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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.09.12
今日の言葉

思いやりの人

私はスポーツを観ることがほとんどありません。

ずっと修行道場で生活してきましたので、触れる機会がないのであります。

ですから、高校野球にも何の関心を持っていないのであります。

久しぶりに高校野球を意識したのは、一昨年甲子園大会がコロナ禍で中止になった時なのでした。

それほどまでにスポーツのことには疎いのであります。

それが、この度高校野球の結果に興味を持ったのでした。

そのきっかけは、いつもの毎日新聞日曜くらぶの海原純子先生の連載記事でありました。

新心のサプリ、九月四日に「心の呪縛を解く」という題で、今年の甲子園夏の大会で優勝した仙台育英高校の監督のことが書かれていました。

海原先生の記事から一部を引用させてもらいます。

仙台育英高校がこの夏の全国高校野球選手権大会で優勝したことに触れて、

「東北勢で初めての全国制覇となり大きな反響があったが、改めてこの優勝がもたらした意味を感じた。」

というのであります。

東北勢で初めての優勝ということも存じ上げませんでした。

「東北の呪縛」というのがあるのだそうです。

どういうことかと思って記事を読むと、

「かつて試合の対戦相手を決める抽選会の時、東北の高校が対戦相手に決まると拍手が起きることなどがあったという。

東北勢は弱いから楽勝だ、ということなのだろう。」

というのであります。

ひどい話だと思いましたが、そのようなことがあったのでしょう。

これを傲りと言わずしてなんと言いましょうか。

そこで海原先生は

「「自分たちは弱い」「できない」「無理だ」という思いは強いレッテル貼りの心理となり人の心を縛ってしまう。これが呪縛ということなのだと思う。」

と書かれていました。

元来、どこで生まれ育とうと人間は平等であります。

いろんな条件があって、優勝できないだけのことだと思いますが、「呪縛」と書かれると深刻に思います。

「優勝旗の「白河の関越え」という言葉」なども初めて耳にしたものです。

いろんな思いがあるのでしょう。

海原先生は「心理的な呪縛というのは高校野球に限らず、さまざまな場面にあらわれて人の行動を縛ってしまう。」と言います。

そして「どうしたらそうした心の呪縛を解くことができるのだろう。仙台育英の須江航(わたる)監督の話にいくつかのヒントがある」というのです。

この須江監督という方の人物に興味を持ちました。

海原先生の記事によれば、

「須江監督自身、仙台育英の出身で野球部だったが、レギュラーの経験はなかったそうだ。ただそのリーダーシップをかわれてマネジャーなどを務め、大学卒業後は仙台育英の系列校の監督などをした後2018年から母校の監督になったそうだ」

というのですから、いろんな苦労をされてきた方だと分かりました。

名選手必ずしも名監督ならずということを聞きますが、いろんな苦労をされた方ほど良い指導者になることがあるのでしょう。

禅の世界でも同じようなことがあります。

あまりに俊発な天才肌の禅僧のもとよりも、長年に亘って苦労を重ねてきた禅僧のもとから多くの優れた弟子が出ているようなものです。

唐代の禅僧巌頭禅師は、実に天才肌の禅僧でしたが、弟子は多く育っていません。

同じ時に修行していた雪峰禅師は、努力型の典型のような方ですが、実に多くのすぐれた禅僧を育てているのです。

その須江監督の教育の方法も優れていたようです。

「白河の関を越えさせるために須江監督が取ったのは、心理的呪縛を外す方法のように見える。

その一つは科学的な根拠を明確に示して目標にしたことだ。

投手は球速、バッターはスイング速度や一塁までの走る速度、というようにレギュラー入りできる基準を数字で示したことだ」
と書かれていました。

今の時代には、ただやみくもに厳しく鍛えていく根性論よりも、合理的で納得のいく指導の方が若い者も受け入れやすく効果も大きいのだと思いました。

坐禅の指導も同じように思いました。

ただやみくもに足の痛いのを辛抱してじっとさせても難しいものです。

野口法蔵先生もご著書の中で

「たしかに修行に慣れないうちは、ある程度強制は必要かもしれません。しかし、人から強制されてやることは続きませんし、それで真の悟りに至ることはありません。日本の禅堂では、左右どちらの足から入室するかとか、どんなふうに警策を受けるかなど、細かな決まりごとがたくさんあります。そのことによって所作が美しく、かつ効率的になり、日本人が磨き上げてきた文化として大切なことであるとは思います。しかし、そのことと坐禅を深めることは別であり、坐禅が所作にこだわり、規律にがんじがらめにされていると、結局は「やらされた」 禅に終わってしまいます。 このあたりに、日本の禅宗がかかえる課題の一つがあるのではないでしょうか。」

と書かれていました。

野口先生の坐禅会は、長年大学医学部と共に研究して行われていたそうで、坐禅の時間などについても科学的な根拠に基づいて二十分ずつと割り出されています。

今のお若い方たちにも科学的医学的な根拠を示して指導した方が受け入れられやすいかと思っています。

さてそんなことで須江監督に興味をもっていると、

九月五日の毎日新聞夕刊の一面に

「とっさに出た「青春って密」 甲子園V仙台育英監督が込めた思い」という大きな記事が目にとまりました。

「青春ってすごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて……。本当に諦めないでやってくれた。全国の高校生に拍手してもらえたら」

と優勝インタビューで仰ったそうなのです。

記事にはこの「言葉は、高校野球ファンのみならず、多くの人の心に響いた。」

と書かれていました。

優勝直後、甲子園のグラウンドでの監督インタビューで、

「コロナに翻弄(ほんろう)されてきた3年生たちには、どんな言葉をかけたいですか」と聞かれて答えたのが、「青春ってすごく密」という言葉だったそうなのです。

生徒たちの苦しさを思った時、とっさに出てきた言葉だというのです。

更に記事では

「優勝インタビューでは、入学前からコロナ禍に耐えてきた高校生へのねぎらいの気持ちがあふれた。

「僕らが過ごした高校生活を100とすると、今の高校生は30もないと思う。それでも、不満を言うのではなく投げやりにもなっていない。これからは、学生生活を少しでも『濃密』にしてあげたい」と力を込めた。」

と書かれていました。

写真のお顔を拝見しても、なんとも思いやりにあふれた温かいお顔をなさっていました。

学生の頃からいろいろと思うにまかせぬ苦労をされてきたからこそ、心から生徒の気持ちを思っているのだと察します。

こういう方にめぐりあえた高校生は幸せだと思ったのでした。

よき指導者であります。

見習いたいとは思いますものの、とてもとても仰ぎ見るばかりなのであります。

 
横田南嶺

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