こころの見方
心療内科医の海原純子先生が毎週書いているものです。
先日の六月二十六日には「生ききる」という題で書かれていました。
「生ききる」という言葉は、松原泰道先生が晩年によくお使いになっていたものでありました。
コラムの冒頭に、
「2005年の10月から、毎日新聞日曜版に毎週執筆をするようになった。11年に終了した連載は、1年後にまた新たにスタートして現在に至っている。」
と書かれていますので、ずいぶんと長い連載なのであります。
「新・心のサプリ」というように「新」の字がつくのは、一度終了してまた再び始まったからなのです。
私はいつ頃から愛読するようになったのか定かではありませんが、コラム記事を拝読していて、是非一度海原先生を円覚寺の夏期講座にお招きしようと思ったのでした。
そうして二〇一五年の夏期講座にお招きすることができたのでした。
そのことがご縁になって、その年の秋に日本肺癌学会学術集会で死生観について講演をさせてもらうようになったのでした。
私が、この管長日記で海原先生の記事を取り上げることがよくありますので、そのたび毎に、どなたかが海原先生にお知らせくださっているようなのです。
また円覚寺の猫のしいちゃんのことも大切に思ってくださり、ご自身の本にも写真を載せてくださったこともあります。
しいちゃんが死んだ時には、すぐにお見舞いを送ってくださいました。
この「連載はこれまで三冊の本になった」というのであります。
そしてこのたび四冊目を出版なさると書いていました。
しかしながら、
「連載のエッセーをまとめて本にしてもあまり売れないなどと言われている。
確かに一度読んだものだし、タイムリーな内容を書いているから時がたつと読もうという気持ちがなくなるかもしれない、などと思う。」
と書かれていますように、いろんな思いもあったようなのです。
たしかにこの頃は本を出してもあまり売れないという傾向があります。
私なども毎年のように本を出していて、今年もまだ数冊の出版を予定していますが、本を出すことはいろんな面でたいへんなのであります。
しかし、海原先生は出版を決意してくださったのでした。
「そんな中で今回16年からの連載の中から50編を選び毎日新聞出版から出版されることになった」と書いてくれていました。
この本の特徴は、「時間軸を離れて、「自分サイズで生きる」、「身体の声、心の声」、「人生はジグソーパズル」、「素敵なことはすぐそばに」、「自己認識力を高める」、「幸せの条件」という章を作り分類した」というところであります。
こうして分類されているのを読むと、また今まで読んだのとは異なる味わいがあるものです。
本のタイトルは『こころの見方』、毎日新聞社の刊行であります。
出版されたら、買おうと思っていたところ、海原先生からお送りいただきました。
献本は、出版社から「著者謹呈」のしおりを入れて送られてくることが多いのですが、海原先生はご自身で巻頭にサインを入れて送ってくださったのでした。
それにお手紙も添えてくださっているので有り難いことこの上ありません。
見返しには、私の名前を書いてくださり、その横に「感謝をこめて」と書いてくださっています。
感謝するのは私の方なので、恐縮します。
先日日曜日のコラム記事には、
「本は値上げが続く中、どうかなと懸念しながら部数は多くなくても、誰かの心に残る本であってほしいとまとめた4冊目の本、その底流にいつも流れているのは「生ききる」というテーマだ。」
と書かれています。
いただいた本を有り難く拝読しようと思ってまず「はじめに」に目を通しました。
「特別なことがなくても普通の日常に潜む素敵なことに気がつき、おかしいなと思うことにはきちんと声をあげ、それを書いてゆこうと思いながら過ごした日々の出来事を皆さんと分け合えたら」と書かれています。
パラパラページを開いてみると、「足音と心」という章が目にとまりました。
「足音」というのは、修行道場では厳しく指導されるものです。
下駄を履いて歩くにしても「足音」を立てないようにと注意されます。
足音を立てないようにするというよりも、足下に心を向けて落ち着いて歩けば足音はしなくなるものなのです。
「乱暴な歩き方をする時の心は荒れている。コップをテーブルに音をたてて置く人の心は穏やかではない。ドアの開け閉めの音の場合も同様だろう。
動作の背景にはその人の意識が透けてみえてきてしまう。だから激しい音をたててロッカールームを歩く人や鏡の前に置かれた備品の化粧品のびんを乱暴に扱っている人が隣にいると、ちょっと心配になってしまう。」
と書かれていました。
修行時代に禅問答を行う時に、老師は修行僧がこれから禅問答に行くための合図の鐘を鳴らしたその音を聞いただけで、どれだけ修行ができているか分かるとか、修行僧の足音で、問答の答えの出来不出来がわかってしまうのだと聞かされました。
そんなことがあるのかなと思っていましたが、私も師家になってすでに四半世紀、やはり鐘の音でほとんど分かりますし、足音で誰かということも分かりますし、その日の調子もだいたい分かるようになったものです。
心は目に見えないけれども、些細なところに現われているものです。
カバーと扉には海原先生がこれまで撮影してきた世界各地の人々や自然や動物たちの写真を入れてくださっています。
海原先生は「みな地球の仲間だ」と仰っていますが、こんなところにも新刊本の楽しみがあります。
横田南嶺