辞世の言葉
「この世に別れを告げること。死ぬこと。また、死にぎわに残す偈頌・詩歌など」と解説されています。
偈頌とありますのは、漢詩のことです。
詩歌で示すこともあります。
有名なのが、太田道灌でありましょう。
刺客に襲われて
かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねてなき身と 思ひ知らずば
という辞世の和歌を詠んだというのであります。
果たして、実際にその今際の際にこういう和歌が詠めたのか、どうかは分かりませんが、和歌が伝わっているのであります。
もしも平素よりもともとわが身も我が命も無いものだと知っていなければ、こんな時に定めし生命が惜しいことだろうという意味であります。
松尾芭蕉が、辞世の句を望んだ門人に対して、
「きのうの発句はきょうの辞世、きょうの発句はあすの辞世、一句として辞世ならざるはなし」と言ったという話はよく知られています。
いつ死を迎えるかもしれないということを意識して、その時に詠った句が辞世になると思っていたのでしょう。
実際になくなる四日前に詠った
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」というのは、辞世というよりも、最後の句が辞世として伝えられたのであります。
与謝蕪村は、
白梅に明くる夜ばかりとなりにけり
と詠いました。
柄井川柳は
木枯らしや跡で芽をふけ川柳
と詠っています。
どちらも自分の死が終わりではなく、また新たなものが開けてゆくことを詠っているように感じます。
明智光秀の辞世の句と伝えられるものがあります。
順逆無二の門。大道心源に徹す。
五十五年の夢。覚め来れば、一元に帰す。
というものです。
順境、逆境、思うようになることもあれば、思うようにならぬこともある、その二つは別物ではなく、同じ一本の道だ。大いなる道は、心の源に徹している。五十五年の生涯は夢の如くであり、夢から覚めてみれば、一つの元に帰るだけのことだというのです。
一元は、仏心の世界といってもいいでしょう。
大いなる御仏の世界に帰るというのです。
そうとう深く仏教を学んでいたと察せられる一句であります。
昭和の禅僧山本玄峰老師は、お亡くなりになる前に、おつきの僧に、
「旅に出る、着物を用意しろ」と言ったといいます。
これは、飾り気がなく、すばらしい言葉だと思います。
死を特別にとらえているのではなく、日常の中に溶け込んでいます。
俳人山頭火の
もりもり盛りあがる雲へあゆむ
などは、いいなと思います。
旅から旅へと放浪の生涯を終えた山頭火でありますが、また新たな旅に出掛けるというところでしょう。
北条時頼の辞世の句もまた素晴らしいものであります。
業鏡高懸 三十七年 一槌打破 大道坦然
罪業を映し出すという鏡を高くかけて、三十七年間の生涯を歩んできた。
今、この鏡を槌で一振りに打ち砕いたら、大道が坦然と広がっているというところであります。
時頼は、二十歳の頃に道元禅師を鎌倉に招いて教えを受けています。
その後、南宋から渡来した蘭渓道隆禅師を開山にして建長寺を開いています。
また東福寺の聖一国師を招いて師事されてもいます。
更に南宋から来た兀庵禅師に深く参禅して、印可を受けるほどでありました。
それだけに、死に臨んでも悠然たる心境がうかがえます。
もっともこの句にはもとがあって、宋の笑翁禅師の遺偈を用いたものだと言われています。
いずれにせよ、そのような心境だったということでしょう。
古く中国において肇法師が刑に望んで偈を残しています。
それが
四大元無主 五蘊本来空 將頭臨白剣 猶似斬春風
というものです。
肇法師は、鳩摩羅什を師とし、仏法ひとすじ、心身をささげていましたが、たまたま、ある時、秦王の怒りにふれ、処刑されることになってしまいました。
肇法師は七日間の猶予を乞い、許されて、その間、「宝蔵論」という書物を書き上げました。
かくして肇法師は斬刑の場に臨んで残した遺偈なのです。
四大元主無し、五蘊本来空 頭をもって白刃に臨めば、猶春風を斬るに似たり。
四大という地・水・火・風の元素で成り立つ人間の肉体にはもとより主は無い。
したがって五蘊という五つの構成要素も本来空である。
まさに首を差しのべて白刃に臨めば、さながら春風を斬るようなものだというのです。
円覚寺の開山無学祖元禅師、仏光国師が、五十一歳の時に元の軍に襲われて、
「乾坤、孤筇を卓つるに地無し、喜得す人空法亦空なるを。
珍重す、大元三尺の剣、電光影裏、春風を斬る」
という一句を残したのは、おそらくこの肇法師の偈が頭にあったのだと察します。
もし、そのまま命を落としていたならば、この句が辞世の言葉になったのでありましょうが、幸いにも元の兵士も、引き下がっていったのでした。
白隠禅師は、お亡くなりになるときに、大吽一声といって、大きなうなり声を上げたと言います。
これはこれで見事な一句であります。
「よく死ぬことは、よく生きることだ」という言葉がありますが、辞世の言葉というのも、普段の生き方が現われるのであります。
やはり普段から丁寧に何があってもおかしくないのだと自覚して生きることであります。
横田南嶺