癒やしとは?
もう早いもので四回目となります。
ただし二回目は、コロナ禍のはじめの年で、諏訪中央病院には行かずに、オンラインで行ったのでした。
昨年は、どうにか諏訪中央病院まで出掛けて行うことができたのでした。
今年のテーマは、
「『癒やし』ってそんなことだったの!?会議」
というものです。
チラシの紹介文には
「ストレスが溜まると、人は本能的に「癒されたい」と感じます。
しかし、「癒やし」ってそもそもどうやって起こるのか、考えたことがありますか?
今回はおなじみ、円覚寺 横田南嶺老師と漢方医 桜井竜生先生に、「癒やし」の本質を語っていただきます! 感染拡大に伴い限定参加となりますが、「癒され」に来ませんか?『癒やし』ってそんなことだったのか?会議」
と書かれています。
「癒やし」というのはそもそも何だろうかと思って、いつものように『広辞苑』で調べてみました。
すると、なんと「癒やし」という言葉は、『広辞苑』第七版にはないのです。
これには驚きました。
「いやし」という言葉で調べると、「いやしい」という「いやし」しかないのでありました。
「卑しい、賤しい」
というのは「形容詞で
(類義語「あやし」が不思議と思われる異常なものに対する感情であるのに対し、蔑視または卑下すべきものに対する感情をあらわす)というのです。
そしていくつかの意味がありました。
①身分や地位が低い。
②貧しい。みすぼらしい。
③とるにたりない。
④下品である。おとっている。つたなく、まずい。
⑤さもしい。けちである。
⑥食物などに対する欲望が、むき出しである。いじきたない。
など、「いやしい」にはいい意味はありません。
調べると「癒やし系」という言葉は見つかりました。
こちらは「心を和ませるような雰囲気や効果を持つ一連のもの」という意味です。
漢字の「癒」を漢和辞典で調べました。
音読みは「ユ」で「いえる・いやす」と読みます。
動詞で「いえる。病気が抜けてとれる。病気が治る」という意味です。
文字の成り立ちをみると、兪ユは「舟+刃物でくり抜くさま」からなる会意文字で、中をくり抜いた丸木舟。
癒は「やまいだれに音を表わす愈をつけて「心のしこりが取れる」ことで「からだの中の病気が、くり抜いたように抜けてくれること」という意味が書かれています。
そういうものか思っていると、思い出しました。
かつて文化人類学者であり、東京工業大学教授の上田紀行先生のお話をうかがった時に、先生がご自身で「癒やし」という言葉を使い始めたようなことを仰っていたことを思い出したのです。
いろいろ調べてみると、
一九八八年十一月に新聞紙上で初めて「癒やし」という言葉が使われたのだそうです。
ちょうどその頃上田先生はスリランカの悪魔祓いについてのシンポジウムを催していて、その時の紹介記事に「癒やし」という言葉が用いられたそうなのです。
それ以来、癒やしは一時ブームのようになりました。
アロマテラピー、α波音楽などが癒やしとして取り上げられました。
この場合、癒やしという言葉は、単なるストレス解消を表わしているように思います。
上田先生は、「お手軽な癒やしのせいで気付かぬうちに見えないストレスや疲れなどを蓄積する恐れがある」とも危惧されていました。
上田先生が「癒やし」を研究するきっかけとなったスリランカの悪魔祓いというのはどういうものか、上田先生の『スリランカの悪魔祓い』という本には詳細に書かれていますが、簡単に紹介してみます。
まず悪魔にとりつかれた人がいるのです。
このあたりは理解しがたい事ですが、本の中でも「まるで幽霊のような」「地面に立っているというより宙に浮かんでいるような」感じでやつれて、頬がげっそりとこけて目は焦点を結ばず、中空をさまよっている状態だと書かれています。
そこで呪術師が壮絶な悪魔払いを行うのです。
とりつかれた女性は激しく踊るのでした。
そして悪魔が抜けて出てゆくと、あとは悪魔にとりつかれていた人を含めて村人総出で、コメディーのような娯楽になって村祭りを行うのです。
村人全員で祭りを行うことで、病にかかっている人も癒されてゆくのです。
そして心が健康を取り戻して、身体も健康になるというのです。
これがスリランカの悪魔祓いの「癒やし」のシステムです。
癒やしとなるものは、今日沢山あります。
体を癒すものとしては、薬草や栄養補助食品などがあります。
カイロプラクティックやマッサージもそうでしょう。
呼吸法もそのひとつかもしれません。
ファスティングと呼ばれる断食もそうでしょう。
感情にはたらいて癒やしてゆくのに、娯楽の笑いや遊びもあります。
アロマや音楽療法などもそうでしょう。
精神面ではイメージ療法などがあるでしょう。
他にもヒーリングというようなものや鍼や祈り、ストレス軽減のためのマインドフルネスや瞑想もそうかもしれません。
今のお祭もそういう癒やしの一面もあります。
今年は三年ぶりに祭が開催されたところが多かったのでした。
中には人が大勢集まって感染が増えたところもあるでしょうが、それよりも祭をやってよかったという声が大きかったようです。
治療というと、体のある部分、悪い処を治すということでしょうが、癒やしというのはもっと人間全体を回復させるものです。
不要不急は控えましょうということで、コロナ禍のはじめの頃にはいろんな行事が自粛されたのですが、やはり不要不急と思われていたような娯楽などが、人間にとって大事な癒やしになっていたと改めて認識させられたと思います。
癒やしといっても、あまり癒やしてあげようと作為がはたらくと、かえって卑しいものとなってしまいます。
癒そうなど思わなくても、ただみんなとつながっていること、大自然とふれあっていることなどが、大きな癒やしになるのだと思います。
そんなことを話したのでした。
横田南嶺