この世に生まれてきたわけ
いろんなご縁で取材していただくことはありがたいことであります。
対談の内容は、その会社のホームページに掲載されるというのであります。
社長が、「人は出会うべき時に出会うべき人に出会う」という「ご縁」の考え方のもとに、人間力の向上を狙いとして各界の有識者と対談を行っているというのであります。
私などはとても有識者といえるものではありませんが、お声をかけていただいたのでした。
その対談のテーマがなんと、「この世に生まれてきた理由とは」というものなのです。
この会社の社長が、日頃から社員に、「あなたは何をしにこの世に来たのか、考えよう」と説いているそうなのです。
私も対談の前日になって、明日の予習をしようと思って、資料を拝見して、このテーマであることを知ったのでした。
これはたいへんなテーマだなと思いました。
恥ずかしながら、この世に生まれてきたわけというのは考えたことがないのであります。
なんといっても、何にも考えずにこの世に生まれた来たというのが実情であります。
「何々をするんだ」と思って生まれてくることはまずないと思うのであります。
誰しもみな「オギャー、オギャー」で生まれたきたのであります。
そこで、私は、生まれて来たわけ、何をしに生まれてきたかということは、なにか理由を言うことができたとしても、たぶん後付けの理由だろうと思いますと申し上げました。
優れた野球選手が、自分は野球をするために生まれたきたと仰るかもしれません。
それは素晴らしいことです。
しかし、やはり生まれたきたのは「オギャー」であり、野球をするためにというのはあとからつけた理由だと思うのであります。
たまたま生まれた来ただけという答えだけでは、話になりませんので、少し考えてみました。
たとえば、会社に入って何をしに来たのかというと、これもいろんな理由が考えられるでしょう。
会社の理念と自分の目指すものが一致したとか、この会社に入って世の中に貢献したいとかいろいろあると思います。
ただ、いちばん大事なのは、この会社に入ってよかったと思えることではないかと申し上げました。
ああ、この会社に入ってよかったと思えることが一番大事だと思うのであります。
いろんなことがあろうかと思います。思うにまかせないこともあろうかと思いますが、この会社に入ってよかったと心から思えることは幸せであります。
旅行をしてもそうだと思います。
ここに来てよかったと思えることが一番でありましょう。
それは景色がきれいだとか、食べ物がおいしいとか、温泉がいいとかいろいろありましょうが、やはりここに来てよかったと心から思えることが一番でありましょう。
そこから考えてみると、この世に生まれてきたわけというのも、生まれて来てよかったと心から思えることが一番だと思うのであります。
生まれて来てよかったと心から思えるようになれたら一番ですと話をしたのでした。
その社長も、会社に入ってよかったと思ってもらえるように、労働環境を整えたり、いろいろ苦心していると仰せになっていました。
もちろんのこと、環境を整えることは大切でありますが、もっと大事なことは、そこではたらく人の心でありましょう。
感謝する心がなければ、どんなに環境を整えても不平不満しか出てこないのであります。
そこで、この世に生まれてきたよかったと思えるようになるには、やはり感謝する心を養うことが一番なのであります。
黒住宗忠が、
なにごともありがたいにて世にすめば 向かうものごと みなありがたいなり
と詠っている通りなのであります。
それから、お互いが心からよかったと思えるのは、人に喜んでもらえた時なのであります。
森信三先生が「如何にささやかな事でもよい。 とにかく人間は他人のために尽すことによって、はじめて自他共に幸せとなる。これだけは確かです。(『森信三一日一言』)」と仰せになっている通りなのであります。
他人のために尽くして、そしてその人が喜んでいるのを感じたりするのが一番幸せなのであります。
人のために尽くすといっても、これがまた難しいものです。
せっかくしてあげているつもりでも相手には迷惑になることもあります。
そこで自分をよく調えて、正しくものごとを見て判断することができないといけません。
それには「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」という止観の修行が大切になります。
よく心が調ってこそ、心が鏡のようになって、ありのままの様子を観察できるようになり、いろんな変化の様子が分かるようになり、そこから今何をしたらいいかが分かってきます。
そうしてこそ、何かをしてあげることが可能になるものです。
更には、よろこんでもらえてよかったという喜びが生まれてくるのであります。
生まれてきてよかった、生きてきてよかったと感謝できるために、普段から手を合わせて、生まれたことの不思議、今日まで生きてこられたことの不思議に手を合わせて感謝する習慣を身につけておくのであります。
横田南嶺