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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.09.26
今日の言葉

禅の息吹

彼岸の入りの日には、東京谷中の全生庵で法話を行ってきました。

折から大きな台風が通り過ぎたところで、まだ雨の降る中でありました。

全生庵での法話も実に三年ぶりかと思います。

コロナ禍で、ずっとお休みしていたのでした。

もっともお彼岸会の法要のみは行っていたらしいのですが、行事を縮小するために、法話は省略されていたのでした。

全生庵様は、私にとって懐かしいお寺であります。

学生の頃に、よくこのお寺の坐禅会に参加していました。

またその頃毎月龍沢寺の老師がお見えになって提唱をされていましたので、その講座も拝聴していました。

私がおうかがいしていた頃は鈴木宗忠老師でありました。

この老師のお姿、お声、たたずまいに禅僧の在り方を感じたものでした。

とくに老師は、戦争中にはサイパンに行っておられて、玉砕したと言われるサイパンから生き残って帰ってこられたという体験をお持ちでした。

このサイパンの体験をお話くださる時などは、実に鬼気迫るものがありました。

また当時全生庵のご住職だった平井玄恭和尚は、長年山本玄峰老師のおそばでお仕えしておられた方でしたから、玄峰老師の逸話もよく拝聴させてもらったものでした。

また学生の頃には、大学に通うのに、日暮里の駅から白山のお寺まで歩いていましたので、全生庵さまの前をよく通っていたのでした。

今回は、彼岸会の法話でありますが、特に今のご住職のお子様お二人の得度式も行いました。

数年前にご長男の得度式も行ったのでした。

私は、その戒師という役を務めたのでした。

ただいまのご住職は、私よりも三歳ほどお若いのですが、何冊もの書物を出版され、とても精力的に活躍されている方であります。

さてこの全生庵は、山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立したお寺であります。

山岡鉄舟居士は、『広辞苑』にも

「幕末・明治の政治家。無刀流の創始者。前名、小野高歩(たかゆき)。通称、鉄太郎。

江戸生れの幕臣。剣術にすぐれ、禅を修行、書をよくした。

戊辰戦争の際、西郷隆盛を説き、勝海舟との会談を成立させた。

のち明治天皇の侍従などをつとめる。子爵。(1836~1888)」

と書かれています。

本格的に禅の修行もされて天竜寺の滴水老師から印可を受けておられます。

円覚寺の今北洪川老師にも参禅しておられてご縁が深いのであります。

儒学者・佐藤一斎の門下で教部省(現在の文部科学省)の役人をしていた奥宮慥斎という方は、洪川老師の『禅海一瀾』を読んで感動し、両忘庵という禅会を立ち上げて洪川老師に師事されていました。

その禅会へ鉄舟居士も通うようになりました。

明治八年十一月二十日付の奥宮慥斎の手紙の中に、「両忘社中も次第に人員加り、山岡銕太郎ナド参社甚愉快ニ候」と書かれているのです。

鉄舟居士は明治五年から十年間、明治天皇の侍従をされていますから、ちょうどその頃に洪川老師に出会っているのです。

洪川老師も「山岡君は、宰官の身にして余が禅社に入り、古徳の誵訛因縁に参得す、将におもえり、希有の大人なりと」とまでお褒めになっておられます。

洪川老師のもとで難しい禅の公案にも取り組まれたことが分かります。

「希有の大人」というのですから、滅多にない優れた人物だと称賛されているのです。

その後、鉄舟居士が明治十五年に侍従をお辞めになって出家しようと思ったのに対し、洪川老師は「坊さんの真似をする必要はない。自分の道を貫けばいいんだ」と諌めたと言われます。

その時の偈を洪川老師が書かれたものが、全生庵さまに残っています。

今回は私の控え室の床の間にその軸をかけてくださっていました。

「木食草衣、未だ真の道ならず。王事を鞅掌して、道、賖かなるに宜し。
唐朝幸いに先賢の跡有り。乞う、顔公と境涯を共にせんことを」

というもので、意訳しますと、

「木の実を食べ草の衣を着るような出家の禁欲生活はまだ本当の道ではない。

政治家として君に仕え国家に尽くす中に道がある。その道はもっと大きく遙かなものだ。

幸いに唐朝に学ぶべき賢人の行迹がある。

かの顔真卿と同じように王事に尽くして頂きたい」

という内容であります。

結局鉄舟居士は、出家はせずに居士としての生涯を貫かれたのでした。

よく知られた逸話ですが、あるとき鉄舟居士のところに弟子が来て『臨済録』の提唱をお願いしました。

鉄舟居士は「俺は坊さんじゃないから洪川老師のところへ行け」と言いました。

弟子が「洪川老師の『臨済録』はもう聞いたのでぜひ鉄舟先生に」と言ったら、道場へ連れていき、ひとしきり剣の稽古を見せ、「分かったか」と言いました。

つまり、『臨済録』をただ単に書物だと思ってもらっては困ると言いたかったのです。

鉄舟居士の真面目を伝える話であります。

全生庵を訪れると、あちらこちらに鉄舟居士の書を見ることができます。

また玄峰老師の書もございます。

すぐれた先賢の書に触れて自ずと襟が正される思いです。

またこのお寺には、かつて中曽根元首相がよく坐禅に通っておられました。

先頃お亡くなりになった安倍元首相も坐禅されていたとうかがっています。

都内にある禅の道場としての息吹を今も伝えている尊いお寺であります。

 
横田南嶺

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