安心・あんしん
「心配・不安がなくて、心が安らぐこと。また、安らかなこと」
という意味が書かれています。
「それなら安心だ」「まだ安心できない」「親を安心させる」「御安心ください」という用例が示されています。
これらは日常でもよく使う言葉です。
「安心」という言葉は、どれもよい意味で使われています。
また「あんしんだ」というように言葉にするだけでも心が落ち着く気がするものです。
また「安心」を「あんじん」と読む場合もあります。
「あんじん」を『広辞苑』で調べると、
仏教語として「信仰により心を一所にとどめて不動であること」や「阿弥陀仏の救いを信じて一心に極楽往生を願う心」「宗派の教法の根本眼目」という意味が示されています。
信仰によって得られる心の状態であります。
「安心決定」という言葉もあって、これは「ひたすら信じて疑わないこと。信念を得て、心を動かさないこと」であります。
「安心立命」というのは、「心を安らかにし身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと」であります。
この「立命」は儒教より出た語であると解説されています。
岩波書店の『仏教辞典』で「安心」を調べると、
「一般に、心が落ち着き心配のないことをいい、中国古典では『管子』心術下などに用例が見える。
とくに仏教では、信仰や実践により到達する心の安らぎあるいは不動の境地を意味する。
聖道門(しょうどうもん)では自己への精神集中(観心(かんじん)・止観(しかん))によってその境地を目指すが、浄土門(じょうどもん)では阿弥陀仏(あみだぶつ)への帰依が前提となる。」
と書かれています。
そして「なお<安心立命(りつめい)・(りゅうみょう)>は、儒教で説かれる、天が己れに賦与したものを全うするという意味の<立命>(『孟子』尽心上)という語を<安心>と結びつけたもので、心身を天命にまかせ心の乱れないことを言い、禅宗でも使われる。」という解説がございます。
おもに浄土の教えで説かれることが多いのですが、禅宗でも安心ということを説いています。
先日青山老師と対談をさせていただいて、大智禅師の偈頌が話題になりました。
大智禅師が、「仏成道」と題する詩で、「果、三祇に満ちて道始めて成ず」と説かれています。
それを永平寺の秦慧玉禅師や、余語翠厳老師は、これは「果、三祇に満ちて道始めより成ず」と読まれたというのであります。
仏道は始めから成じているという意味なのです。
沢木興道老師は「凡夫が修行してボツボツ仏になるのではない。初めから仏だ。ただそれに気づかずに迷っているのを凡夫という」と仰せになったのと同じことを言っています。
みんな生まれながらに仏なのでありますが、そのことに気がつかずに、目に見える姿形や、あるいは能力などによって差別し区別してしまいます。
先日作家の神渡良平先生と、神渡先生が新著『いのちを拝む』で取り上げられた、NPO法人支援センターあんしんの樋口夫妻とそのご家族の皆さんがお越しくださいました。
『いのちを拝む』は以前にも紹介したことがあります。
神渡先生が、NPO法人支援センターあんしんの樋口夫妻の物語を長年取材して書かれたものです。
樋口さんご夫婦は三人の娘に恵まれたのでしたが、その三番目の娘さんが知的しょう害を発症してしまったのです。
保育園に入る年齢になっても受け入れてくれるところが見つからなかったそうなのです。
ようやく入った保育園でも一月もしないうちに、「この子の面倒はみられません」と断られてしまったのでした。
母親の春代さんはこの先、三女はどうなるのだろうと不安がいっぱいになったのでした。
春代さんは、「私とこの子がいなければ、後のみんなが幸せになれる。二人で信濃川に飛び込みたい」とまで思い詰めたそうなのです。
そこから幾多の苦難を経て、樋口さんご夫婦はNPO法人を立ち上げたのでした。
あんしんの理念は「障がい者にすべての人が持つ通常の生活を送る権利を可能な限り保障することを基本理念にして障がい者のあらゆる行動を支援します。」
というものです。
トイレットペーパーの生産を事業の柱にして、百数十名の職員がはたらいているのであります。
樋口夫妻はじめご家族の皆様にお越しいただいて、一時間ほど楽しく話をさせていただきました。
話をしたといっても専ら樋口さんの奥様がお話くださって、それを拝聴させてもらっていたのでした。
樋口春代さんは、かつて信濃川に身投げしようとまで思った方なのですが、いまはとても明るく快活なのでした。
ご主人は物静かな方でありました。
二人の娘さんにもお越しいただきました。
明るいご家族なのでありました。
『いのちを拝む』には、こんな話が書かれています。
これは樋口さんの長女の果菜子さんの話です。
果奈子さんは、母親の大変さを見ていて、自分は何をしたらいいか真剣に考え、大学では社会福祉科を専攻し、社会福祉の世界的先進国スウェーデンにも視察に行き、国内では先進的モデルとなっている中野市に研修に行き、福祉現場の実際を学んだのだそうです。
そんな中で、同じダウン症の子でも、お世話するのがとても難しい子とみんなにかわいがられる子がいると気がつきます。
その子の性格によって愛される子と疎まれる子があるのかなと思ったのですが、違ったのでした。
あるダウン症の子のお母さんが、その子に頬をすり寄せて「きみがかわいくてたまらないわ。きみがいるから私はとっても幸せなの」と言っています。
その子は喜色満面でした。それは見ていてもほれぼれする光景でした。
その一方で、別のダウン症の子は対応がとても難しかったのですが、この子は母親から表に出せなくて恥ずかしいと思われていたというのです。
そこで果菜子さんは「障がいが重いとか軽いとかに関係なく、親からかわいがられているか、疎まれているかによって性格が形成されるのでは思いました」というのであります。
みんな仏の子であると説くことは容易でありますが、本当にそのように受けとめていくことが大事なのであります。
樋口さんは、会話している間にもなんどもなんども「ありがたい」「ありがたい」という言葉を繰り返されていました。
こちらも明るく元気な皆さんから大きな力をいただきました。
NPO法人あんしんの名前の由来は、樋口さんが、大切な我が子を安心して預けられる施設という意味をこめているのです。
平成十四年にこのNPO法人支援センターあんしんが出来て、今年で二十年、神渡先生の本もできて、記念すべき年なのであります。
あんしんの皆さんにお目にかかり、大きな安心をいただいた思いです。
ありがたいご縁であります。
横田南嶺