下坐と奉仕
そこに掲載されている話に心打たれたので紹介します。
三上先生は、西田天香先生の一灯園に入られて天香先生について学ばれた方であります。
いろんな逸話がある方であります。
徹底した下坐と奉仕の生活を貫かれた方であります。
一灯園は、西田天香先生が明治三十七年の日露戦争開戦後に京都山科に開いたものであります。
懺悔、下坐、無所有、奉仕の生活をする場所であります。
三上先生は、大正十年に入園されたのでした。
そして三年後に三上先生は、天香先生に随行して満州に渡ったのでした。
三上先生二十三歳のことであります。
満州で小学校に通学できない子ども達を寄宿舎で預かってお世話していました。
その中に一年生の初子という女の子がいました。
その子は、毎晩寝小便をしていたといいます。
そのことでまわりの子達からからかわれていました。
そんなことが続いてだんだん性格がゆがんできました。
三上先生は、皆が起きる前に、寝小便をしていれば、着替えさせ、皆に分からないところに布団を干していました。
親身になってお世話する三上先生に接して、この女の子もだんだん明るくなってきました。
しかしながら、寄宿舎の親たちは、貧しくお金を送ってくることがほとんど無かったそうです。
三上先生は、ご自身の着物を売ってやりくりしていました。
ある日のこと、学校で初子さんの同級生たちが人形を持って遊んでいました。
かわいい日本人形を教室の三分の一ほどの子どもが持って楽しそうに遊んでいたのでした。
初子さんもその人形が欲しいと言いました。
しかし、三上先生にはそのお金がありません。
お金がないといくら説明しても納得しない初子さんの為に、三上先生は町に人形を買いに行きました。
そして自分が来ている着物を売るしかないと思ったのでした。
毎日着ているものですから汚れていますが、質屋に持ってゆきましたが、人形を買うお金には足りません。
なんとか交渉していると、質屋の番頭さんが、三上先生が毎朝四時頃から街頭の掃除をしていることを思い出して、質屋の主にそのことを伝えました。
質屋の主人も三上先生が毎朝掃除していることを知っていて、どうにかお金を借りることができたのでした。
なぜそこまでして人形を買ってあげたのか、三上先生は質屋の番頭に「たしかに必需品ではないけれども、あの人形で遊びながら、お姉さんらしい気持ちや母親らしい心を覚えて、人を世話することを好きな子に育っていくと信じている」というのであります。
これだけでも心温まる話なのであります。
初子さんもそのお人形を大事にしていたのでした。
その後三上先生はその寄宿舎もやめて、やがて満州事変、志那事変から大東亜戦争になって、そしてついに敗戦と、瞬く間に二十三年も過ぎたのでした。
三上先生も日本に引き上げた昭和二十四年の秋のことです。
三上先生が講話のために、山陽線の列車に乗っていたときでした。
列車の中の通路に腰掛けて眠っていたそうです。
目が覚めると、女の人から声をかけられました。
「あなたは満州から帰られた方ではないでしょうか」と問われて
「そうです」というと、
「日本人小学校の寄宿舎を預かっておられた三上先生ではないでしょうか」というのでした。
驚いたことに、その女性は初子さんだったというのです。
その後初子さんは開拓団の方と結婚して二人の子どもに恵まれましたが、夫は戦争に行ったまま帰って来ず、子ども二人を連れて日本に引き上げたのでした。
そして是非とも言われて、初子さんのご自宅に招かれました。
そこで、初子さんが、これを見て欲しいと涙を流しながら、千代紙を貼った箱を差し出しました。
箱の中をみると、あのとき満州で買ってあげた人形が入っていたのでした。
「これだけはお嫁に行くときも、引き上げてくる時も手放しませんでした。これを見るたびに、あの時の三上先生を思うのです。
あの時、先生はまだ若い独身の身でした。
独身の男の先生でもこんなにやさしくしてくれるのだから、私も人にやさしくしなければならないと努力してきました。
この人形をみては、どこにいっても人にやさしくしなければと気をつけてきたので、どこでも周囲の人にやさしくしてもらってきたのです。
無事に日本に引き上げることができたのもこの人形のおかげです。
この人形は私のお守りなのです」
というのであります。
なんとも言えない話であります。
人の為に尽くす心が、人を救ってゆくのであります。
奇跡のような話でありますが、実際にあったことなのです。
私にこの資料を送ってくださった方もまた、この「初子と人形」の話が心に深く響いたと書かれていました。
幼い子どもであっても、わが身を顧みずに、厳しい寒さの満州で、着ているものを売ってでも人形を買ってくれたやさしい心は、身にしみたのでありましょう。
どんな時でも人にやさしくと思っていたからこそ、やさしくしてもらえたと言いますが、簡単なことではありません。
三上先生の下坐と奉仕に徹した素晴らしい人格を伝えるお話であります。
横田南嶺