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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.07.16
今日の言葉

天然

修行道場において、前期にあたる雨安居の講義を終えることができました。

講了といって、その最後に偈を唱える習慣になっています。

その漢詩の一句に

「溽熱蒸すが如き選仏場」とおいてみました。

「溽」という字は、「湿度が高くて、じっとりするようである、蒸し暑い」ことを指します。

七月の大摂心の後半は厳しい暑さに見舞われました。

まさにじっとりするような暑さであり、蒸すが如しだったのです。

そのあとに選仏場という言葉がありますが、これは禅堂、坐禅堂のことであります。

選仏というのは、仏祖になるべき師を鍛錬選出することを言います。

この言葉は、丹霞天然禅師の逸話がもとになっています。

丹霞禅師は、はじめ儒学を学び、長安に行って科挙という官吏登用試験を受けようとしました。

試験を受けようとしていったのですが、途中で禅僧に出会って、どこに行くのかと問われました。

丹霞禅師は、すなおに「選官にゆく」と答えました。

「選官」という言葉は、諸橋轍次先生の『大漢和辞典』によれば、「官吏を選び用いること」の意味であります。

科挙の試験を受けて役人になろうとしていることを表しています。

すると、禅僧は、

「選官は何ぞ選仏に如かん」と言いました。

官吏を選ぶ試験よりも、仏を選ぶ試験の方が良いという意味であります。

役人を選ぶことを「選官」といったので、それになぞらえて、「選仏」と言ったのでした。

仏になるべきすぐれた修行者を選び出すという意味であります。

丹霞禅師は、それでは、その選仏にはどこに行ったらよいでしょうかと問いました。

禅僧は、江西に馬祖大師がいらっしゃる、そこが選仏場だと告げたのでした。

ここから「選仏場」という言葉が用いられるようになりました。

円覚寺にも仏殿の脇に「選仏場」という額のかかった建物がございます。

今も一般の方々の坐禅の為に使われています。

そう言われて丹霞禅師は、官吏になることをやめて馬祖大師のところに行ったのです。

馬祖大師に相見するやいなや、両手で頭巾を差し出しました。

頭巾を取って僧になりたいという意図でありましょう。

しかし馬祖大師は丹霞禅師をじっとみて言いました、

「わたしは君の師ではない。南嶽の石頭のところに行きなさい」と。

そこで丹霞禅師は、南嶽に行って石頭禅師にまみえました。

また前回と同じ様に出家の気持ちを石頭禅師に示しました。

石頭禅師は 「米つき小屋に行きなさい」と言いました。

丹霞禅師はお辞儀をして、米つきをする小屋に入りました

そうして修行僧たちと共にまるまる三年間はたらいていました。

石頭禅師がある日、修行僧達に、

「明日、仏殿の前の草を刈ろう」と告げました。

翌日、修行僧たちは各自鋤と鍬を支度して草刈りをしました。

ところがまだ出家させてもらえてなかった丹霞禅師だけが、たらいに水をはって、頭を洗い石頭禅師の前に跪いたのでした。

石頭禅師は、丹霞禅師のそんな姿を見ると笑って、剃髪してあげて戒を授けました。

ところが石頭禅師が戒を説こうとしたところ、丹霞禅師は耳をおおって出ていったのでした。

また丹霞禅師は江西に行き、馬祖大師のところに行ったのでした。

まだ相見の礼もしないうちに丹霞禅師は僧堂の内に入って、なんと文殊菩薩像の首に跨ったのでした。

修行僧たちはびっくりして、あわてて馬祖大師に報告しました。

馬祖大師はは自ら僧堂に入って、文殊菩薩に跨がっている丹霞禅師の様子をじっと見て言いました。

「我が子は天然だ」と。

丹霞禅師は下りて礼拝して言いました、

「禅師が法名を賜ったことに感謝します」と。

そこで天然と名乗ることとしたのでした。

「天然」という言葉がどういう意味かと修行僧達に聞くとあまり良い意味ではないと言います。

『広辞苑』で調べてみますと、

一番に「人為の加わらない自然のままの状態。また、人力では如何ともすることのできない状態。自然」とあります。

それから二番目に「造物主。造化」とあって、三番目に「本性。天性。うまれつき。」とあります。

四番目には「天然ぼけ」の略と書かれています。

天然ぼけは「意図せずに間が抜けているさま。また、そのような人」という意味であります。

良い意味ではないというのは、このことでしょう。

丹霞禅師の場合は、「人為の加わらない自然のままの状態」ということでありましょう。

「選仏場」という言葉には、こんな由来があるのです。

丹霞禅師は、天然と名乗って後に、冬の寒い日の事、洛陽の慧林寺に立ち寄りました。

あまりの寒さに、たき火をして暖を取りました。

ところが、そのたき火にくべているのは、寺の大事な仏像でありました。
気がついた慧林寺の僧が、驚いて、「どうして大切な本尊様を焼いたりしたのか」と怒鳴りつけました。

丹霞禅師は、何食わぬ顔で、灰を掘り起こしながら、

「焼いて舎利を取ろうと思ってな」と答えました。

舎利とは、仏様のご遺骨のことです。

寺の僧は、あきれて言いました、「木の仏を燃しても舎利などあるものか」と。

するとたは、丹霞禅師「舎利がないようなら、両脇の菩薩さまも持ち出してくべてしまおう」と言いました。

仏像を燃したりすると罰があたりそうですが、なんと丹霞禅師を叱った僧に罰が当たったというのであります。

とてもマネしていいことではありませんが、寒くて無心にたき火をする様子も天然なのかもしれません。

 
横田南嶺

天然

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