はじめから仏
先日青山俊董老師から、ご丁寧なお手紙と共に無量寺便りを送っていただきました。
有り難いことであります。
細かく丁寧に、美しい字で書かれたお手紙を拝見すると、こちらの心も清められるものであります。
尼僧堂で、修行僧達をご指導されている老師ですが、八月は尼僧堂も夏休みとして修行僧達もそれぞれのお寺に帰って手伝いをするとかで、老師は、塩尻のお寺に帰っていらっしゃるのだそうです。
「信濃はまだあじさいの名残が咲いているかたわらで、桔梗やなでしこなど、秋の花々が咲き出しております」と書かれています。
無量寺は青山老師が得度されたお寺で、老師にとってはご自坊なのであります。
無量寺便りには、「沢木興道老師に参ず」という題で連載されています。
以前尼僧堂に対談に訪れた折に、この「沢木興道老師に参ず」のシリーズのコピーを頂戴しました。
今回は、その五が掲載されている無量寺便りを頂いたのでした。
沢木興道老師というお方は、どんな方かというと、生涯お寺を持たずに坐禅一すじに生き抜かれた曹洞宗の禅僧でいらっしゃいます。
「沢木興道老師に参ず」の1に、青山老師が、簡単に説明されています。
無量寺便りから引用させてもらいます。
「澤木老師は三重県津市の浄土真宗高田派の御本山のある近くで、四人兄弟の末っ子としてお生まれになった。五歳でお母さまを、八歳でお父さまを亡くされ、父方の叔母のところへあずけられた。
その叔父さまがこともあろうにその年に亡くなられ、次に貰ってもらったのが遊郭街の裏町にある澤木家。
表向きは「提灯屋」であるが、実際は博徒の巣窟。
養父母ともに酒と博打に明け暮れ、澤木少年は習いおぼえた提灯の張りかえをして、この養父母を養うという毎日であったようだ。
「ある日、女郎屋の二階で五十男が女郎買いをしながら脳卒中か何かで急死した。検死が来るやら大騒ぎの中、わしは子供だから木戸御免とばかりに大人の股ぐらをくぐりぬけて現場で見ていた。
死んだ男の妻が夫にとりすがりながら『お前さんもマア、死ぬにもことかいて、なんでこんなところで死んでおくれた。 一周忌が来ても三回忌が来てもそのたびごとに、このホトケさんは女郎屋の二階で死んだげなと言われるだろう』というのを聞いて、わしはドキンとし冷水をぶっかけられたような気がした。
そして“内緒ごとはできんぞ”と気づかせてもらった。
幼い頃に両親を失い、 貰ってもらった叔父さんを失っても眼がさめなかった私のために、菩薩さまが『女郎買いをしながら死ぬ』という活劇を見せてくれて、わしの眼を覚まさせてくれた。
わしが生涯内緒ごとができないのも、本気で発心したのもこのお蔭だ。」と当時を想いおこしての老師のお言葉。
九歳の少年にして「女郎買いをしながら急死」した人を菩薩と拝む。
そして遂に十七歳の六月家出をし、生米二升を噛み噛み、歩いて永平寺に向かう。
出家への旅立ちである。
誰が「女郎買いをしながら急死した男」を菩薩と拝めるであろうか。
澤木少年はやはり幼ないときから違った目や耳や見方を持っておられたのだと思えてならない。」
と書かれています。
そこで沢木老師の
「仏教とは、此方の目、耳、見方、頭をつくり変えるということじゃ」の一言を説かれているのです。
今回いただいた無量寺便りには、沢木老師の
「初めから仏、それに気づかず
迷っているのを凡夫と呼ぶ」という言葉が冒頭に説かれています。
道元禅師は、藤原摂関家に生まれ、やがては関白にと属望されていたのですが、道を求めて比叡山に登り、十四歳で出家しました。
比叡山で仏教を学んで大きな疑問を抱かれました。
経典には人は皆ひとしくはじめから仏だと説かれています。
はじめから仏なら何もわざわざ修行しなくてもよさそうなのに、何故修行せねばならないのかという疑問です。
いろんな方に聞いても納得のゆく答えが得られず、二十四歳のとき宋の国に渡り、ついに如浄禅師に出会うことで解決されました。
青山老師は
「その答えは、二十八歳で帰朝されてから書かれた『辦道話』の冒頭に出てくる」と示されています。
それは「人々分上ゆたかにそなわれりといえども、修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし。」という言葉です。
青山老師の解説を引用します。
「人々分上ゆたかにそなわれり」、つまり澤木老師の言葉を借りれば「凡夫がボツボツ修行して仏になるのではない。初めから仏」というのがそれである。
「悉有仏性」という言葉がある。
「悉く仏性有り」とは読まない。「有」は「あり、なし」ではなく「存在」。「一切の存在は仏性のなれるものなり」と、道元禅師は読まれた。
澤木老師の言葉に「寝ていても運ばれてゆく夜汽車かな」というのがあり、又「熟睡のとき熟睡をしらず」というのがある。
眠りこけている間も心臓も働いている。呼吸も出入りしている。
食べたものも消化してくれている。私の力でやっているわけではない。
天地総力をあげてのお働きが、私をして生かしてくれているのである。
その働きは初めからいただいているので、本具といい、「仏性」と呼ぶ。
しかし『あ、そうであったか』と気づかないと、そんな大変な生命も粗末にしてしまう。
自分の生命も他人の生命も簡単に傷つけたりしてしまう。
気づくためには、さんざんに求め、聞き、修行し、納得せねば、せっかくの生命も生きて来ないよ、というのである。」
というのであります。
はじめから仏であることに気づくことが大切なのであります。
仏教は、この気づく「覚」の教えであります。
青山老師の『さずかりの人生』という本には、米沢英雄先生の言葉が引用されいてます。
「吹けば飛ぶようなこのちっちゃないのちを、天地いっぱい、宇宙いっぱいが総掛かりで生かしてくれている。天地いっぱい、宇宙いっぱいと匹敵するほどの価値あるいのちなんだ」
というのであります。
人は誰しも「はじめから仏」です。
しかしそのことに気づかずに目先の損得に心を動かされています。
はじめから仏と気がつくためには、求めて求めて求め抜いて、修行することがやはり必要なのであります。
横田南嶺