、殿下が葉山へ御成の御留守中に全焼し、書籍その他御身のまわりの品々何一つ取り出せなかったと報じているではないか。
わたしに取っても思い出の御殿なので、實に驚いた、
その時とっさに胸に浮んだのは、論語のこの一節で、この事が葉山に急報されたとき殿下が何とおっしゃるだろうかということであった。
ところが後に承わると、その時、殿下は『人にけがはなかったか。』とおっしゃったきりであられたよし。
さすがはと感激したことであった。」
と書かれていました。
宇野哲人先生の『論語下』にも
「これは良く落語に出ます。 孔子の参内中に厩が焚けた。
帰られて誰か怪我はなかったかと言い、馬のことは聞かなかった。
甚だ情愛の厚いことですが、馬を問わないのは馬に対する情愛が無いのではなく、誰でも馬はどうだったかと案ずるのが普通ですが、それをなさらなかったのは、人を重んずるわけでもありますし、かつまた馬をどうかというと責任者を追及する必要が起ってまいります。
もし馬が死んでいたら厩番は責任上困る、だからわざとその責任を問わないつもりで、馬のことはお聞きにならなかった。馬に対する愛情が無かったわけではないと私は考えます。」
と書かれています。
これは古注の解釈を踏まえての解説だと察します。
このたび購入した野間文史先生の『論語注疏訓読』(明徳出版社)には、
「 焚けたり」とは孔子の家の厩火を被むるを謂ふなり。孔子朝を罷めて退き歸り、告を承けて問ひて曰はく、「焚けたるの時、人を傷ふこと無きを得たるか」と。
馬を傷ふと否とを問はざるは、是れ其の人を重んじ畜を賤しむの意なり。 「不問馬」の一句は、記する者の言なり。」
と書かれています。
馬のことを問わなかったのは「人を重んじて畜を賤しむ」という解釈には違和感を覚えてしまいます。
区別、差別があるのです。
それよりも、そんな区別もなく、思わずとっさに出た言葉が尊いのだと思います。
山本玄峰老師にこんな話があります。
あるとき老師が上京されて、東京の信者さんから、一級酒を二本貰われたそうです。
おつきの修行僧が、大事に持って来たのでしたが、なんと三島の駅で転んで、全部流してしまいました。
老師の好物のお酒ではあるし、水一滴をも大切にせよと普段から厳しく戒められているのに、こんな粗相をしてしまって、どんなに怒られるだろうと思っていたら、老師がすぐに口にされた言葉は、
「怪我はなかったか」でした。
そしてその修行僧の衣の泥を払って下さったという話であります。
胸打つ話であります。
横田南嶺