禅とマインドフルネスの新しい習慣
かねてより、ボディスキャン瞑想や呼吸瞑想などが紹介されています。
最近になってつり革瞑想という川野さん独自の瞑想法が紹介されたと思っていたところ、新たに「マインドフルネス講座 第一回」が公開されていました。
川野さんが優しく解説してくださっています。
これからの講座が楽しみであります。
そんなことを有り難く思っていたところ、本山の事務所に、『プレジデント』という雑誌が置いてあったのが目につきました。
九月十六日号の『プレジデント』で特集が「最高の瞑想 たった一分 ストレスが消え気力が充実」と書かれています。
また「一分で気分最高!「禅・マインドフルネス」新習慣」と銘打っています。
円覚寺の坐禅会がその中で紹介されていますので、寄贈されたのだと思いました。
この特集の中にも川野さんが、二ページにわたってつり革瞑想を紹介されています。
「コロナ禍でも混雑の電車を苦しみのない極楽浄土に」と書かれています。
これは特集記事のなかでも実践編パート2もっと心が整います!「スキマ瞑想」ガイド」というところに載っているのです。
川野さんのつり革瞑想の他に、建長寺派の藤尾聡允和尚の歩行禅が取り上げられています。
ほかにも食禅や考える瞑想、空手に闇で瞑想などいろいろな瞑想がございます。
それから大きく紹介されていたのが、両足院の伊藤東凌さんです。
東凌さんは週はじめの新習慣として月曜瞑想を三ページに亘って紹介してくださっています。
こちらも一分瞑想をいろいろと紹介してくれています。
注目したのは、「なぜ、脳はストレスを求めるのか」というアンデシュ・ハンセンさんの記事であります。
世界的ベストセラー『スマホ脳』の著者らしいのです。
一部を引用させてもらいます。
小見出しに「ストレスがなければ人類は絶滅する」
と書かれています。
そのあとに、
「私たち人類は「幸せ」になるためではなく「生き延びる」ために進化してきました。
人類としての長い歴史の大半を、食料が限られ、身の危険も多い過酷な環境の中で暮らしてきましたが、そのような環境下を耐え勝ち抜いてきた者の末裔が、今の私たちなのです。
目の前に食べ物があればついつい食べてしまうし、運動したほうがいいとわかっていてもついソファーでだらだらしてしまうのは、私たちの祖先が常に飢餓の脅威にさらされ、カロリーを節約する必要に迫られていたからです。
あれやこれやと気が散りやすいのは、いつも周囲を警戒して自衛しなければならなかったから。生存の可能性を高める特性といえます。
実はストレスや不安が生じる理由も、生き延びるため。
脳が危険だと感じる状況からあなたを遠ざけるために起きる現象です。
目の前にいる上司が怒ってあなたを怒鳴りつければ、ストレスを感じることでしょうし、「明日も上司に怒鳴られるかもしれない。嫌だな」と不安に思うことでしょう。
これは怒鳴りつけてくる上司のことを、あなたの生存を脅かす存在と認識しているから。
不安とは、あなたを守るための感情なのです。」
と書かれているのです。
これなどは、実に合理的に納得のできる解説であります。
ハンセンさんは、自分の脳をよく理解することで、ストレスと上手く付き合うことができるようになるはずと説かれています。
仏教が、どのように苦しみが生じるのかを正しく理解することを重んじてることにも通じると思ったのであります。
ざっとこの『プレジデント』の特集を拝見して、「禅・マイインドフルネス」と銘打っていますものの、マインドフルネスの方に重点が置かれています。
そしてタイトルにもありますように、「たった一分」でも出来て、ストレスが消えて気力が充実するということが強調されています。
読んでいてそれほどまでに現代の人は、ストレスが多く、そして時間が無いのかと思いました。
心の習慣を変えてゆくには、やはり長い訓練が必要だと考えるのが禅の立場かと思います。
もっとも禅では頓語といって、いっぺんに悟るということを大事にしていますが、それも日々の修練があってこそのものであります。
臨済宗の禅寺の坐禅会としては、全生庵様と世田谷区野沢の龍雲寺様の坐禅会が紹介されています。
そのページの隅に、円覚寺の坐禅会もひっそりと紹介してもらっています。
またマインドフルネスを現代人がやるべき五つの理由というのが挙げられていました。
注意力が高まる、感情をコントロールできる、自分の思考や感情に気づける、リーダーシップが身につく、人間関係性が改善するというのであります。
このように効能を説くのも、マインドフルネスの特徴かと思います。
禅では、あくまでも効能は結果としてついてくるもので、あらかじめ効能を強調することはしないのであります。
それにしても、いろんな効能を説き、「たった一分」でできる事を強調しているのを拝見すると、いろいろ考えさせられます。
もっとも、忙しい現代人には、まず一分でもマインドフルネスで心を調えてみることが必要なのでしょう。
それほどまでに追い詰められた状況にあるのだと思うと複雑な気持ちになったものであります。
横田南嶺