師恩
昨年三百年遠諱記念の講演を務めさせていただいたご縁であります。
一年ぶりに正受庵を訪れました。
白隠様を蹴落とされたという坂道をあがって、お参りさせてもらいました。
法要の前に、正受老人のお墓に手を合わせてお参りして、それから前の住職であった原井寛堂和尚のお墓にもお参りしました。
寛堂和尚は、円覚寺で修行された方でしたので、ご縁が深いものであります。
法要の日は、小雨の降る日となりました。
控え室で老師方と会話していて、ある老師が外を眺めながら、「雨が降ってきました」と仰ると、大導師をお勤めくださる老師が、「私はもっと土砂降りになるかと思ったよ」と仰せになりました。
私は、そこで間髪を入れずに「私は雷が落ちると思って来ました」と申し上げました。
この正受庵で純粋に正念工夫相続の暮らしを貫かれた正受老人が、只今の私ども宗門の有様をご覧になると、雷が落ちても仕方ないと思ったのでした。
私は、更に一言、「真っ先に雷が落ちるのは、この私でございます」と添えたのでありました。
幸いにも土砂降りにもならず、雷も落ちずに、小雨の中厳かに法要が行われて、感動しました。
また正受庵の坐禅堂には、正受老人のお師匠様である至道無難禅師の「平常道」と書かれた大きな墨蹟や、正受老人の直筆の遺偈が掛けられていて、拝見させていただくことができました。
そのあと、更に京都に出掛けて建仁寺の竹田益州老師の三十三回忌、湊素堂老師の十七回忌の法要に参列させてもらいました。
私はほとんど過去を振り返ることはしないのですが、こういう老師の法要に招かれると、どうしても修行時代のことを思い起こします。
思えば竹田益州老師がお亡くなりになった時に、私はちょうど建仁寺で修行していた時だったのでした。
すでに僧堂の師家を素堂老師にお譲りになって、悠々自適にお過ごしの益州老師のお姿を拝見させてもらったのでした。
ちょうど僧堂の法要を務める役目を仰せつかっていた時に、益州老師がお亡くなりになったのでした。
密葬から四十九日までの七日毎の法要を務めさせてもらったのも、今となっては懐かしい思い出であります。
あれから三十三年も経つのかと思うと感慨ひとしおでした。
十七回忌になる湊素堂老師には、大学を出たあと三年ほど修行させてもらいました。
老師の身の回りのお世話をする「隠侍」という役目も勤めさせてもらったものでした。
素堂老師の追悼集に私が認めた文章がありますので、紹介します。
「かつて素堂老師の隠侍を勤めさせていただいたある日のこと、突然老師が「これからお葬式をします、すぐついてくるように」と言われます。
老師のご出向となればあらかじめ副司さん(僧堂の行事を決める係)から指示があるはずですが、その日の告報(その日の予定)にも出ていません。
何のことかよく分からぬうちにまごまごしていると、老師はお部屋から雀の画を額縁に入れてお持ちになり、これを持ってついて来なさいと言われます。
実は山内の西来庵さんで、多年大事に育ててきた雀がその日に死んだそうで、これからそのお葬式をするとのことでした。
雀の遺骸を西来庵の庭の木の下に埋葬し、老師と西来和尚さんと私とで、小雨降る中持参した雀の画を飾って大悲呪を誦み、老師が自ら香を献じて回向なされました。
素堂老師のことを思い出すと、真っ先に西来さんで勤めた雀のお葬式を思い起こします。
また、お部屋で老師から言われるままに墨をすっていると、その隣で楽しそうに雀の画をかかれるお姿、縁側で茶礼していると、鳩が老師の傍に寄って餌をねだり、餌をあげるうちに鳩が老師の膝に乗り、はたまた肩に乗り、はては毛糸の帽子をかぶった頭の上にも乗られ、それでも悠然とにこにことして餌をあげられる老師のお姿が思い起こされます。
子供を大事にされたことや、鳥や雀までも大事にされたこと等、老師のお慈悲はよく知られた一面でしょうが、雲水には厳しかった事もまたひとしおでした。」
と書いています。
そのあと、気の利かぬ私は、毎日毎日老師から叱られてばかりだったことを書いています。
ある時に、私が老師の夕餉の支度をしていると、老師がお風呂からお上がりになって、私を見て「何歳になるのか」と問われました。
私が当時まだ大学を出たてでありましたので、「二十三歳です」と答えると老師は一言「源頼家公は、二十三歳で亡くなったぞ」と仰せになりました。
二十三歳でまだ若い、まだまだ先があるなどと思っていてはいけないぞという戒めかと思いました。
素堂老師のことを思うと、とにかく叱られたことばかりで、褒められたことなどただの一度もありませんでした。
叱るということは大変なことで、今思うと悉く老師のお慈悲であったと感じることができます。
かつて修行した僧堂を訪れて、法要に参列するとそんな懐かしい思い出が頭に浮かびます。
歳月が流れ、叱られてばかりの修行僧が、管長として法要にお招きいただくのです。
慚愧汗顔の至りです。
正受庵にお参りしたときには雷が落ちるかと思い、建仁寺にお参りしては、老師のご叱正が耳に響いてきたのでした。
横田南嶺