なにがあってもだいじょうぶ 今日一日笑顔でいよう
その日は私にとって特別の日であります。
懇意にしてもらっていた和尚の命日なのであります。
講演でも追悼とご供養の気持ちでその和尚の話をさせてもらいました。
今から二年前の一月十二日、まだ還暦を前にしてお亡くなりになったのでした。
いい和尚さんでした。
五年前の2017年の夏に一緒に愛媛に行って坂村真民記念館などにも行ったことがありました。
その年の暮れにガンが見つかったそうです。
その時のことを文章にして残されています。
平成三十一年(2019)、臨黄ネットに執筆された法話の一部を引用させていただきます。
「一昨年の12月、医師より「スキルス性胃ガン。リンパ節と肝臓に転移。ステージ4。放置すればあと3、4ヶ月」という診断を受けました。
私は思わずひとこと「やめます」と。
誤解されては困ります。
「(良寛禅師の)死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」です。
その後、抗ガン剤治療のため入院。夜中にひとり淋しくベッドで坐禅をしておりました。
「ああ、俺ももう長くないのか。
諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。
しかたがない。明日のことはわからない。
でも、今は生きてる。
これは絶対間違いない。
じゃあ、この今日をどう生きるか」。
その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉でした。
明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。
私のような者が、世界平和や人間救済を弄するなどとは誠におこがましい限りですが、新春の初笑いに免じておゆるし下さい。
題しまして、「私の四弘誓願」。
いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう
おあとがよろしいようで。皆さまどうぞお元気で。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。合掌」
というものです。
二〇一八年の十月に、ジャポニスム2018という企画で私がフランスのパリで講演に出かけた折に、なんと偶然パリで和尚にであったのでした。
和尚は別の行事でパリに来ていたのでした。
まさかパリで会うとは思いもしませんし、そのときにかなり痩せていましたので、私ははじめ気がつかなかったのでした。
和尚から声をかけていただいて、はじめて気がついたのでした。
その時にはすでにがんの治療をされていた頃なのでした。
二年前の一月十一日から、ご自身のお寺で、五人展というのを催されていました。
それが五人展というのに彫刻家、陶芸家など四人の名前しかありません。
もう一人というのは、その和尚自身であり、その作品というのは和尚の法話だというのでした。
十一日に法話をなさって、明くる日にお亡くなりになったのでした。
和尚の法話が最後の作品でした。
和尚の最後の様子を、知人が詳しく知らせてくれました。
そして法話の最後には、あたかも禅僧が一喝するような、大音声で次のように締めくくられたそうです。
「今ここに徹底したらね
なにがあってもだいじょうぶなんです
なにがなくてもだいじょうぶ
今日一日笑顔でいよう
山雲海月がわたし 私が山雲海月
みんな笑顔になってわらってるんだよ」
と仰せになってくれていました。
明日どうなるか分からないけれども、今日一日は笑顔でいよう、文字通り明日お亡くなりになったのでした。
最後はお寺に帰って、坐禅をして亡くなったそうなのです。
その最後まで法話をなされたその姿、生き方、今日一日笑顔でいようと言って亡くなった和尚の死こそ、最後の最高の法話だったと思います。
以前紹介したことのある禅人というサイトに掲載されている西村和尚の法話の一節を引用させてもらいます。
「よく「自分の命を大切にしましょう」といいますが、本当は自分の命なんかない。自分のものなど、何一つないのですね。
「自分のもの」があるから、「自分のものじゃないもの」がある。そうすると人間は、「自分が可愛い、自分のものを増やしたい」という自分の欲望に迷わされてしまいます。自分の命が自分のものでしたら、生きるも死ぬも自由になるはずです。しかし実際にはそうではない。
本当は、「自分のものがない」とわかったら、一切衆生が自分のもの。自分とひとつになるのです。全世界、全宇宙が、自分とひとつになる。これこそが本当の自分だということが、わかるのですね。
大きな命の中の、ほんのちっぽけなこの命ですが、今ここで、自分が預かっている。そうしたら、預かっているんだから大事にしなければならない。それをわかるのが、「修行」ということなのです。」
という文章です。
和尚は、この預かっている命を精一杯生きて、大きな命の中に帰ってゆかれたのです。
亡くなって、返す返すも残念な和尚であります。
そのご生涯は私にもとっても忘れがたいものです。
和尚が亡くなって、日本はコロナ禍といわれる状況になりました。
先行きの見えない中ですが、折に触れて、
なにがあってもだいじょうぶ
今日一日笑顔でいよう
という和尚の言葉を思うのです。
横田南嶺