朝に道を聞かば
「朝聞道夕死可矣」という漢字七文字であります。
この七文字を九十分かけて丁寧にご説明してくださったのでした。
私などはこの言葉を説明すると三分で終わってしまいます。
私がいつも参照している金谷治先生の岩波文庫『論語』には、
「子の曰わく、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。」
とあって、意味は、
先生がいわれた、「朝に〔 正しい真実の〕道が聞けたら、その晩に死んでもよろしいね。」
となっています。
この言葉を道元禅師もよく使われたようで、『正法眼蔵随聞記』には、二度出てきています。
「外典に云、「朝聞道夕に死すとも可也」と。たとえ飢死、凍死すとも、一日一時なりとも、仏教に随うべし」
と説かれています。
またもう一カ所は、
「夜話に云、古人云、『朝に道を聞かば、夕に死すとも可也』。
今、学道の人、この心あるべき也。
広劫多生の間、幾回か徒(いたづら)に生じ、徒に死せん。
まれに人界に生れて、たまたま仏法に逢ふ時、何(いか)にしても死行くべき身を、心ばかりに、惜しみ持(たもつ)とも、かなふべからず。
遂に捨て行く命を、一日片時なりとも、
仏法の為にすてたらば、永劫の楽因なるべし」
というのです。
講談社学術文庫の『正法眼蔵随聞記』にある山崎正一先生の訳を参照しますと、
「古人の言葉に「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」(『論語』 里仁四) とある。今日、道を学ぶ者は、このような心をもつべきである。
現在までの限りなく長い時の間、生まれ変わり死に変わり、何度、徒らに生まれ、徒らに死んだことであろう。
めずらしく人間界に生まれてきて、たまたま仏法にめぐり逢ったのだ。この時にあたり、どうしても死なねばならぬわが身を、自分の気持ちとしては惜しく思い、大切にしようとしたところで、結局はどうにもならぬ。
むしろ、最後には、捨てねばならぬ生命なのであるから、一日でも、また僅かな時間でもよいから、仏法のために捨てたのならば、それは、未来永遠の安楽のもととなるであろう。」
というものであります。
またこの言葉は、今北洪川老師の『禅海一瀾』にも載せられています。
「孔子曰く、「朝、道を得ることができれば、夕、死んでも本望である」と。 (論語)
この言葉は真に儒教を学ぼうとする者にとって、身命をかえりみず参究すべき最大の難関である。また、四書、六経中の大眼目でもある。」
といって、更に
「また、宋学の基をなした周惇頤という人物は、黄龍山の慧南禅師にまみえて、仏祖不伝の道を参究した。
慧南禅師はこの「夕死」の聖語を引用して、惇頤に教え諭していわれた。
「つまるところ、如何なるものを道といって、それを得ることができたならば、夕に死んでも本望というのか」と。
惇頤は躊躇して答えることができなかった。
その後長い間刻苦して、遂に道に透徹したのである。
看よ、吾が禅門の大事を究めることは、このように決して容易なことではない。自己の身命を抛って事に当る時期が必ずなければならない。
従って、その場のがれの軽率な意見を挟む余地はない。」
と説かれています。
現代語訳は、盛永宗興老師の訳文によっています。
柏樹社から出版されていた『禅海一瀾』にあるものです。
以前にもこの「朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」について書いたことがありましたが、今回も小川先生は、いろんな方の『論語』の解釈を紹介してくださいました。
吉川幸次郎先生の『論語』上(朝日新聞社)には、
「宋の朱子の新注に従って、その日の朝、正しい道を聞き得たならば、その日の晩に死んでよろしい、と読むのが、むしろ普通の読み方であり、またそれでよろしいであろう。
古注では、道とは、世に道あること、つまり道徳的な世界の出現を意味するとし、そうした世界の出現を聞いたが最後、自分はすぐ死んでもいいとさえ思うが、そうしたよい便りを聞かずに、自分は死ぬであろう、という孔子の悲観の言葉として読むが、何となくそぐわない。
もっとも淵明が、「貧士を詠ず」と題する時に、「朝に仁義と与に生くれば、夕に死すとも復た何をか求めん」とうたっているのは、古注の意味でこの句をふまえているようである。」
という解釈を教えてくださいました。
朱子の『論語集注』からは、土田健次郎先生の『論語集注1』(平凡社)から引用されていました。
土田先生の訳は、
「道は、事物がかくあらねばならぬ理である。
もしこれを聞くことができれば、生きては順調で、死ぬ際にも心は穏やかであって、思い残すことは無い。
朝と夕とを言うのは、時間的に短いことを強調したいがためである。
○程子が言われた。「この語の意味はこうである。人は道を知らなければならない。もし道を聞くことができれば、死んでもよい。また言われた「みなまことの理であっても、わかったうえに信じるのは困難である。死生もまた重要な問題であって、本当に悟っていない場合には、どうしてタベに死んでもよいと思おうか」。」
となっていました。
私などが簡単に参照している『論語』の訳というのは、古注や新注などを高名な先生が綿密に考証してご自身でこれがよいと判断して書いてくださっているものだと教えていただきました。
有り難いことであります。
釈宗演老師は、『禅海一瀾講話』の中で、
「便ち万劫千生、放失の大道を捉え得て、始めて夕に死すとも可なるを知る」という洪川老師の言葉を解説して
「この「大道」なるものは、外来的のものではない。
我等は皆な「大道」の中から生れたと言うても宜し、また「大道」というものを生み出したと言うても宜い。
「万劫千生」、この「大道」の中に我々は起き臥して居ったのであるが、それを取り失って居った。
その取り失った「大道」を捉まえてはじめて「夕に死すとも可なる」ことを知る。
極く深刻に凱切に、先師は言われた。禅門の高徳方の伝記を読んで見ると、往々こういうことがある。」
と説かれています。
大道を体得しなければならないのですが、大道を決して外に求めては遠く隔たるばかりです。
目で見たり、耳で聞いたり、こうしてはたらいているところにこそ、大道はあらわになっているものであります。
横田南嶺