存在の分析
新しい住職に就任する儀式のことを、晋山式といいます。
その新しい住職が、円覚寺で修行した者で、お招きいただいたのでした。
その山科のお寺にお参りする前に、三井寺園城寺をお参りしてきました。
かねてより一度お参りしたいと思っていたお寺でありました。
三井寺と呼ばれることが多いと思いますが、お寺の名前は「園城寺」です。
『広辞苑』には、
「大津市にある天台寺門宗の総本山。
通称、御井寺・三井寺。
延暦寺を山門・山と呼ぶのに対して寺門・寺という。
奈良時代末に大友村主氏の氏寺として開創。
859年(貞観1)円珍が再興し、延暦寺の別院としたが、円仁門徒と争った円珍の門徒が993年(正暦4)当寺に拠り独立。」
と書かれています。
円珍という方は、これも『広辞苑』によれば、
「天台宗寺門派の祖。天台座主。
讃岐の人。母は空海の姪。
比叡山の義真に師事し、853~858年(仁寿3~天安2)入唐し密教を学ぶ。
帰国後園城寺を再興。
法華教学に対する台密の優位を主張し、その門下は良源の出現まで天台の主流をなした。
著「法華論記」「大日経指帰」など。諡号は智証大師。(814~891)」
というのであります。
慈覚大師円仁と智証大師円珍のお二人は天台宗ではよく知られています。
お寺でいただいたパンフレットによれば、
「園城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺の一つに数えられています。
その歴史をひもとくと、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまります。
俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。
長い歴史の上で、当寺は再三の兵火にあい焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。」
というのであります。
閼伽井屋(あかいや)というお堂が御座いました。
ここで霊泉が湧出しているのだそうです。
立派な金堂のそばにございました。
この泉は、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝が産湯に用いたのだということでした。
金堂は、国宝で檜皮葺の実に素晴らしいお堂でありました。
こういう素晴らしいお堂を拝見すると、私など寺を預かる者は、これを維持していくのは大変だろうなと思います。
それから有名なのが「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る鐘楼があります。
その音色の良いことで知られています。
この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造だそうです。
ひとつき八百円の冥加料を納めて撞かせてもらえるようになっていました。
このことを知人に話すと、高いと言っていましたが、私など寺を預かる者からみれば、園城寺のあの広大な敷地と素晴らしい伽藍を守るためには、必要なのだと感じました。
三井寺をお参りしたいと思ったのは、釈宗演老師がお若い頃に、この三井寺で学んでいたということがあるからです。
釈宗演老師は、福井県高浜に生まれ、十二歳で、越渓老師の弟子となって出家されました。
越渓老師は、当時京都の妙心寺で僧堂を開単され、山内の天授院で修行僧の指導に当たっておられたのでした。
そこで十二歳の宗演老師は経典や語録など主に漢籍を学ばれ禅僧としての基礎を身につけられました。
本格的な禅の修行は、十五歳になって、建仁寺の俊崖老師について始められました。
更に、宗演老師は、十八歳で三井寺の大宝律師について、倶舎論などの仏教学を学ばれたのでした。
宗演老師は、頭脳明晰であり、天台教学も早く我が物にされて、三井寺の大宝律師からは天台に替わらぬかと勧められたほどであったというのです。
十九歳になって、岡山の曹源寺で儀山善来禅師について修行し、更に明治十一年宗演老師二十歳の時に、円覚寺に来て今北洪川老師について修行をされたのでした。
禅の修行も大切でありますが、やはり仏教学の研鑽も欠くことができません。
とりわけ『倶舎論』は、仏教を学ぶ基礎であります。
『倶舎論』は世親の著であり、阿毘達磨倶舎論というのが正式な名称であります。
説一切有部の論書であります。
五位七十五法という存在を分析した教理が説かれています。
『仏教辞典』には
「もろもろの事物(一切法、諸法)のありかたを整理したもので、『倶舎論』に説く説一切有部の説をまとめたもの。
五位とは、色(物質)、心、心所(心の作用)、心不相応行(心と結びつかないものの意で、つまり他の四以外のもの)、無為(作られないもの)のことで、一切を5種の領域に大別したもの。
これをさらに分類して、有為法としての色法11、心法1、心所法46、心不相応行法14、ならびに無為法3の計75法が立てられる。」
と解説されています。
色法は、五つの感覚器官とその対象、そして感覚器官では知覚されない特殊な物質の十一あります。
心とは、心王ともいって、意識です。
心所有法とは心の作用です。
心と結びついている精神作用、心理現象のことを言います。
これは六つに分かれます。
大地法といって、善悪の性質や煩悩のあるなしにかかわらず、あらゆる心地に属する心作用が十あります。感受や表象作用などが入ります。
それから大善地法といって、善の性質をもつあらゆる心地に属する心作用が十あります。信心や勇気、精進、心の平静などです。
大煩悩地法といって、煩悩に染まったあらゆる心地に属する心作用が六つ。無明や怠慢、不信などです
大不善地法といって、不善の性質をもつあらゆる心地に属する心作用が二つ、これは無慚と無愧です。
小煩悩地法といって、小煩悩に染まったあらゆる心地に属する心作用が十。怒りやもの惜しみ、妬みなどがあります。
不定地法といって、以上の五つに確定されない心作用が八つ、貪りや慢心、疑いなどがあります。
心不相応行法とは心と結びつかない要素。物質でもなく、心作用でもない原理(ダルマ)が十四有ります。
そして無為法に三つあるのです。
『般若心経』では五蘊という五つの分類ですが、細かく分けると七十五法のうちの有為法七十二にもなります。
五蘊の色は、色法の十一です。
受も想も大地法にあるものです。
最後の識は、心王にあたります。
有為方は七十二ありますので、この十四以外の五十八はすべて行蘊にあたります。
色受想行識の行というは、それほどたくさんあるのです。
こんな細かな存在の分析が何になるかと思われますが、仏教の学んでいく基礎になるのであります。
私も学生の頃に、『倶舎論』をゼミで学んだことを思い出しました。
後に禅僧として大成された宗演老師ですが、若い日に三井寺でこのような地道な学問を修めておられたのでした。
横田南嶺