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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.09.18
今日の言葉

腰骨を立てるということ

先日佐々木奘堂さんにお越しいただいて、坐禅の講習を行っていただきました。

前回が六月でしたので、久しぶりの講習になります。

今回もまずはじめに白隠禅師の臘八示衆から

「坐禅は一切諸道に通ず。

八百万の神、悉く皆身中鎮坐す。

此の如く鎮坐の諸神を祭祀せんと欲せば、脊梁骨を竪起し、気を丹田に充たし、正身端坐せよ」

という言葉を示してくださいました。

何度聞いても素晴らしい言葉です。

思えばまだ小学生の頃、和歌山県新宮市のお寺に坐禅に行き、この言葉を聞いて感動したのでした。

私が坐禅に志すようになった機縁になるものです。

日本の八百万の神々が皆、私たちの体の中に鎮座してくださっているというのです。

この神々をお祀りするにはどうしたらいいかというと、まず脊梁骨を立てて、気を丹田に充たして、そして身を正しくして坐ることなのです。

脊梁骨を竪起する、気を丹田に充たしめる、そして正身端座、この三つは白隠禅師の説かれた坐禅の基本であります。

しかしながら、この脊梁骨を立てるということも、正身端座するということも実に容易ではないのであります。

脊梁骨というのは背骨のことであります。

脊梁骨を立てるというのは、森信三先生の仰る腰骨を立てることであります。

今回の講義で、私はエビ責めという拷問のあることを知りました。

聞いたこともあるような江戸時代の拷問の一つであります。

これは、罪人にあぐらをかかせ、後ろ手に縛り、からだを前に押し曲げて、首と足とがつくまで縄で締めつけるようにするというのです。

要するに背中を丸めて坐らせるのです。

これが実に拷問なのです。

このエビ責めの前に、笞打(むちうち)、石抱きというのがあるのです。

むちうちは文字通り、ムチで打つものです。

石抱きというのは、三角形の板を並べた台の上に正坐させて、その太ももの上に石を載せるのです。

想像しただけでもぞっとする恐ろしい拷問です。

時代劇などで観たことがあります。

そのむち打ちや石抱きでも自白しない者に、エビ責めを行ったというのです。

背中を丸めて坐らせるのが、実に命にも関わる拷問で、医師が立ち会って行ったというのです。

それほどまでに背中を丸めて坐るという姿勢は、苦痛であり拷問なのであります。

そうかといって、腰をそらすように坐るのは、こんどは逆エビのような苦痛になってしまうということです。

逆エビといのは、プロレスなどの技にもあるとのことです。

要するに、背骨は丸めてもそらせても苦痛になるのです。

まっすぐに坐ることこそが安楽な道なのです。

ところが私たちは普段無意識のうちに背中を丸めて坐ってしまっています。

これではいけないと思うと、意識して腰をそらせてしまいます。

その両方が駄目だとなると、真ん中はどの辺だろうかと、あれこれと手探りで真ん中を見つけようとします。

そこでいろんな体操や身体技法が関わってくるのでしょう。

しかし、奘堂さんは、そのような手探りや技法では脊梁骨は立たないと主張されるのであります。

確かに意識であれこれと行っても、それは臨済禅師の説かれた「造作」になってしまいます。

余計なことなのです。

もちろんそうかといって何もしないのではただ単にだらけてしまいます。

そこでどうするか、同じエビでも、今回は柔道のエビという動きを教わりました。

これは柔道の練習の基本なのだそうです。

腰を立たせる動きなのであります。

動画を見せてもらって皆で実習しました。

それからやはりなんといっても五体投地が一番だということで、今回も繰り返し五体投地を行ったのでした。

今回の講習はそのような実技が中心だったので、修行僧達もよく理解できたと言っていました。

やはり理論の説明よりも、実際に体で学ぶことの方がよいと実感しました。

質疑応答も何名かの修行僧が熱心に質問してくれていました。

まずなによりも学ぼうという意欲が腰を立てるものです。

やってみようという熱意が腰を立てるものであります。

前を向いて立ち上がるということも何度も実習しました。

やはり立ち上がるぞという気持ちが腰を立てるのです。

足の付け根で立つことが坐るという姿勢なのだというのが、奘堂さんの説かれるところです。

寝た姿勢から起き上がる時の要領も丁寧に教わりました。

なにも坐禅の時だけではないのです。

日常如何なるときにも腰を立てていることが肝要なのです。

寝返りを打つときの動きにも腰を立てる要領があるのです。

これが柔道のエビにも通じるのであります。

いくら外から腰を立てよといって、無理矢理やらせても、苦痛になってしまい、人が見ている前では腰をそらせて良い姿勢のように見せて、見ていないと腰をまるめてだらけてしまうだけになります。

これではいけないのであります。

腰を抜いて背中を丸めるのは、拷問のような苦痛であることをまず知るべきです。

生涯に亘って体に身につくものを修行道場で習うことが大切だと思って、いろんな先生に教わって習うのです。

そして何度も何度も繰り返し習うことによって体に染みこんでゆきます。

奘堂さんの熱意は修行僧達にも十分伝わっていました。

そして終わった後の感想を修行僧に聞いてみると、やはり奘堂さんの坐る姿勢を見るのが、どんな説明よりも説得力があると言っていました。

若い者もちゃんと見るべきところを見ているのです。

 
横田南嶺

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