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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.07.15
今日の言葉

みえるて・どんなん

坂村真民先生に「みえるて・どんなん」という詩があります。

グッと胸に突き刺さる詩であります。

 みえるて・どんなん
太陽が昇っても
電灯がついても
みえるて・どんなん?
いったいわたしたちは何を見
何を見ようとしているのだろう
目の見えない人が
本当のものを見
目の見える者が
つまらぬものばかり
見ているとも言えよう

みえるて・どんなん?
この盲児の短い言葉が
今暁のわたしの胸に
矢のように突き刺さった
師よこの眼を開かせたまえ

真民先生は、四十代の頃に、教師の仕事をしながら、禅宗の修行僧のような厳しい参禅をなされ、更に大蔵経を繰り返し読むというような行もなされて、一時期目を患ってしまい、眼科で失明の恐れもあるとまで言われたことがありました。

そんな経験があってのことか、点訳のお仕事にも関わっておられたのでした。

点訳というのは、書物を点字で打つものであります。

私は学生時代に真民先生と文通をしていましたので、真民先生の影響もあって、点訳ボランティアに携わっていたことがありました。

点字というのは、六つの点で五十音を表記するものです。

そうして一冊の書物を六つの点を打ちながら点訳するのであります。

実に根気の要る作業で、薄い書物でも点訳をすると分厚い書物になってしまうのです。

初めて一冊の書物を点訳し終えた時の感動は今も忘れられません。

それで、目の見えない方とも交流していたのでした。

もっともそれから十数年にわたる修行時代が始まって、点訳とはすっかり御無沙汰していました。

それでも、指では六点点字を覚えているものです。

今でも駅やエレベーターなどに点字を見つけると自分で読んだりしています。

もっとも私は指で読むのではなく、目で読むだけです。

ただし打つ時と読む時では六点が逆になるので、読みにくいのであります。

もう何年も役に立たないと思っていた点字ですが、今から十数年前に、黄梅院の住職をしていた頃に、一度本堂で盲目の和太鼓奏者の方に和太鼓を披露してもらったことがありました。

そのときに点字をやっていたことを思い出して、その方に点字でお礼状を書いてとても喜ばれたことがありました。

指がまだ六点点字を覚えていたのでした。

そんなことを思い出したのは、村上信夫さんが「視覚障害の方々の集まりに呼ばれました。実りある時間でした。お時間あれば見てください」と、馬場村塾というYouTubeを教えてくださったからでした。

この馬場村塾というのは、なんでも「月に一度、高田馬場近郊で開催している視覚障害当事者や支援者たちの意見交換会」なのだそうです。

そこにゲストとして招かれたとのことでした。

YouTubeライブだったようです。

アーカイブで拝見しました。

馬場村塾の大川和彦さんが村上さんをお招きされたようです。

村上さんのブログによれば「大川さんは、トークライブや論語塾、寺子屋の超常連だ。白杖だけで、どこへでも出かけていく」方なのだそうです。

九十分の動画ですが、深い内容に感銘を受けました。

村上さんのお優しい人柄がよく伝わってきますし、憧れの村上さんをゲストに招くことができた大川さんの喜びもしみじみと伝わってきます。

村上さんの言葉がまた光っていました。

大阪言葉磨き塾という企画をなさったときのことを話されたのが印象に残っています。

なんでも二十代半ばくらいの方に村上さんが質問をして、その方が答えるまでに、なんと三十秒もかかったというのです。

その三十秒が如何に長いかを示すために、村上さんはしばし沈黙されました。

わずか五秒だったらしいのですが、五秒の沈黙も私たちにはもう我慢できなくなっています。

随分長く感じたのでした。

その方は、口を動かして口から言葉が出てくるまで三十秒かかったというのですから、待つ方にも根気が要ったと思います。

そうしてようやく語ってくれた方に村上さんが

「あなたのことを褒めてあげたい、褒めていいかな」と言ったというのです。

「今すぐに話し出さなかったというのは、それすごく素敵なことだ」と伝えたのでした。

その方は気恥ずかしそうにされたそうですが、村上さんは「自分の言葉の引き出しをすぐにあけずにじっと考えていたこと」
「なにか適当に話そうというのではなく、どういう言葉を出そうかとじっくり考えて考えて出た言葉」というのは、素晴らしいというのであります。

今はそんなに考えることをしなくなったと村上さんは指摘されました。

「ああそういうことだね」と簡単に分かったように相づちを打ちますが、ものごとは簡単にわかることではないことが多いのです。

「自分なりに考えてみてなかなか分からないことですね」とか「よく考えたけれども分からない」というのも大事な答えだと仰っていました。

意識をして言葉を選んでゆくことの大切さを説かれていました。

そこで村上さんは、論語の言葉を紹介されていました。

「論語」で説かれている一番大事なことは「仁」であり、それは人に対する思いやり、やさしさのことです。

孔子は、弟子達の性格などに合わせて、その時々において人それぞれに応じて答えています。

ある時に仁とはなにですかと問われて、孔子は「仁とはたどたどしく話すことだ」と答えたと村上さんは仰いました。

そして「つっかえつっかえでもいい、たどたどしくてもいいからゆっくり話そうと言っている」と説いてくださっていました。

そんな話を聞いて私は深く反省しました。

なにせそのYouTube動画を教えていただいたその日は、日曜日の本山のお説教で、私は調子にのって、「寿限無寿限無」の早口言葉を得意になって披露していたのでした。

禅の語録にも、禅問答といっても丁々発止の如く、すぐに答えがでるだけがいいのではない、ある禅僧は、五斗のお米を炊き始めて炊き上がった頃になってようやく答えが出たという話も伝わっています。

これは三十秒ほどの話ではありません。

もっとゆっくり話すことを考えさせられました。

ものを見るのも同じであります。

ざっと見るだけで、よく見ていないのであります。

大いに反省させられます。

それだけに「みえるて・どんなん」の言葉が胸に刺さるのです。

馬場村塾のYouTube動画、一度是非ご覧になってみてください、たくさんの学びがあります。

 
横田南嶺

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