オギャーでいいのだ
大灯国師の生誕の地と言われています。
その住職を務めていたのが、西村宗斎和尚でした。
その西村和尚の法話集が出版されて、宝林寺さまからお送りいただきました。
その本の題が『オギャーでいいのだ』なのです。
西村和尚のことは、今年の一月二十一日の管長日記でも書いています。
「なにがあっても大丈夫 今日一日笑顔でいよう」という題であります。
西村和尚との出会いは、とある布教師さんたちの研修会でありました。
布教師さんたちの研修会で話をして欲しいと頼まれて、私が一方的に話をするよりも、皆さんの聞きたいことに答えるという形にしましょうと申し上げて、質問を受けたのでした。
あらかじめいただいた質問が実にたくさんございました。
それで一日かけて午前中から夕方まで七時間くらいひたすら問いに答えるということを行ったのでした。
和尚さんたちの研修会ですので、私も全身全霊で答えたのでした。
主に若い和尚さん達の研修会だったのですが、その中にひときわ落ち着いた佇まいで、いかにも禅僧らしい禅僧だと感じたのが西村和尚でした。
その会に出てくださっていた若手の布教師の方々とその後もご縁が深まって、いろいろと勉強会や法話会などを続けているのであります。
今から五年前の2017年の夏に一緒に愛媛に行って坂村真民記念館などに研修に行った折には、西村和尚もご一緒だったのでした。
今から思えば、その年の暮れにガンが見つかったそうです。
平成三十一年(2019)、臨黄ネットに執筆された法話には、その時に思いを次のように書かれています。
「一昨年の12月、医師より「スキルス性胃ガン。リンパ節と肝臓に転移。ステージ4。放置すればあと3、4ヶ月」という診断を受けました。
私は思わずひとこと「やめます」と。
誤解されては困ります。
「(良寛禅師の)死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」です。
その後、抗ガン剤治療のため入院。夜中にひとり淋しくベッドで坐禅をしておりました。
「ああ、俺ももう長くないのか。
諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。
しかたがない。明日のことはわからない。
でも、今は生きてる。
これは絶対間違いない。
じゃあ、この今日をどう生きるか」。
その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉でした。
明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。
私のような者が、世界平和や人間救済を弄するなどとは誠におこがましい限りですが、新春の初笑いに免じておゆるし下さい。
題しまして、「私の四弘誓願」。
いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう」
というものです。
西村和尚は私より二歳年上でありました。
二年前の二〇二〇年一月十一日から、ご自身のお寺で、五人展というのを催されていました。
それが五人展というのに彫刻家、陶芸家など四人の名前しかありません。
もう一人というのは、その和尚自身であり、その作品というのは和尚の法話だというのでした。
十一日に法話をなさって、明くる日にお亡くなりになったのでした。
和尚の法話が最後の作品でした。
この最後の法話が今回出版された法話集に全文が掲載されています。
この最後の法話を筆録したのが、私のふるさとの同級生なのです。
これも奇しき因縁であります。
法話の最後には、
「今ここに徹底したらね
なにがあってもだいじょうぶなんです
なにがなくてもだいじょうぶ
今日一日笑顔でいよう
山雲海月がわたし 私が山雲海月
みんな笑顔になってわらってるんだよ」
と仰せになっていたという、その文章もすべて載っています。
「オギャーでいいのだ」というのは、どういうことかというと、本書には、
「私たちがオギャーと生まれてきた時、一人残らず無位の真人として生まれてきたのです。
何も思わず何も考えずただオギャー。
無念無想、無心そのものです。
未来を信じて夢と希望に満ちあふれて生まれてくるのではありません。
ただオギャー、そのままで何の不安も心配も無い、本当の安心の世界のまん中に生まれてきたのです。
禅の教えは、何とかして一度そこへ戻らねばならないという教えなのです。」(224ページ)ということなのです。
また更に、西村和尚は、
「オギャーと生まれたその時、いいも悪いもない。勝った負けたもない。損も得もない。男か女か、大きいか小さいか、いつどこで生まれたか、何も知らず、ただオギャー。
何の悩みも不安も心配もなく、ただオギャー。
安心安全の明るい未来を夢見ることもなく、ただオギャー。
みなさんひとり残らずこうして生まれてきたのです。」(233ページ)
というのであります。
しかしながら、そんな純粋な「オギャー」から、私たちはずいぶんといろいろ余計なものを持ちすぎてしまっています。
どうしたら、そんな赤子の心にかえることができるのでしょうか、西村和尚は、それを修行といっています。
そして、
「修行といっても、厳しいばかり、苦しいばかりが修行ではありません。
今日はいちばん簡単な修行をご紹介します。
それは「比べない」ということです。
昨日と今日を比べない、今日と明日を比べない、他人と自分を比べない、「今、ここ」の私を一所懸命に生きる。
いつかどこかでじゃなく、今ここ、何があっても大丈夫、何がなくても大丈夫、これでいいのだと納得できれば、皆、ひとり残らずべっぴんです。
それが本当の安心、仏教ではこれを「安心」といいます。
泣く時は泣く、笑う時は笑う、泣いても笑っても安心のどまん中です。
日日是好日。ここから本当に明るい未来が開けてゆくと信じて、今日一日を明るく楽しく生きてゆこうではありませんか。」(233~234ページ)
と親切に説いてくださっています。
ユーモアにあふれていて、読みやすく、それでいて仏教の本質を語ってくれています。
読むだけでも爽やかな風を感じることができ、生きてゆく力が満ちてきます。
『オギャーでいいのだ』、是非お薦めします。
横田南嶺