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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.09.25
今日の言葉

学びて時に習う

思えば二〇一五年の四月から、東京の湯島の麟祥院で、駒澤大学の小川隆先生を講師にお招きして、臨済録の勉強会を開いてきました。

かれこれもう七年も前になります。

『臨済録』について、まず虚心坦懐に言葉の意味を忠実に学ぼうと思ったのでした。

小川隆先生から、中国語の基礎から、語学的に検証して正しい読み方を懇切丁寧に教わってきました。

私も伝統的な読み方だけでなく、今日の最先端の研究に基づく解釈を学んで、大いに啓発されました。

また一字一句を綿密に考証して読み進める小川先生の学究の姿勢にも深く心打たれました。

意味さえ分かればいいというような安易な読み方ではないのであります。

それが二〇二〇年の四月から、この講座もコロナ禍の為に開催できなくなっていました。

その間には、オンラインで勉強会を行い、その動画を勉強会のメンバーのみに配信するという方法でどうにか継続してきたのでした。

それが先日、ようやく2年半ぶりに麟祥院で再開したのでした。

その日はちょうど台風が近づいて、開催が危ぶまれたのですが、どうにか悪天候の中ながら開催できました。

二年半ぶりにお目にかかる和尚様もいらっしゃって感動の再会でした。

今回からは、小川先生のご講義と共に、東洋大学の元学長の竹村牧男先生に『華厳五教章』の講義もお願いすることになったのでした。

当代を代表する仏教学者のお二人の講義を拝聴できるという、実に有り難い勉強会であります。

私は再開にあたり、皆さんにコロナ禍で学んだことが二つあると話をしました。

その一つは、やはり学ぶということは、同じ場所に集い、同じ空気を吸い、直に先生の謦咳に触れて学ぶことの大切さであります。

知的な理解も大切ですが、同じ場所にいることによって、伝わるものがあります。

それから、もうひとつはオンラインの良さであります。

その時、その場に集まることができなくても、学ぶことが出来るというのも、これもまた素晴らしいものであります。

今回は、そんな同じ場で共に学べる、しかも2年半ぶりということで感動的な勉強会でありました。

竹村先生は、第一回ということもあって、仏教史の流れから華厳の概略についてお話くださいました。

一時間の講義があっという間に終わりました。

そしていよいよ小川先生のご講義であります。

開催の前には、台風も近づいているので早めに終えようと話をされていましたが、久しぶりの講義に熱がお入りになって、予定の時間を大幅に超える熱のこもったご講義となりました。

この熱量に触れることができるのが、現場での講義の良さであります。

今回学んだのは『宗門武庫』の中の一節でありました。

この話は2020.12.16の管長日記で「聖意測り難し」と題して書いたことがあります。

汾陽善昭禅師の話なのです。

その内容について以前の管長日記から引用します。

「汾陽禅師が、ある時に夢をご覧になりました。

夢の中で、亡くなった両親が出て来たのだそうです。

中国の先祖供養では、亡くなった方に対してその子孫は、亡くなった方があの世でも幸せに暮らせるように、こちらから、お金を送ったり食べ物を供養しなければならないという考えがあったようです。

紙のお金を作って、それを燃やすことによってあの世に送れるということだったのです。

汾陽禅師の両親が夢に出てきて、紙のお金やお酒やお肉を送れと言ってきたというのです。

さすがの大禅師も世俗の風習には従わざるを得ずに、紙のお金やお酒やお肉を置いて供養したのでした。

位牌を設けてご供養して、その後お酒をお肉を振る舞ったのでした。

紙のお金は燃やしたのですが、残ったお酒やお肉をお寺の者に振る舞おうとしました。

が、お寺の役を務めている僧たちは、そんな戒律に背くようなことはできないと断りました。

すると汾陽禅師お一人は、そのお酒を飲みお肉をいただいたのでした。

それを見た僧達は、酒や肉を食べるような僧を、師とすることはできないといって、みな自分の荷物をまとめて寺から出ていったのでした。

汾陽禅師のもとに残ったのは、慈明禅師や大愚、大道など六、七人のみだったというのです。

汾陽禅師は、翌日お説法をされて、

「あんなに大勢いた連中も、唯一盃の酒と肉と、わずかな紙の紙幣を使っただけで、みんな出ていった。

ここにいるものは、枝葉のようなものはなく、真実の志ある者だけだ」

と言われたのでした。

最後の言葉は、

「この衆には枝葉無し、唯諸々の貞実のみ有り」

という『法華経』にあるものです。」

と書いています。

たしかに理解し難いところがあります。

『忠臣蔵』で大石内蔵助が、わざと遊郭で遊んで、義士たちの決意のほどを試そうとしたようなところかと思ったりもしていました。

修行というのは、たとえ師がどのような振る舞いをなそうとも、あれこれ考えずに師事すべきという教えかと思ったものでした。

しかし、今回は小川先生がまた新たな見識を示してくださいました。

単に修行僧達を試す為だけなら、夢の話は不要であり、肉と酒だけでいいのです。

この両親の夢を見たというのには意味があるというのです。

汾陽禅師は、十四歳で両親を相次いで亡くされていました。

一人息子だったのではないかというのです。

それ故に両親の供養を満足にできていないという思いがあったのではないかということです。

小川先生は、

「中国においては、その亡くなった人の供養は誰がしてもいいというものではなく、中国の伝統観念では、あの世における死者の霊の生活は、この世の同姓・男系の血のつながった子孫から祭祀を通じて送り届けられる食物・衣服・金銭等によって維持されており、それを享けられない霊はあの世で際限なき飢寒や貧窮にさいなまれるとされる」ということを指摘されました。

そこで小川先生は最後に

「理由として上のような行為を敢えて行ったのは、やはり、早くに亡くなり、しかも一人息子であった自身が出家した為に祀ってくれるはずの子孫さえも失ってしまった亡父母に対する切迫した思い (夢の話はその思いを象徴的に語ったもの)があったからであり、 せめて一度だけはまともな祭祀を行って、その思いにけじめをつけようとしたのではあるまいか。」

という見解を示してくださいました。

こういう見方は私にはできないところであります。

禅僧だから、「一子出家すれば九族天に生じる」のだから、なにも心配することはない、両親も仏心の世界で安らかにいるというような考えは、現代に生きる者の考えるところかも知れません。

当時の中国の方の親への思いというのは、今の私たちには測り難いものがあります。

修行されても猶このような慚愧を抱いているところも尊い姿だと学びました。

学ばないと、このような見方をすることはできなかったので、やはり学び習うことの大切さをしみじみ思ったのでした。

 
横田南嶺

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