『禅の調べ』を薦めます
春秋社から『禅の調べ』を上梓されました。
春秋社は、私がはじめて出版した本を出してくれたところであります。
春秋社と円覚寺は朝比奈宗源老師からのご縁であります。
朝比奈老師の『仏心』は、春秋社の出版であります。
先代の管長だった足立大進老師もやはりはじめに春秋社から出版されていました。
そんなご縁もあって、私も今から八年前の三月十一日に、『祈りの延命十句観音経』を出版してもらったのでした。
春秋社は、たくさんの仏教書を出してくれている有り難い出版社であります。
しかも古い本でも末永く出してくれるのでありがたいのです。
今は出版しても、それっきりというところが多くなっています。
私の『祈りの延命十句観音経』なども今年にも更に増刷されて、五刷りとなりました。
その後春秋社からは、
『仏心のひとしずく』『仏心の中を歩む』『禅と出会う』『盤珪禅師語録を読む』と、塩沼亮潤大阿闍梨との対談本『今ここをどう生きるか』と出版してもらっています。
そんなご縁が深いので、春秋社の編集の方にも、細川さんの坐禅和讃の講話を出したらどうだろうかと話をしたこともありました。
コロナ禍となって以来細川さんは、お寺の坐禅会をオンライン坐禅会となさって、そこで白隠禅師の坐禅和讃を講義されていました。
コロナ禍で学んだことのひとつは、オンラインという便利なものであります。
こういうものがないと、私など、毎週日曜日の朝細川さんの白隠禅師坐禅和讃の講話を拝聴することなどできませんでした。
細川さんは、さまざまな資料を豊富に用いながら、坐禅和讃を二度にわたり通してご講義くださっていたのでした。
これは一冊の本になればいいと思っていたのでした。
それがこのたび、こうして一冊の本になったのであります。
私がこの本の巻頭に、推薦の言葉を書かせてもらいました。
推薦の辞のはじめに、
この本を読むと、
白隠さんのことが好きになる
坐禅和讃を唱えたくなる
そして
坐禅したくなる
と書きました。
有り難いことに、この言葉がそのままこの本のオビに使ってくださっています。
そのあとに
「それは、この本を書いた細川老師が、白隠さんのことを心から好きであり、和讃を唱えることを愛し、坐禅を楽しんでおられるからだろう。
『禅の調べ』という題がいい。
調べは、頭で考えるものではない。単に耳で聞くのでもない。
全身で感じるものだ。
この本を読むと、禅の調べを感じるだけではない、「禅の風」を感じる。
「禅の香り」が漂う。
そして、「禅のぬくもり」を感じる。
それは、この本に深さがあるからだ。」
と書いています。
自分で言うのも憚られますが、かなり頑張ってなれない文章を書いたのでした。
それから有り難いのは、私の推薦の言葉などではなくて、巻頭に白隠禅師自筆の坐禅和讃の写真があることなのです。
横に長いものですが、折りたたんで挟んでくださっています。
佐野美術館所蔵の貴重な墨蹟であります。
元文から寛保、一七三六から一七四二頃と書かれています。
そしてなんとも不思議なことなのですが、この白隠禅師坐禅和讃の終わりの方に、紙が破れた跡があり、十五文字を釈宗演老師が書き補っておられるのであります。
どうして宗演老師が書き足されたのか、まったく不明であります。
また白隠禅師の研究で著名な芳澤勝弘先生は、この坐禅和讃の筆跡から、禅師が三十代の頃のものだと推定されています。
白隠禅師は、四十二歳の時に、大きな悟りを開かれました。
そしてその時に『法華経』の真理を悟ったと伝えられています。
坐禅和讃がこの四十二歳の体験以前に書かれたということに、細川さんは疑問を呈されています。
また陸川堆雲居士が
「衆生本来仏なり」という古来の語を冒頭に掲げて人の注意を牽き、「一坐の功をなす人も積みし無量の罪滅ぶ」と誇張的に唱え、換言すれば禅宗宣伝のパンフレット的のものである」
と批判されたことにも触れておられます。
「坐禅和讃」は坐禅の「広告」ではなく、「宣伝」であった」と細川さんは指摘されています。
「「広告」は「知っていただくまで」であり、「宣伝」は「理解を求め行動にまで結びつける。多くの人に働きかけて思考や行動を一定の方向に導く」という語意があるから」と本書に書かれています。
なにはともあれ、坐禅に対する熱い思いが伝わってくる書物ですので、是非皆様にお勧めいたします。
終わりには、「坐禅入門」がございます。
足の組み方、手の組み方も実に丁寧に絵も入れて説いてくださっています。
優しく坐禅の説明をしてくださっている中にも、
「坐禅をすると何か得るものはありますか?」という質問をよくいただくと書かれていて、その答えとして、
「坐禅には得るものはありません」とはっきり書かれています。
「禅では「捨てる、手放す」ことが大切なのです」ということなのです。
「何かを得るのではなく、何を手放す時間をつくることで、人生を見つめ直すことができるのです」という言葉で坐禅の大切さを説いてくださっています。
そうして、この一冊を読むと坐禅和讃を唱えたくなり、坐禅をしたくなるのであります。
横田南嶺