「健康」は白隠禅師から
中国においても使われてはなかった言葉だそうです。
一七五一年に上梓された白隠禅師の『於仁安佐美』で一番はじめに用いられ、そこに三回使われているそうです。
それから一七五七年の『夜船閑話』にも用いられています。
白隠禅師は、十の著作に合計十六箇所に「健康」という言葉を用いられているそうであります。
これが文献に於いて「健康」という言葉が出るはじめだそうなのです。
実に「健康」という言葉を初めて用いたのが白隠禅師なのであります。
「康健」の語は古くからありました。
私どもがよく読んでいる『禅関策進』にも
「色力康健の時を趁うて、箇の分曉を討取せよ」とあります。
体が健康な内に、生死の問題をはっきりとさせよということであります。
健康の「健」の字には、
「すこやか。からだを高く伸ばして元気がよいさま。元気があふれて力が強いさま。疲れずに物事を続けるさま。」という意味があります。
もともと、建は、すっくとたつ、からだをたてて歩くの意だそうです。
建が単に、たつの意となったため、それににんべんがついて、健の字で、からだを高くたてて行動するの原義をあらわすようになったというのです。
からだが元気で健やかなことをいうのです。
それから「康」は、「からだに悪いところがなく、かっちりしているさま。筋金入りであるさま。丈夫で、危なげがない。かっちりとおさまっているさま」を言います。
「健康」は中国の古典のなかにも見いだせず、白隠禅師がはじめて使ったというのですが、諸橋轍次先生の『大漢和辞典』を調べてみても、「康健」という言葉は、「すこやか、健康」という意味があって、そこの白居易の詩の用例が示されています。
同じく『大漢和辞典』で「健康」を調べると、たしかに載っていますが、「すこやか、すこやかさ、今一般に身体の具合の意味にも転用せられている」と解説されていて、用例はなんと、「健康診断」「健康保険法」の二つがあげられているのであります。
「健康診断」も「健康保険法」も古いことではないのは明白なのです。
なるほど、やはり古くから使われたものではないと思いました。
「健康」が仏典の中にあるかというと、『法句経』にも見いだすことができます。
『法句経』の二〇四番に、
健康は最高の利得であり
満足は最上の宝であり
信頼は最高の知己であり
ニルヴァーナは最上の楽しみである
とあります。
これは岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』にある中村元先生の訳であります。
同じ『法句経』の言葉を、講談社学術文庫の友松円諦先生の訳では、
無病(わずらいなき)は上無きの利(さち)
足るを知るは
上なきの財(たから)
信頼(たより)こそは
上なきの親族(やから)
涅槃こそ 最上の安楽(さいわい)なり
となっているのであります。
中村先生が「健康」と訳されたのは、「無病」なのであります。
原典には、アローギャという言葉で、直訳すると病のないことをいうのであります。
では、なぜ白隠禅師は「健康」という語を生み出したのでありましょうか。
「健康」ということはそれまで意識化され、言語化されるものではなかったのだと察します。
私たちが意識するのは「病」という、具合の悪い状態であります。
「健康」の語ができる以前には、正常な状態のことを「無病」と言っていたのでした。
これは病という不正常な状態ではないという表現なのであります。
この病のないことが正常な状態であると認識して肯定的に「健康」と表現したのが、白隠禅師だったのです。
大事なものは、失ってはじめて気がつくと申しますが、白隠禅師は、二十代の後半頃に、
「心火逆上して肺臓をいためた。
両脚は氷雪に浸したように冷え、谷川のほとりを行くかのようにいつも耳鳴りがする。
肝胆が弱まったためか何をしていてもおどおどし、心神は疲れやすく、寝ても覚めても色々な幻覚が見える。
両脇にはいつも汗をかき、眼はつねに涙ぐんでいる。」
というような状態になってしまったのでした。
「健康」であることを失ったのでした。
それを白幽仙人に教わった内観の法や軟酥の法によって、健康を取り戻したのです。
それだけに「健康」の大切さを身にしみて感じていたのでありましょう。
「平常」というあたりまえの尊さをを自覚するのが禅の心でありますから、白隠禅師は「健康」というあたりまえの素晴らしさを大切にされたのだと察するのであります。
そして白隠禅師は、晩年になっても『夜船閑話』に、
「七十歳を超えているけれども、すこしの病もなく、歯もゆるがず、眼と耳はますますはっきりしてきて、疲れというものを感じたことがない。
毎月二回の長い法施、説教には最後まで倦むことを知らず、また近郷の三百人、五百人の民衆をまえにして法を説き、雲水僧の望みにしたがい、はげしい問答や説教をすること、およそ五、六百回にもおよぶけれども、たった一日も会を中止したり、説法の勤めをやすんだことはない。
身心は強健で、気力はかえって二、三十代のときよりもはるかにすぐれているのである。
かつて病弱でくるしめられた自分が、このように元気旺溢して、真理の道のため、法門のため、民衆の救済のために、勤めはたらくことができるようになったのであるが、これはみなこの『内観の秘法』の霊妙なる力によるものである。」(直木公彦『白隠禅師ー健康法と逸話』より)と書かれている通りなのです。
そこでいつもお世話になっていて、この白隠禅師の呼吸法によってすくわれたという椎名由紀先生と、私の二人で、今の時代にこの「健康」をはじめて用いた白隠禅師の健康法を広く皆様に知ってもらおうと、今新しい本を制作中なのであります。
横田南嶺