宗教の功罪
テーマが新しい義務教育というものです。
『新しい義務教育』というのは、どういう主旨の動画であるかといえば、先方からいただいた依頼書の中には、
「社会や経済、科学技術は、ここ数十年で大きな変化を遂げています。
しかし、必須科目としての「義務教育」で我々が学ぶ知識や価値観は、ここ数十年であまり変化がないのが実態です。先が見えにくい日本ではありますが、義務教育では一体何を教えれば良いのでしょうか?
この番組では、様々なジャンルの方にゲスト講師としてご出演してもらい、主に10代、20代の若者に向けて「この内容を是非伝えたい」というテーマについて語って頂きます。若者を中心とした聞き手の方たちと共にこれから必要な教育について考えます。」
というものなのであります。
第一回の講師が、斉藤幸平先生でいらっしゃいました。
斉藤先生には『人新世の「資本論」』という著書がございます。
斉藤先生が、その第一回の講義で、「SDGSにだまされるな」という題でお話になっていましたので、それにならって私は、「宗教家にだまされるな」という題をつけて臨みました。
折しも宗教が話題になっている今の時勢に合っていたのかもしれません。
この番組は数人の生徒さんを相手に、十分から十五分程度の短い講義をして、そのあと質問を受けながらディスカッションをするものであります。
「十代、二十代の若者に向けて」ということなので引き受けたのですが、実際に生徒役の方はというと、なんと四十代の現職国会議員に、第一回の講師である斉藤幸平先生に、あとは二十代のタレントさんと高校生の方なのでありました。
あまりにも幅広い方々なので誰に合わせて話をするか、苦労しました。
まずは宗教家にだまされるなと申し上げたいと思いますと伝えました。
そういうあなたが宗教家だと言われると思いますが、その通り、私の話にだまされるなと申し上げたいのでありますというのが最初の言葉であります。
お説教なんて聞きたくないと思われるかもしれませんが、そのような感覚が大事だと思います。
私などは、こういう格好をしていますのでいかにも宗教家だとわかります。
たぶん嫌だと思えば近づくこともないでしょう。
しかし、世の中には、宗教家でないような姿でいろんなところに潜んでいるものであります。
ユヴァル・ノア・ハラリというイスラエルの歴史学者が書いた『サピエンス全史』という本には宗教の本質について語られています。
大きな脳を持ち二足歩行を行う人類種は、サピエンス以外にも多くいたのだそうです。
ネアンデルタール人などもその一つだそうで、ネアンデルタール人は、脳の大きさや身体の強靱さなどでは、サピエンスよりも優れていたそうなのであります。
一対一で闘ったならば、ネアンデルタール人の方が強かったのですが、サピエンスは、貨幣、帝国、宗教という、ハラリさんの言葉によれば、「実体を伴わない虚構」「共通の神話」を作り出したのでした。
「虚構を実体であるかのように頭の中で想定し、それを他者と共有できるようになると、同じ世界観・価値観を共通に信じた人々の間に、お互いに協力し合おうという意識が生まれ、集団での行動や作業が可能」となると指摘されているのです。
「これこそがサピエンスの成功のカギだった。一対一で喧嘩をしたら、ネアンデルタール人はおそらくサピエンスを打ち負かしただろう。だが、何百人という規模の争いになったら、ネアンデルタール人にはまったく勝ち目がなかったはずだ。」というのであります。
そこでハラリさんは「宗教は、超人的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度」であると定義しました。
なにも特別な宗教団体だけの話ではありません。
たとえば資本主義というのも大量生産、大量販売、大量消費という共通の価値観をもっています。
「資本主義の買え買え教だ」と花園大学の佐々木閑先生は仰っていました。
テレビでは十五分おきにそんな宣伝が流れますが、あれは布教だということもできます。
大量生産、大量販売、大量消費の結果、大量廃棄となってさまざまな問題が今起きているのです。
「報道によって聞いたことを受け入れてはならない。
言い伝えをそのまま受け入れてはならない。
経典に載せられてあるということや、自分の見解に合っているからとか又は名高い出家の言葉であるというようなことで受け入れてはならない。
自分にこの法はよくない、罪けがれがあり、真の智慧ある人には厭われており、それに執着すれば不利と苦悩を招くものであると知ったならば、それを避けねばならぬ」
というお釈迦さまの言葉を紹介しました。(『仏教聖典』大峰輪閣より引用)
また鵜呑みにしてはいけないというのは、宗教家の言葉だけではないのです。
山田無文老師の『臨済録』(禅文化研究所)には
「臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるなということだ。
学問にだまされるな、社会の地位や名誉にだまされるな。
外界のものにだまされるな。
何ものにもだまされぬ人になれ、それだけだ。」
と書かれています。
お釈迦さまが
「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」
と仰せになっているように、自己こそがたよりとすべきものなのです。
それには、よく調えられた自己でなければなりません。
それではどう調えるかというと、大事なことは感情を波だたせないことと思考力を正しく働かせることの二つであります。
更に実践では、食事と睡眠と姿勢と呼吸と心を調えて冷静に判断することです。
というように簡単にお話してきたのでした。
予想していましたが、斉藤先生や国会議員の先生や番組スタッフの方からは、今の宗教の問題について鋭い質問をいただきました。
私は、世の中には危険な宗教もあるので、どういう危険性があるかを学んでおいて、危険を感じたら避ける感性をもつことが大事だと話をしました。
寺には蛇も住んでいます。
何の毒もない蛇が多いのですが、マムシのような猛毒をもった蛇には近寄らずに、逃げるようにしなければたいへんな目に遭うのです。
おかげさまでいろいろと実りのある話し合いができました。
二本の授業を収録したのでしたが、最後に、私の講義を義務教育に取り入れるかどうか、生徒の皆さんが挙手して判定されました。
ありがたいことに皆さん挙手していただいたのでした。
動画の公開は、八月の末頃になるということでした。
横田南嶺