死の恐怖を超える – ほほえみの心 –
そんな時でもありましたので、この松居先生の講話は大いに参考になったものです。
『今を微笑む 松居桃樓の世界『(星雲社刊)によると、松居先生が天台小止観にめぐりあうようになったのは、死への恐怖からであったと書かれています。
『今を微笑む』から引用させてもらいますと、松居先生は、
「私が、〈死ぬこと〉を恐ろしいと感じはじめたのは、かぞえ年で三つぐらいのころだったと思います。
といっても、やっと、もの心がついたばかりですから、自分自身の死などと、いうことはまだよく分かっていません。
ただ、毎晩、まったく同じ恐ろしい夢を見ておびえたのでした。
それは、空から火の雨が降って来て、地球が絶滅してしまう夢なのです。 今でも、はっきり億えていますが、星や雲が、火のかたまりになって、ものすごい音をたてながら、夕立ちのように落ちて来るのです。
私は、思わず「地球が死ぬ・・・地球が死ぬ…」と叫びながら泣きました。
もちろん夢の中で叫んでいるのですから言葉にはならなかったでしょう。
それでも、相当に大きな声を出して泣いたにちがいありません。
いつも、気がついた時には、母が、私をしっかりと抱きしめて、「大丈夫よ・・・・・・大丈夫よ……」と、あやしてくれていました。
「あっ、夢だったんだなあ・・・・・・」と思って、ホッとすると同時に、私は、力一杯、母にしがみついて、しばらくは、泣きじゃくっていました。」
と書かれています。
死への恐怖というのは、昔の高僧方に共通しているところであります。
白隠禅師は、地獄に落ちるのではないかと恐れおののいていたと言います。
盤珪禅師もまた、幼い頃から死ということをとても恐れていたと言われます。
もっとも仏教のおおもとであるお釈迦さまが、「死ぬる身である。死ぬることを免れることはできぬ」という深い洞察をなされたのでした。
松居先生が数え年の三歳から死の恐怖を覚えたというのですが、私も満二歳の時に祖父の死を通じて死について思うようになったので、親しみを覚えました。
松居先生は、
「小学生や中学生になってからも、夜になると、〈死ぬ〉ということが、ひどく気になって、眠れなかった時期が何年目かに、半年も一年も続きました。
もう、そのころになると、〈こわい〉からといって、泣き叫ぶわけにもゆきませんし、「僕は、死ぬことがこわいんだ」なんて、とても恥かしくって、父にも母にも、学校の先生にも、うちあけることができません。
しかたがないので、毎晩、枕もとに、十冊も二十冊も本を積みあげて、眠くなるまで、読み続けることにしました。」
というのであります。
これは私も似たところがあって、いろんな本を読みあさったものでした。
しかし松居先生は、
「こうして、少年時代から青年時代へかけての、何回かの精神的ピンチはどうやら切り抜けることができたのですが、二十四歳になった時、そのくらいのことでは、どうにもならない羽目に落ちこんでしまいました。
それは、私が、心から愛していた父の死に直面したためでした。
やっぱり死ぬということは、私が、幼年時代から想像していた以上に、恐ろしい、苦しい、悲しいことだと、しみじみ感じたのです。」
というように、父の死を通して死はもはや放置できない大問題になったのでした。
そこで松居先生は、
「父は、交際がひろかったので、有名な芸術家、学者、政治家、実業家、宗教家などを、沢山知っていました。
そこで、私は、父の死後、そういう有名人をつぎつぎと訪問して教えを乞いました。
「あなたは、〈死ぬ〉ということを恐ろしいとは、お思いにならないのですか?もし、そうだったら、どうやったら、〈死ぬこと〉がこわくなくなるか、その方法を教えてください」
ところが、驚いたことに、いわゆる有名人の大部分が、〈死ぬこと〉 を恐れていないのではなくて、目さきの地位や名誉や財産のことばかりに気を奪われて、〈死ぬこと〉 を忘れているだけだったのです。
私は、本当にがっかりしました。」
という体験をなされました。
それのみならず宗教家についても失望なされたのでした。
松居先生は、
「私は有名な宗数家にも、随分あいました。
しかし、大抵の場合、そういう人たちは、本当の意味での宗教家としてではなく、 教会や寺院の経営が上手だったり、お説教や文章を書くことが上手なために、有名なのだ――ということが、わかりました。」
と書かれています。
厳しいご意見であります。
そのような一面もあることは否定できません。
しかしながら、私は有り難いことに、十代の頃から目黒絶海老師や、松原泰道先生、小池心叟老師というすぐれた宗教家にであうことができたので、この死の問題を自分なりに解決することができました。
松居先生は、その求道の果てに『天台小止観』という書物に出逢ったのでした。
『天台小止観』は、「私の生涯に大きな光明をあたえてくれた一冊の本でした」と書かれています。
そんな思いで読まれたので、単なる学問的な解説書ではなく、血の通った講義となっていたのでした。
『天台小止観』というのはどういう書物かというと、松居先生は、
「それは、今から千四百年ほど前に、中国の天台大師智顗が講義した坐禅の指導書ですが、いわゆる坐禅のやり方を説明した書物としては一番古く、しかも一番わかりやすく、懇切丁寧に書かれてあって、それから以後に中国や日本で作られた坐禅の指導書なるものは、ほとんど例外なしに、なんらかの意味で、この本の影響をうけているといわれています。
天台大師は、梵語の「禅」という言葉を、わざわざ中国語の止観の二字におきかえているからです。
では止観とは何かというと、現代風に言えば、「止」とは感情を波だたせないことであり、「観」とは思考力を正しく働かせることになります。
そして、天台大師は、この本の結びの部分で、
「昔から、理想的な人間とよばれる人々 (諸仏)は、例外なしに、感情を波だたせず (止)、思考力を正しく働かせること(観)によって、死の恐怖をはじめ、一切の苦しみや悩みから解放されること(解脱)ができたのだ。
感情が波だたず、思考力が正しく働くと、人間は、いつでも、どこでも、何ものにも、微笑むことができるようになる。」
と優しく説いてくださっています。
「いつでも、どこでも、何ものにも微笑むことができる」ようになるとは素晴らしいことであります。
宗教の目指す理想でもありましょう。
でも、いったい、どうしたら、「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人」になれるのでしょうか。
それには『天台小止観』の内容を理解することになるのでしょうが、松居先生は、「ほんのひとことで言い表すとすれば」
「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という七仏通誡の偈に集約されるのであり、それを松居先生は、やさしく
『ひとつぶでも まくまい
ほほえめなくなるタネは。
どんなに小さくても大事に育てよう
ほほえみの芽は。
この二つさえ絶間なく実行してゆくならば
人間が生れながらにもっている
いつでもどこでも なにものにも
ほほえむ心が輝きだす
人生で一番大切なことのすべてがこの言葉の中にふくまれている』
と表現されたのした。
清らかな心というのは、「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心」だと松居先生は仰せになっています。
しかも、〈そのほほえむ心〉は、天台大師の教えによれば、本来誰もが生れながらに持っているものなのです。
そこで「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人(仏)」になるための最短距離は、
「ほほえめなくなる種(悪)は蒔かないこと」と、「ほほえみの芽(善)を大事に育てる」以外には、
なんにもないということになると松居先生は説かれています。
ほほえめなくなる種は、生きものの命を奪うことや、嘘偽りを言うことや、男女の道を乱すことや、人の物を盗ることや、酒によって自分を見失うことなどです。
ほほえみの芽というと、施しや、優しい思いやりのある言葉を掛けることや、何かを人の為にしてあげることなどであります。
こうして毎日の暮らしの中で、ほほえみの種を蒔いてゆくことこそ仏道修行なのであります。
横田南嶺